小松左京が描出した地獄『ゴルディアスの結び目』

心的外傷を負った少女マリアの心の闇は、何につながっていたのか? “マリアの部屋”は、高密度に圧縮されて球体となり──。『ゴルディアスの結び目』は、精神医学、オカルト、宗教、宇宙などが織り込まれた深淵なる中編作品です。その成り立ちを、評論家の宮崎哲弥(みやざき・てつや)さんが解説します。

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源信の『往生要集』やダンテの『神曲』には、地獄の様相が詳(つまび)らかにされています。前者は10世紀末に撰述された仏教書で、経典や論書から要文を集め、最終的に西方浄土に往生すべきことを説く著作です。後者は14世紀にイタリアのトスカナ語で書かれた長大なキリスト教叙事詩です。地獄篇、煉獄篇、天国篇に分かれ、著者であるダンテがこの3つの世界を遍歴するという筋立て。中学生の時分に小松が『神曲』の地獄篇を耽読(たんどく)したことはすでに述べました。学会誌に寄稿した短文で、当時の所懐(しょかい)をこう回顧しています。
中学生のとき、戦争中で、「おまえのような近眼は兵隊になれない」って図書係にされて、そこで新潮社版の「世界文学全集」をかたっぱしから読んだんだね。その第1巻が『神曲』(生田長江訳)で、このイマジネーションの凄さにはかなわないと思ったわけ。天使のなかでも一番美しいルチーフェロが神と戦って、天界から真っ逆さまに地球に墜されたとき、まわりの土が穢れを恐れて逃げて地獄になり、またその土が地球の反対側でもり上がって、煉獄になったなんてね。これはもう、SFですよ。特にニュートンの引力説のはるか以前、なぜルチーフェロが「地球の中心」に止まることにしたのか、不思議でならなかった。

(「幅広い文化——ワイドな学会」『イタリア学会誌』49巻)



これらの書物には、地獄だけでなく極楽浄土や天国、煉獄の様子も具(つぶさ)に記されていますが、多くの人々を強く引きつけて止まないのは生々しい地獄の描写です。それには読む者を倫理的な緊張に追い込んでいく力がありました。古(いにしえ)の人々は『要集』や『神曲』の説く地獄をとてもリアルに捉え、それが切迫したものであることを痛感したはずです。
しかし神の実在が認められなくなり、信仰が見失われつつある現在、これらの書物を繙(ひもと)いてみても、そこにリアリティは感じられません。地獄のみならず、本質的な悪、あるいは悪魔の存在を実感することもありません。
小松左京は『神曲』を念頭に置きながら、しかし信仰抜きで、地獄や悪魔をリアルな実在として描出する、という難題に挑みました。4つの中編から成る連作『ゴルディアスの結び目』の、表題作がその成果といえます。

