金秀俊九段、憧れの先生とのたった一度の対局

撮影:小松士郎
昨年パパになり、九段昇段も決め充実している金秀俊(きむ・すじゅん)九段。周囲への気配りと笑顔を絶やさず、でも「納得できる碁は一局もない」と自分には辛口です。今回は「財産になった」対局から「一手」を選んでくださいました。

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■憧れの先生との貴重な一局

僕が趙治勲(名誉名人)先生の門下になったのは、少し意外なのですが、治勲先生のお兄さんの趙祥衍(しょうえん)(七段)先生が韓国で囲碁雑誌を作っていらして、そこにまるで「アルバイト募集」みたいな感じで「内弟子募集」という記事があったんです。治勲先生は韓国でも英雄的存在でしたから、まさかと思って半信半疑で応募したのですね。祥衍先生のお宅に行き、少し面接を受けて、それから一年くらい修行したところでOKをもらい、13歳のときに日本に来ることになりました。よく覚えていないのですが、当時はアマチュア六、七段だったと思います。僕は父の仕事の関係で、実は日本で生まれました。その後も韓国と日本を行き来していたので、語学面での苦労がなかったのはとても運がよかったですね。
それから内弟子生活が始まるわけですが、多いときは内弟子が7人いましたから、狭い部屋でけんかばかりしていました(笑)。でも、先生からはいい影響を受けました。生活面ではとてもよくしてくれて、囲碁は体力も大事ですし、内弟子は息抜きも大事ですので、水泳やテニスなどに一緒に連れていってくれたりと、いろいろ考えてくださっていました。
囲碁の面ではやはり厳しかったですね。細かいミスには何も言われないのですが、石の方向を間違えたりすると叱られました。当時は大変だと思っていましたが、今は、もう一度内弟子生活に戻って勉強し直したい(笑)。少し苦労をしてプロになったのは17歳でしたが、やはり充実した日々でしたね。
今回は、治勲先生の兄弟子でもある加藤正夫(名誉王座)先生との一局から選びました。
加藤先生は、子どものころからずっと憧れていた棋士で、よく並べていたので棋風もだいぶ影響を受けていると思います。「殺し屋」というニックネームのとおり、やはり力がすごく強い。普段はにこにこして優しい先生なのに、相手の大石を取る。そのギャップも魅力的で、子どもながらに引かれていました。
加藤先生がお亡くなりになって、残念ながらこの一局しかお願いすることはなかったのですが、逆に言うと自分の中では本当に貴重な一局で、しかもその碁に勝つことができたので、自分の財産だと思っています。
加藤先生との対局が決まったときは、非常にうれしかった思い出があります。先生は黒番ですと布石の打つ手が大体決まっていましたので、何となく想定はして、対策を立てて臨みました。僕は内弟子時代に治勲先生によく打っていただいていたので、上の先生と当たってもあまり緊張しないという利点があったのですが…加藤先生は大柄ではなかったけれども、非常にオーラがあり、打つ前から迫力を感じましたね。
※後半はテキストでお楽しみください。
※肩書・年齢はテキスト掲載当時のものです。
※この記事は3月10日に放送された「シリーズ一手を語る 金秀俊九段」を再構成したものです。
取材/文:高見亮子
■『NHK囲碁講座』2019年5月号より

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