『アルプスの少女ハイジ』を書いたヨハンナ・シュピリとは
- 画/パウル・ハイ 出典/J・シュピーリ作、矢川澄子訳 『ハイジ』 福音館文庫
『アルプスの少女ハイジ』の作品世界をより深く知るために、作者であるヨハンナ・シュピリのことを押さえておきましょう。早稲田大学教授・ドイツ文学者の松永美穂(まつなが・みほ)さんが、シュピリの半生をひもときます。
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1920年(大正9)に日本で最初に『ハイジ』を翻訳した野上弥生子は、その「序」で「作者マダム・スピリイに就(つ)いては、1891年にチュリッヒで亡くなった瑞西(スヰツツル)の婦人著作者であると云(い)ふ事と、「ハイヂ」の外(ほか)に(略)其他可(そのたか)なり沢山な物語(多く子供の為の)を遺(のこ)してゐると云ふ事と、その位(くらゐ)きり知りません」と書いています。1891年に亡くなったと書いてあるのですが、実はヨハンナ・シュピリは1901年まで生きていました。野上が底本にした英訳本の序文の記述が誤っていたのです。
1827年、ヨハンナはスイスの都市チューリヒの南東にあるヒルツェルという山間(やまあい)の村で生まれました。父のヨハン・ヤーコプ・ホイサーは、外科から精神科まで幅広い患者を引き受ける開業医で、母のマルガレータ(通称メタ)・ホイサーは、文学的才能に恵まれた、敬虔(けいけん)なプロテスタントの宗教詩人でした。
7人兄弟姉妹(一人は早逝)の4番目だったヨハンナは、祖母や親戚など多いときには13人くらいの大家族のなかで育ちました。そればかりか医者である父の仕事のため、病院を兼ねた自宅には精神疾患をふくめた入院患者もいた環境です。また、牧師の娘である母メタの書く詩は有名で、スイスの教会で賛美歌の歌詞にもなったそうです。忙しい母親の代わりに、メタの姉レグラ(レーゲリ伯母さん)が子どもたちの面倒を見ることが多かったというエピソードもあります。そのような少女時代の環境は、後年彼女が書いた『ハイジ』のような作品にも、少なからず影響を与えているのではないかと思います。
教養ある市民階級の家庭の娘として育ち、14歳で語学と音楽の勉強のためにチューリヒに出たり、17歳のときにはフランス語習得のために、スイスのフランス語圏の女子寄宿学校に留学したりと、当時の女性としてはかなりしっかりとした教育を受けました。
1852年、25歳のとき、弁護士のベルンハルト・シュピリと結婚して、チューリヒに居を構えます。兄の友人だった夫ベルンハルトは、新聞編集者やカントン(州)議会議員も務める多忙な人で、熱烈なワグネリアン(作曲家ワーグナーのファン)であり、当時チューリヒに亡命していたワーグナー本人とも親交があり、その活動を支援しました。一時期、シュピリ夫妻とワーグナーとの交流はとても親密で、そのためヨハンナとワーグナーの仲が怪しいとの噂が流れたこともあったそうです。
28歳で一人息子ベルンハルトを出産しますが、彼女は妊娠中からひどい鬱(うつ)状態に陥ります。家事も子育ても、さらには上流階級の社交も苦手なうえ、ワーカホリックで年中仕事漬けの夫との暮らしも、決して愉快なものとは言えませんでした。
そのころ、彼女の唯一の救いは、母の友人マイヤー夫人のサロンに通うことでした。社交は苦手でしたが、マイヤー夫人は彼女の良き理解者となり導き手となってくれたのです。
ところが心の支えだったマイヤー夫人は、1856年に自殺してしまいます。絶望したヨハンナが辛うじてよりどころとしたのは、夫人の娘ベツィーとの友情でした。また、のちにスイスを代表する有名な作家となるその兄コンラート・フェルディナント・マイヤーとも交友は続き、お互いに作家となったあとも手紙をやりとりして、相手の作品に対する批評を交わし合うような信頼関係を育んでいます。
鬱は何年にもわたってシュピリを苦しめますが、彼女は読書や詩作に救いを見出します。夫がチューリヒ市議会の法律顧問になる1859年ごろには、だいぶ健康を取り戻していました。
彼女は息子の教育にも関心を注ぐようになります。しかし生まれつき体の弱かった息子は、ドイツのライプツィヒ大学在学中に結核を発症してしまいます。息子の転地療養に付き添って各地へ旅をしますが、そのなかには『ハイジ』に出てくるスイスの町マイエンフェルト近郊のラガーツ温泉での湯治もありました。
その経験から、そこを『ハイジ』の舞台とする着想を得たと言われています。そんなシュピリの作家デビューは、1871年、44歳になってからと遅く、『フローニの墓に捧げる一葉』という大人向けの小説を、イニシャルの「J・S」という匿名で、ドイツのブレーメンの出版社から初版1000部で刊行しました。これは母の友人であるブレーメンの教会の牧師からの依頼で書かれ、売上はすべて普仏(ふふつ)戦争の傷病兵看護にあたる女性たちの支援に寄付するという条件での社会奉仕的な出版でしたが、好評で版を重ねたようです。それをきっかけに彼女は一気にプロの作家への道に進み、子ども向けから大人向けまで、生涯で約50編もの作品を次々と執筆することになるのです。
