戦争の形態は社会の形態により変化する
カイヨワは《社会の形態の変化が戦争の形態を規定する》と考え、階層化された身分社会を土台にした戦争と、平等な民主社会を土台にした近代の戦争との質的な違いを指摘し、それらを大きく4つに区分・整理しました。哲学者の西谷修(にしたに・おさむ)さんが、それぞれの特徴を解説します。
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カイヨワの論の特徴を先に指摘しておくなら、戦争の形態は社会の形態に対応すると考え、階層化された身分社会を土台にした戦争と、平等な民主的社会をベースにした近代の戦争との質的な違いを見るところでしょう。そして産業化された近代国家の平等原則に基づく戦争こそが、最も苛烈で無制限な大量殺戮を生み出すことを、大きなパラドクスだと考えているのです。
一方で、カイヨワはまた、機械化され物量化してゆく近代における苛烈な戦争のうちに、集団としての人間の、恐怖と魅惑の源泉としての「聖なるもの」の発露を認めます。彼は「聖なるもの」を人間社会における、歴史を超越した現象として扱います。いわゆる未開社会の宗教形態の要素としてだけではありません。文明がある方向に進んだときにも露呈してくる集団現象、合理性も善悪も超えて人びとを魅惑し畏怖させる事態を、「聖なるもの」と呼んでいるのです。
それでは、カイヨワが記している戦争の形態の発展段階を、社会形態の変化とともに概観しておきましょう。
最初は、①身分差のないいわゆる未開の段階における、部族同士の抗争としての「原始的戦争」です。次に、②異民族を征服するための「帝国戦争」、これはエジプトやアッシリアなど大帝国が出現した時代の戦争を想定しているのでしょうが、その特徴は異質な文化を持つ集団同士の衝突だとします。次いで、③身分が階層化された封建社会における、専門化された貴族階級の機能としての戦争、すなわち「貴族戦争」。それから、④国家同士がそれぞれの国力をぶつけ合う「国民戦争」です。ただし、カイヨワの論の中でとりわけ重視されているのは、③から④への転換です。
まず①の「原始的戦争」は、部族という小集団の争いで、これは狩猟に近いものでした。待ち伏せや不意打ちといったアナーキーなやり方ですが、規模や目的は限られています。
②は大きな権力によって組織化された戦争ですが、敵が「異文明」なため共通の価値がなく、征服戦争になります。中世の封建社会になると、戦争を役割とする特権的な身分ができます。日本でいえば武士のような、騎士階級の貴族同士が、王家や領土のために戦う。それが③の「貴族戦争」です。一般の民衆は農地や家を荒らされたり、税と称して歩兵の頭数を揃えるために連れて行かれたりはしますが、戦争の目的にはまったく関係がありません。また、金で雇われた傭兵も登場しますが、彼らには敵に対する憎悪も戦意もないでしょう。
一方、甲冑(かっちゅう)をつけた騎士たちによる実際の戦闘は、スポーツやゲームのように儀礼化し、様式化しています。それは決闘の形態がベースとなり、誇り高く一騎打ちをすることで勝負を決めました。その目的は殺戮ではなく相手を降伏させることであり、何よりも名誉が重んじられたのです。そのことによって、破壊や殺戮の度合いは緩和されていたといえるでしょう。
それに対して、④の近代以降の「国民戦争」では、敵を降伏させるために、それぞれの国家が人的・物的資源を投入します。ただし、兵力をなるべく無駄にしないために、初期にはまだ、さまざまな駆け引きによって、過度な殺戮は抑えられていました。
しかし社会が平等になると、万人が平等に武器を持つようになる。つまり万人の敵対戦争になります。戦争は儀礼を重んじる遊戯ではなく、真剣な潰し合いになるのです。すると、もはや名誉も何もなく、凄惨な破壊と殺戮が起こります。
この4つの区別から、ひとつの一般的原則を、苦もなく引き出すことができる。すなわち、戦争を苛烈なものにするのは、勇猛さでも、敢闘精神でも、残酷さでもないということだ。それは国家というものの、機械化の度合いである。
カイヨワは、ここから国家と機械化という文明の要素を取り出す一方で、儀礼といった「文化的」要素の抹消に目を向けます。
華麗な軍服やファンファーレ、かつての厳格でまた貴族的な試合ぶり、巧妙な用兵術、危険なものとは知りながら、なお規則正しく行なわれた礼儀の交換、これらはみな姿を消してしまった。(略)このような教えを実行する士官は、ただ射ち殺されるだけである。
ここにあるのは貴族戦争の時代へのノスタルジーなのでしょうか。いや、そうではないでしょう。一人ひとりが権利を持って、社会が民主的になり、より人間的になったにもかかわらず、戦争そのものは非人間的になっていくというパラドクスが生じたというのです。
近代を出発点にして、現代の戦争にまでつながるこのパラドクスをどう理解するのか、あるいは、どうやってそれを解消することができるのか、そのことがカイヨワによる本書最大のモチーフになっています。
