「碁はいろんなふうに打っていいんだよ」 吉田美香八段の思い

撮影:小松士郎
女流本因坊4連覇という一時代を築き、関西囲碁界も盛り上げた吉田美香八段。今回は、若き日の崔精九段(当時二段)との一局を選ばれ、序盤の「一手」にこめた深く強い想いを、初めて明かしてくださいました。

* * *


■人生の先輩として

タイトル戦を戦っていたころは、無我夢中でしたけれど、東京に比べてあまり恵まれていない環境でしたから、少しでも関西がよくなればいいなという気持ちはいつもありました。タイトル戦からは本当にいろんなものを得ました。開き直りが必要なときがあって…。勝ちたいからこれ、ではなくて、この一手で負かされよう、というふうに覚悟しなければいけないときもありました。そういう意味では、精神面でも相当鍛えられましたね。
その後、育児もあって、ブランクがありました。育児が苦手だと思っていたら、意外に、子どもが母親を求めて泣くのが嫌いなんですね、どうやら(笑)。どうしてもかわいくて、結局育児ばかり優先になって、碁の勉強が全然できなくなりました。という中で、今回ご紹介する世界戦の団体戦を迎えました。
世界戦は独特な雰囲気なので、威圧され、若いころは、勢いはあってもなかなか力が出せませんでした。でも、私たちの時代は、今の選手の皆さんのように忙しくはなかったので、対局後にみんなで円卓を囲んだり、お休みの日にみんなで遊びに行ったりと、国と国との交流、人と人との交流があって本当にすばらしい時間をたくさんいただきました。
相手の崔精さんは当時15歳で、初の世界戦でした。現地で、仲がいい芮廼偉さん(九段)が「彼女は3日前に女流名人を取って、強い男性棋士にもさらっと勝つよ、美香ちゃん」と教えてくれて、「そんな情報要らんねん」なんて話をしましたね(笑)。崔精さんは、たぶんすでに私より強くて、私にはブランクもあるわけですから、分は悪いのですね。ただ、私は、子どもを産んでからのほうが周りの環境に動じなくはなりました。それからもう一つ、心に決めたことがあったのですね。
実は、この大会の少し前に、洪清泉四段に韓国に連れていっていただき、せっかくの機会なので、厳しい囲碁道場も見学させてもらいました。そのとき、小さな子どもたちのクラスに入ると、「勝たなければいけない」「勝ちたい」という気持ちが空気にあふれ出ていて、肌に刺さるようだったんです。そういう激しい競争から突出した棋士も出るのですが、負ける子どもたちの個性も認めてあげたいという気持ちが起こりました。私も母親ですからどの子も大切ですし、日本の棋道で碁を学びましたので、人の格を上げるために碁を勉強してほしいし、人生を豊かにする碁であってほしいという気持ちがあるのですね。
おこがましいのですが、15歳の崔精さんのために、人生の先輩なので何かできないかなと思ったときに、道場の子どもたちの顔が浮かんできました。韓国にはない価値観で「碁はいろんなふうに打っていいんだよ」というのを見せられたらうれしいなと思ったんです。
※続きはテキストでお楽しみください。
※肩書はテキスト掲載当時のものです。
※この記事は2019年12月8日放送の「シリーズ一手を語る 吉田美香八段」を再構成したものです。
取材/文:高見亮子
■『NHK囲碁講座』連載「シリーズ 一手を語る」2020年4月号より

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