酔ごころと歌ごころ

今月の「動体短歌」の題は「酒」。歌人で、「心の花」編集委員の佐佐木頼綱(ささき・よりつな)さんが、酒を愛した大伴旅人と、あまり飲まなかった曾祖父、佐佐木信綱の歌を紹介します。

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父・幸綱(ゆきつな)が「文学と酒には密接な関係があるんだ」と晩酌の際に力説するのを何十回と見て育ちました。また先輩歌人の晋樹隆彦(しんじゅ・たかひこ)から「酒も飲めないやつに文学はできないんですよ」と酒の席で絡まれてきました。更に私の妻はオペラ歌手なのですが、その周囲の声楽家たちは事ある毎(ごと)にワインを飲み「歌心は酒ごころだ」と話します。すぐ酔っ払ってしまう私には彼らの言葉がなかなか分からないのですが、今回は短歌と酒の関係を探ってみようと思います。
験(しるし)なき物を思はずは一坏(ひとつき)の濁(にご)れる酒を飲むべくあるらし

大伴旅人(おおとものたびと)『万葉集』巻第三



酒を讃(たた)える一連「大宰帥大伴卿(だざいのそちおおともきょう)、酒を讃(ほ)むる歌十三首」の巻頭に置かれた歌です。上の句は「つまらぬことを思い煩うのはやめ」という意味。濁った酒とはどぶろくでしょうか。酒をあおる大伴旅人が目の前に浮かんできませんか?
十三首の中で大伴旅人は賑(にぎ)やかに酔い、泣き、主張し、酒を勧めてきます。〈あな醜(みにく)賢しらをすと酒飲まぬ人をよく見ば猿(さる)にかも似る〉「酒を飲まないやつをよくみれば、猿にそっくりではないか」と酒を勧める一首もこの一連の中の歌。酒に寄せて人生を謳歌(おうか)する旅人の赤ら顔が時を越え、友人の酒飲み達の顔を借りて脳裏に浮かんできます。
酔ひにたりわれゑひにたり真心こもれる酒にわれ酔ひにたり

佐佐木信綱(ささき・のぶつな)『思草』



「酔った、酔った、真心こもる酒に自分は酔ったのだ」と酒に酔った感覚を詠んだ歌。真心とは杜氏(とうじ)の心か、料理人、もしくは酒を振る舞ってくれている人の心でしょうか。酔った酔ったと酔っ払ったように繰り返される言葉のリズムが楽しい一首で、気持ちよく酔った人の姿が立ちあがってきます。信綱は「時間がもったいないから」と言ってあまり酒を飲まなかったそうです。酒を愛飲する歌は少ないのですが〈雪室に酒をひやして室守が昔の恋をかたる夜半かな〉など、やや幻想的に、憧れを伴った形で酒の歌が詠まれます。そこには酒を愛でた古歌への憧れがあったのでしょう。
■『NHK短歌』2019年11月号より

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