■『NHK100分de名著 シュピリ アルプスの少女ハイジ』より
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1920年(大正9)に日本で最初に『ハイジ』を翻訳した野上弥生子は、その「序」で「作者マダム・スピリイに就(つ)いては、1891年にチュリッヒで亡くなった瑞西(スヰツツル)の婦人著作者であると云(い)ふ事と、「ハイヂ」の外(ほか)に(略)其他可(そのたか)なり沢山な物語(多く子供の為の)を遺(のこ)してゐると云ふ事と、その位(くらゐ)きり知りません」と書いています。1891年に亡くなったと書いてあるのですが、実はヨハンナ・シュピリは1901年まで生きていました。野上が底本にした英訳本の序文の記述が誤っていたのです。
1827年、ヨハンナはスイスの都市チューリヒの南東にあるヒルツェルという山間(やまあい)の村で生まれました。父のヨハン・ヤーコプ・ホイサーは、外科から精神科まで幅広い患者を引き受ける開業医で、母のマルガレータ(通称メタ)・ホイサーは、文学的才能に恵まれた、敬虔(けいけん)なプロテスタントの宗教詩人でした。
7人兄弟姉妹(一人は早逝)の4番目だったヨハンナは、祖母や親戚など多いときには13人くらいの大家族のなかで育ちました。そればかりか医者である父の仕事のため、病院を兼ねた自宅には精神疾患をふくめた入院患者もいた環境です。また、牧師の娘である母メタの書く詩は有名で、スイスの教会で賛美歌の歌詞にもなったそうです。忙しい母親の代わりに、メタの姉レグラ(レーゲリ伯母さん)が子どもたちの面倒を見ることが多かったというエピソードもあります。そのような少女時代の環境は、後年彼女が書いた『ハイジ』のような作品にも、少なからず影響を与えているのではないかと思います。
教養ある市民階級の家庭の娘として育ち、14歳で語学と音楽の勉強のためにチューリヒに出たり、17歳のときにはフランス語習得のために、スイスのフランス語圏の女子寄宿学校に留学したりと、当時の女性としてはかなりしっかりとした教育を受けました。
1852年、25歳のとき、弁護士のベルンハルト・シュピリと結婚して、チューリヒに居を構えます。兄の友人だった夫ベルンハルトは、新聞編集者やカントン(州)議会議員も務める多忙な人で、熱烈なワグネリアン(作曲家ワーグナーのファン)であり、当時チューリヒに亡命していたワーグナー本人とも親交があり、その活動を支援しました。一時期、シュピリ夫妻とワーグナーとの交流はとても親密で、そのためヨハンナとワーグナーの仲が怪しいとの噂が流れたこともあったそうです。
28歳で一人息子ベルンハルトを出産しますが、彼女は妊娠中からひどい鬱(うつ)状態に陥ります。家事も子育ても、さらには上流階級の社交も苦手なうえ、ワーカホリックで年中仕事漬けの夫との暮らしも、決して愉快なものとは言えませんでした。
そのころ、彼女の唯一の救いは、母の友人マイヤー夫人のサロンに通うことでした。社交は苦手でしたが、マイヤー夫人は彼女の良き理解者となり導き手となってくれたのです。
ところが心の支えだったマイヤー夫人は、1856年に自殺してしまいます。絶望したヨハンナが辛うじてよりどころとしたのは、夫人の娘ベツィーとの友情でした。また、のちにスイスを代表する有名な作家となるその兄コンラート・フェルディナント・マイヤーとも交友は続き、お互いに作家となったあとも手紙をやりとりして、相手の作品に対する批評を交わし合うような信頼関係を育んでいます。
鬱は何年にもわたってシュピリを苦しめますが、彼女は読書や詩作に救いを見出します。夫がチューリヒ市議会の法律顧問になる1859年ごろには、だいぶ健康を取り戻していました。
彼女は息子の教育にも関心を注ぐようになります。しかし生まれつき体の弱かった息子は、ドイツのライプツィヒ大学在学中に結核を発症してしまいます。息子の転地療養に付き添って各地へ旅をしますが、そのなかには『ハイジ』に出てくるスイスの町マイエンフェルト近郊のラガーツ温泉での湯治もありました。
その経験から、そこを『ハイジ』の舞台とする着想を得たと言われています。そんなシュピリの作家デビューは、1871年、44歳になってからと遅く、『フローニの墓に捧げる一葉』という大人向けの小説を、イニシャルの「J・S」という匿名で、ドイツのブレーメンの出版社から初版1000部で刊行しました。これは母の友人であるブレーメンの教会の牧師からの依頼で書かれ、売上はすべて普仏(ふふつ)戦争の傷病兵看護にあたる女性たちの支援に寄付するという条件での社会奉仕的な出版でしたが、好評で版を重ねたようです。それをきっかけに彼女は一気にプロの作家への道に進み、子ども向けから大人向けまで、生涯で約50編もの作品を次々と執筆することになるのです。
■『NHK100分de名著 シュピリ アルプスの少女ハイジ』より
- 『シュピリ『アルプスの少女ハイジ』 2019年6月 (NHK100分de名著)』
- 松永 美穂
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