■個人的な旅の備忘録

『日本沈没』の嵐のようなブームが過ぎ去り、落ち着きを取り戻した小松は、角川書店の新雑誌『野性時代』に中編小説を次々に発表します。
発表順に並べると、『岬にて』(1975年5月号)、『ゴルディアスの結び目』(1976年1月号)、『すぺるむ・さぴえんすの冒険』(1977年2月号)、『あなろぐ・らゔ』(1976年6月号)の四篇でした。これらは1年後の1977年6月に1冊の本に纏(まと)められ、『ゴルディアスの結び目』として刊行されます。4つの中編は、同一のモーティヴをそれぞれに異なるタイプの物語によって追求する連作だったのです。
連作全体の外題にもなった『ゴルディアスの結び目』“Gordian Knot”は、帝政ローマ時代のギリシャの歴史家、プルタルコスの『英雄伝』に記載された有名な故事を踏まえています。
マケドニアの王子として生まれたアレクサンドロス三世(アレクサンダー大王)にまつわるもので、彼は父亡きあと即位するや、瞬く間にギリシャ統一を果たし、紀元前333年、アジアの入り口にあたるゴルディオンに到着。このとき王は23歳でした。そこでアレクサンドロスは、ゼウス神殿に奉納された荷車を目にします。その轅(ながえ)に結え付けられている紐の結び目を首尾よくほどいた者は「アジアの王」となるという言い伝えがありました。アレクサンドロスは結び目をほどこうとしますが、複雑に結ばれた紐には、緒(いとぐち)すら見当たりません。すると王は自らの剣を抜いて、結び目を断ち切ってしまったのです。
この故事は後代の「コロンブスの卵」、つまり誰も卵を立てることができなかったところ、コロンブスが卵の尻を潰して立ててみせたという故事そっくりで、結び目の「解(と)き方」そのものに意表外の方法があることを示しています。「ほどく」という言葉に囚われた皆には、「断ち切る」という発想が浮かばなかったのです。
どうして「ゴルディアスの結び目」がタイトルに採用されたのか。「結び目」は何を象徴しているのか。
一つには、人間の心に生じた固く凝結した部分、心の闇というべき、記憶も、意思も、理性や感情すら固結してしまったその結ぼれを指すと思われます。表題作ではこれが宇宙の結ぼれ 、宇宙に実在する超重力の天体、ブラックホールに通じている、という構図が示されます。
しかし、連作のタイトルとしての「ゴルディアスの結び目」は、もう少し大きなものを暗示しているのかもしれません。むしろこちらは「解き方」の新鮮さに注目した表題ではないか。
小松は、初版に付された「あとがき」の冒頭でこう記しています。
加速度的に量と精度をあげて行く物質、生命、人類、地球、宇宙についての、今日的情報は、私にとって、たえまなく「新生」へとうまれ変りつづける事をつげるメッセージの大シンフォニーのようなものだ。─もし、「旅」が、時空間移動プラス「新しい情報との遭遇」を意味するなら、私たちは今、めくるめくばかりの壮大で高速の旅へのり出した事になる。
 
私自身は、無数の科学者や専門家たちによって運航されているこの「探索船」の展望ラウンジに、小さな乗船券をにぎりしめて腰をおろし、行く手につぎつぎにあらわれてくる、不思議なものの形に、あれこれ眼をうばわれ胸をおどらせている乗客にすぎないのだが、運航には何の役も立たない乗客にも、こう問いかける事はできる。─この「旅」の行きつく果てはどこだろう? この「旅」の宇宙全体にとっての「意義」は何だろう? なぜ私たちは、こう言った「旅」をはじめてしまったのだろう?─そして、この「旅」を通じて、つぎつぎに出あうものに、自分は、なぜこれほど「感動」するのだろう? 人間の「感動」とは、そもそも、この宇宙にとって何なのだろう?

(「初版あとがき」『ゴルディアスの結び目』所収、ハルキ文庫)



ここに列記されている「問い」は、いずれも簡単には解き得ない難問ばかりです。永遠に解くことはできないかもしれない問い……。「探索船」とは自然科学を主とするサイエンスの隠喩(メタファー)でしょう。しかし、「探索船」に乗って、絶え間なく「新しい情報」に遭遇し、世界に関する認識を新たにしていけば、やがて思いもよらなかった「解き方」がみえてくるかもしれない。もちろんその解法は、アレクサンドロスやコロンブスの挿話にみえるものほど単純ではないでしょうが……。そういえば、この2人とも「旅」に明け暮れる人生を送りました。
小松は、この中編小説集を「もっとも個人的な旅」の「備忘録」だともいっています。それはどんな「旅」だったのでしょうか。その「旅」からどんな奇想を得たのでしょうか。「メモが『フィクション』の形をとる事を奇とする人もあろうが、どんな形をとろうと、メモはメモであり、純粋に私的なものである事は変りはない」。
そして、彼は「四篇の連作は、それぞれ『出発』『渦』『難破』『孤島』に関する、ほんの一行ずつのメモである」と結んでいます。「出発」を出航と解するならばどれも航海に関連するメタファーであることがわかります。
※『ゴルディアスの結び目』本編の解説はテキストでお楽しみください。
■『NHK100分de名著 小松左京スペシャル』より

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