江戸の趣味人が花の変化に「粋」を見出したキク

花芸の始まった‘江戸絵巻’。撮影:徳江彰彦
江戸の趣味人たちはキクの花色や形を楽しむだけでなく花が日々どのように変化して咲くかという世界でも類を見ない審美眼を観賞に持ち込みました。それを「花芸」と呼び、新たな花の魅力を競い合いました。2020年東京大会に向けて江戸の園芸を見つめ直すシリーズ。第8回はキクの花芸の魅力に迫ります。お話を伺ったのは、園芸研究家の小笠原左衛門尉亮軒(おがさわら・さえもんのじょうりょうけん)さんです。

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■江戸時代のキク流行は京から

キクの原産地は中国で、日本に渡来したのは奈良時代後期といわれます。平安時代になると、唐の文化にならって、重陽(ちょうよう)の節句(9月9日)に宮中行事として菊花を庭に植えさせて殿上人(てんじょうびと)が和歌を詠む「菊合わせ」が行われるなど、貴族の間で観賞される花になりました。
江戸時代になると、支配階級から庶民まで、広く栽培を楽しむようになります。その流行に火をつけたのが『菊譜百詠図』(1686年、貞享3年)の刊行です。中国・明代の菊書に三々経恭斉が点訓したものでしたが、日本で最初のキクの図譜、栽培手引書でした。
これをきっかけに元禄・享保期(1688~1736年)には京都を中心に、キクの画譜の出版が相次ぎ、切り花を持ち寄り品評する「菊花合わせ」も盛んに開催され、全国にキクづくりが広まっていきます。

■花の変化にこそ「粋」がある

文化文政期(1804~30年)には、江戸で花径15cm前後の中輪のキクが大流行します。当時は「中菊」「芸菊」の名でしたが、20世紀に入ってこれが「正菊」「江戸菊」と呼ばれるようになりました。
江戸の趣味人たちが特に注目したのは、満開になったあとの2〜3週間の花の変化です。花の鮮やかな色や端正な形の美しさに満足するだけでなく、花弁が開き、反り返り、折れ曲がるといった毎日の変化の動きにこそ粋を見いだし、「芸」として楽しみました。
中菊のブームは江戸から地方へ伝わり、各地で独自の系統と観賞法が誕生していきます。今日に続く日本のキク文化の豊かな土壌は、この時代につくられたものといえるでしょう。
■『NHK趣味の園芸』連載「大江戸 花競(くら)べ 十二選」2019年11月号より

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