■『NHK100分de名著 ロジェ・カイヨワ 戦争論』より
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カイヨワの論の特徴を先に指摘しておくなら、戦争の形態は社会の形態に対応すると考え、階層化された身分社会を土台にした戦争と、平等な民主的社会をベースにした近代の戦争との質的な違いを見るところでしょう。そして産業化された近代国家の平等原則に基づく戦争こそが、最も苛烈で無制限な大量殺戮を生み出すことを、大きなパラドクスだと考えているのです。
一方で、カイヨワはまた、機械化され物量化してゆく近代における苛烈な戦争のうちに、集団としての人間の、恐怖と魅惑の源泉としての「聖なるもの」の発露を認めます。彼は「聖なるもの」を人間社会における、歴史を超越した現象として扱います。いわゆる未開社会の宗教形態の要素としてだけではありません。文明がある方向に進んだときにも露呈してくる集団現象、合理性も善悪も超えて人びとを魅惑し畏怖させる事態を、「聖なるもの」と呼んでいるのです。
それでは、カイヨワが記している戦争の形態の発展段階を、社会形態の変化とともに概観しておきましょう。
最初は、①身分差のないいわゆる未開の段階における、部族同士の抗争としての「原始的戦争」です。次に、②異民族を征服するための「帝国戦争」、これはエジプトやアッシリアなど大帝国が出現した時代の戦争を想定しているのでしょうが、その特徴は異質な文化を持つ集団同士の衝突だとします。次いで、③身分が階層化された封建社会における、専門化された貴族階級の機能としての戦争、すなわち「貴族戦争」。それから、④国家同士がそれぞれの国力をぶつけ合う「国民戦争」です。ただし、カイヨワの論の中でとりわけ重視されているのは、③から④への転換です。
まず①の「原始的戦争」は、部族という小集団の争いで、これは狩猟に近いものでした。待ち伏せや不意打ちといったアナーキーなやり方ですが、規模や目的は限られています。
②は大きな権力によって組織化された戦争ですが、敵が「異文明」なため共通の価値がなく、征服戦争になります。中世の封建社会になると、戦争を役割とする特権的な身分ができます。日本でいえば武士のような、騎士階級の貴族同士が、王家や領土のために戦う。それが③の「貴族戦争」です。一般の民衆は農地や家を荒らされたり、税と称して歩兵の頭数を揃えるために連れて行かれたりはしますが、戦争の目的にはまったく関係がありません。また、金で雇われた傭兵も登場しますが、彼らには敵に対する憎悪も戦意もないでしょう。
一方、甲冑(かっちゅう)をつけた騎士たちによる実際の戦闘は、スポーツやゲームのように儀礼化し、様式化しています。それは決闘の形態がベースとなり、誇り高く一騎打ちをすることで勝負を決めました。その目的は殺戮ではなく相手を降伏させることであり、何よりも名誉が重んじられたのです。そのことによって、破壊や殺戮の度合いは緩和されていたといえるでしょう。
それに対して、④の近代以降の「国民戦争」では、敵を降伏させるために、それぞれの国家が人的・物的資源を投入します。ただし、兵力をなるべく無駄にしないために、初期にはまだ、さまざまな駆け引きによって、過度な殺戮は抑えられていました。
しかし社会が平等になると、万人が平等に武器を持つようになる。つまり万人の敵対戦争になります。戦争は儀礼を重んじる遊戯ではなく、真剣な潰し合いになるのです。すると、もはや名誉も何もなく、凄惨な破壊と殺戮が起こります。
この4つの区別から、ひとつの一般的原則を、苦もなく引き出すことができる。すなわち、戦争を苛烈なものにするのは、勇猛さでも、敢闘精神でも、残酷さでもないということだ。それは国家というものの、機械化の度合いである。
(第一部・第一章)
カイヨワは、ここから国家と機械化という文明の要素を取り出す一方で、儀礼といった「文化的」要素の抹消に目を向けます。
華麗な軍服やファンファーレ、かつての厳格でまた貴族的な試合ぶり、巧妙な用兵術、危険なものとは知りながら、なお規則正しく行なわれた礼儀の交換、これらはみな姿を消してしまった。(略)このような教えを実行する士官は、ただ射ち殺されるだけである。
(第二部・第一章)
ここにあるのは貴族戦争の時代へのノスタルジーなのでしょうか。いや、そうではないでしょう。一人ひとりが権利を持って、社会が民主的になり、より人間的になったにもかかわらず、戦争そのものは非人間的になっていくというパラドクスが生じたというのです。
近代を出発点にして、現代の戦争にまでつながるこのパラドクスをどう理解するのか、あるいは、どうやってそれを解消することができるのか、そのことがカイヨワによる本書最大のモチーフになっています。
■『NHK100分de名著 ロジェ・カイヨワ 戦争論』より
- 『ロジェ・カイヨワ『戦争論』 2019年8月 (NHK100分de名著)』
- 西谷 修
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