平成の女流棋士の歴史そのものの中井広恵女流六段

撮影:河井邦彦
平成の将棋界はどのように動いてきたのか。平成の将棋界をどうやって戦ってきたのか。勝負の記憶は棋士の数だけ刻み込まれてきた。連載「平成の勝負師たち」、2019年12月号には中井広恵(なかい・ひろえ)女流六段が登場する。

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中井広恵の昨年度の成績は、女流棋士になって最悪のものだった。椎間板ヘルニアの手術のため不戦敗が2局あり、それを含めて4勝7敗に終わっている。「後輩の女流棋士に叱咤(しった)激励されたんです。何やってんですかって。自分は後輩にそんなことを言われるキャラではないと思っていたので、驚きました」
タイトル獲得19期。優勝10回。数々の「女流初」を積み重ねてきた。林葉直子、清水市代、そして男性棋士との戦いは、平成の女流棋士の歴史そのものだ。しかし、後輩たちは盤上の戦いだけを見ていたわけではなかった。
「結婚して出産して、そういう先輩が年齢を重ねてどうなっていくのか。後輩たちはそういうところを見ているんだなと、初めて知りました」
もうちょっと頑張らないと。中井は、そう思った。

■平成元年に結婚

昭和56年。日本最北端、北海道稚内市の少女が、小学生名人戦準優勝という快挙をひっ提げて単身上京。11歳10か月の当時最年少で女流棋士になった。
「応援してくれる家族や地元の人たちがいる。頑張って活躍したかった」
13歳でタイトル初挑戦、16歳で初タイトルを獲得。女流棋界は中井と林葉の2強態勢になった。
平成元年、20歳のときに兄弟子の植山悦行五段(現七段)と結婚した。後に3人の子の母親となる。
「出産前後は対局日程を調整してもらったりしましたが、産休や育休をとる発想は、自分にも周囲にもまったくなかったですね。平成11年の3人目が切迫早産で、そのときには不戦敗があります」
貴重な20代。結婚せず、将棋だけに集中していたら、と考えたことは?
「早めの結婚、出産がマイナスになったと思ったことはありません。将棋に直接費やす時間が少なくなったとしても、さまざまな出来事から精神的に強くなったり、子どもと接して元気をもらったりということもある。生き方の問題ですから、他人と比較することでもありません」
平成5年にはクイーン名人になり、公式戦で男性棋士から初勝利を上げた。しかし、8年には清水の全四冠制覇を許す。四つ目の女流王将は中井が奪取された。
「もちろん悔しさはありましたが、これがゴールじゃないとも思っていました」その言葉どおり、中井は30代で再ブレークする。
文:雨宮知典
※肩書はテキスト掲載当時のものです。
※続きはテキストでお楽しみください。
■『NHK将棋講座』連載「平成の勝負師たち」2019年12月号より

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