空前の大ベストセラー『日本沈没』

小松左京の代表的長編作品『日本沈没』。海に沈みゆく日本列島を舞台に、混乱する国民と政府、窮状を救うべく力を尽くす人々の姿を圧倒的なリアリティをもって描き、大ベストセラーとなりました。評論家の宮崎哲弥(みやざき・てつや)さんは作者の博捜ぶりに「舌を巻いた」と言います。

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亡くなる5年前、2006年の自叙によれば、小松が「これまでに書いてきたものは、長編が17作、中・短編が269作、ショートショート199作。小説の単行本だけで62冊、このほかエッセイ・評論・ルポなどの単行本が68冊にのぼる」のだそうです(『SF魂』)。
その夥(おびただ)しい数の作品の中で、発行部数を最も伸ばし、社会的影響を及ぼしたのが『日本沈没』でした。
書き下ろし長編『日本沈没』は、1973(昭和48)年3月に刊行され、上下巻合わせて累計460万部に達する空前の大ベストセラーとなりました。同年、映画にもなり、翌年には連続テレビドラマ化されました。日曜日の20時、プライムタイムの放送でした。
日本中が俄(にわか)の「沈没ブーム」に沸き立ち、天変地異の不安に戦(おのの)きました。時に小松左京、42歳。世界11か国語に翻訳され、翌年の日本推理作家協会賞、星雲賞(日本長編部門)をそれぞれ受賞しています。構想に9年を要し、文字通り、満を持した大作でした。
当時まだ生まれていなかった世代にも、この作品の題名だけは知られています。90年代生まれの若い世代においても、小松左京は「『日本沈没』の作家」として認知されている。世間的には、これが彼の代表作であることは動かしがたい事実なのです。
『日本沈没』の主舞台は、登場人物の年齢をもとに計算すると1980年の日本であろう、と推定できます。またリニアモーター超特急の工事が始まり、成田の東京第二国際空港が完成し、大阪湾上の関西第二国際空港も着工済み、といった設定からも、それが作品刊行時点における近未来であることがわかります。
197X年、伊豆・鳥島(とりしま)の東北東で、名もない小島が1夜にして「沈没」するという異常な現象が発生します。独自にこの調査に乗り出したのが、地球物理学者の田所雄介博士。地震の観測データから日本列島に異変が起こっているのを直感し、深海潜水艇の操縦士・小野寺俊夫、M大海洋地質学の幸長信彦助教授と共に小笠原群島沖の日本海溝に潜った田所は、そこに謎の「溝(トレンチ)」と海底乱泥流を発見。調査の結果、数年内に、日本列島の大部分が海面下に沈むという恐るべき予測が導かれる……。これが『日本沈没』冒頭のあらましです。
ストーリーとしてとてもシンプルですが、その単純なプロットにリアリティを吹き込むための工夫は並大抵のものではありません。地質学、地震学、火山学、惑星科学から潜水工学、社会工学、政治学、文化人類学、民俗学まで、幅広い領域の、当時としては最新の知見が随所に盛り込まれ、作者の博捜(はくそう)ぶりに舌を巻きます。
しかも、それらを退屈で冗長な「科学解説」に終わらせていない。しっかりとSF的発想の醍醐味(だいごみ)が加えてあります。例えば、小野寺と幸長の太平洋の火山帯をめぐる会話に割り込むかたちで、田所博士が奔放な想像力を発揮する場面があります。
「わしにいわせれば──人間も植物も珊瑚も、みんな同じようなものだな。とにかく突起があれば、それにまといつく」「小野寺君とかいったな。君はどう思うね? 炭酸カルシウムを定着させて、共同骨格をつくるという点で、造礁珊瑚と、コンクリートの近代都市をつくる人間と、どれほどちがうか?」「それだけじゃないぞ、わしにいわせれば、素粒子の進化から、宇宙の進化にいたるまで、段階はちがうが、非常に似かよった、なにか共通のパターンがかくされている」
現実的認識から一気にSF的想像へと飛び立つ瞬間が描かれています。まさにSFならではの、リアリティを異化することによって新たな、自由な視点を得る感動、「センス・オブ・ワンダー“The Sense of Wonder”」の飛躍といえるでしょう。
■『NHK100分de名著 小松左京スペシャル』より

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