『アルプスの少女ハイジ』原作とアニメはこれだけ違う
- 画/パウル・ハイ 出典/J・シュピーリ作、矢川澄子訳 『ハイジ』 福音館文庫
19世紀に生きたスイスの作家ヨハンナ・シュピリは、生涯におよそ50の作品を残しましたが、そのなかでもっとも知られているのが『アルプスの少女ハイジ』です。同名のアニメが有名ですが、原作小説を読めば新鮮な感動を味わえるはず、と早稲田大学教授・ドイツ文学者の松永美穂(まつなが・みほ)さんは言います。まず、アニメと原作にどのような違いがあるのか教えていただきました。
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『アルプスの少女ハイジ』と聞けば、おそらく多くの方が、あの有名なテレビアニメを思い浮かべることと思います。高畑勲(たかはた・いさお)監督のもと、宮崎駿(はやお)さんをはじめとする、のちに日本のアニメーション界を牽引することになるスタッフによって制作された作品です。1974年に最初に放送され、のちのスタジオジブリ作品にもつながるアニメシリーズです。スイスの作家ヨハンナ・シュピリの原作小説を丁寧に読み込み、物語の舞台であるスイス高地でのロケハンまで敢行したという力作ですが、1年間で全52話というテレビ放送のためでもあるのでしょう、脚色によって原作を大いに膨らませていて、実はシュピリの小説とは異なる部分がたくさんあります。
例えば、アニメでハイジのおじいさんが飼っているセントバーナード犬のヨーゼフは、原作にはまったく出てきません。アニメでは親切で人当たりのいい男の子のペーターは、原作ではちょっと欲張りだったり嫉妬深い一面を持っています。また、あとで詳しく見ますが、クララの車椅子が壊れてしまうエピソードも、原作とアニメとではまるで違います。口うるさい家政婦のロッテンマイヤーさんは、原作ではアニメのようにクララと一緒に山にはやって来ませんし、クララを診るお医者さんはアニメでは影の薄い存在ですが、原作の後半では重要な役割を担っています。
おじいさんの過去についても、アニメでは「大きな声じゃ言えないけど、若いときには人を殺したっていうじゃないか……」と、第1話に村人の噂話で一言触れられるだけで、あまり印象には残りません。ところが原作では、おじいさんの暗い過去が、冒頭から詳しく語られているのです。さらに、原作では大切な主題となっている宗教的なテーマ、暴力的なシーンは、ともにアニメからは周到に排除されています。
そして、アニメを見てわたしが何よりギャップを感じるのは、ハイジもペーターも最後まで外見がまったく変化しないところです。原作では5年の月日が経って、ハイジは5歳から10歳になり、ペーターも11歳から16歳まで成長するのに、アニメではずっと同じ服を着て、背は全然伸びないし、相変わらず裸足で歩いている(テレビアニメでは致し方ないところなのでしょうけれど……)。
とはいえこのアニメは日本のみならず、ヨーロッパをはじめ世界各国で放送され、海外でも大変な人気を博しました。外国で最初に放送されたスペインでまず大ヒットし、放送時間を大人も見やすい時間帯に変えてくれという抗議デモまで起こったそうです。また物語の舞台のひとつとなるドイツでも繰り返し放送され、ドイツ人の多くは日本のアニメだとは知らずに見ていたというくらいです。
しかし、肝心のスイスではこのアニメは放送されませんでした。「スイスインフォ」というインターネット・サイトの記事によると、長年スイス国営テレビでドイツ語放送局の文化部門を率いた人が、その理由をこう語っています。「日本アニメでは現実が美化されており、スイスの視聴者が持つイメージや習慣、体験からずいぶんかけ離れていたため、このシリーズは拒否されるかもしれないと考えた」。また、いかにも「スイスの典型的なイメージ」であるセントバーナード犬の登場や、「大きな目をした、いつも同じ表情のハイジも批判の対象」となったといいます。
視点を変えれば、もし日本を舞台にしたアニメをスイス人が作ったとしたら、おそらくは日本人も、そこで描かれる日本のイメージに対して違和感を覚えることでしょう。外国映画などでしばしばエキゾチックに美化され、あるいは誇張された日本や日本人に、ギョッとすることがありますよね。そう考えると、先の意見もわかる気がします。
みなさんはシュピリの原作を完訳版でお読みになったことがあるでしょうか? アニメや絵本もいいけれど、原作を読めば、新鮮な感動を味わえるはずです。故郷や家族の喪失からの人間回復の物語は、子どものみならず大人の読者の心も慰め、希望を感じさせてくれることでしょう。普遍的で古びることのない優れた文学作品としての『ハイジ』の魅力を味わい、その秘密を一緒に探っていきましょう。
■『NHK100分de名著 シュピリ アルプスの少女ハイジ』より
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『アルプスの少女ハイジ』と聞けば、おそらく多くの方が、あの有名なテレビアニメを思い浮かべることと思います。高畑勲(たかはた・いさお)監督のもと、宮崎駿(はやお)さんをはじめとする、のちに日本のアニメーション界を牽引することになるスタッフによって制作された作品です。1974年に最初に放送され、のちのスタジオジブリ作品にもつながるアニメシリーズです。スイスの作家ヨハンナ・シュピリの原作小説を丁寧に読み込み、物語の舞台であるスイス高地でのロケハンまで敢行したという力作ですが、1年間で全52話というテレビ放送のためでもあるのでしょう、脚色によって原作を大いに膨らませていて、実はシュピリの小説とは異なる部分がたくさんあります。
例えば、アニメでハイジのおじいさんが飼っているセントバーナード犬のヨーゼフは、原作にはまったく出てきません。アニメでは親切で人当たりのいい男の子のペーターは、原作ではちょっと欲張りだったり嫉妬深い一面を持っています。また、あとで詳しく見ますが、クララの車椅子が壊れてしまうエピソードも、原作とアニメとではまるで違います。口うるさい家政婦のロッテンマイヤーさんは、原作ではアニメのようにクララと一緒に山にはやって来ませんし、クララを診るお医者さんはアニメでは影の薄い存在ですが、原作の後半では重要な役割を担っています。
おじいさんの過去についても、アニメでは「大きな声じゃ言えないけど、若いときには人を殺したっていうじゃないか……」と、第1話に村人の噂話で一言触れられるだけで、あまり印象には残りません。ところが原作では、おじいさんの暗い過去が、冒頭から詳しく語られているのです。さらに、原作では大切な主題となっている宗教的なテーマ、暴力的なシーンは、ともにアニメからは周到に排除されています。
そして、アニメを見てわたしが何よりギャップを感じるのは、ハイジもペーターも最後まで外見がまったく変化しないところです。原作では5年の月日が経って、ハイジは5歳から10歳になり、ペーターも11歳から16歳まで成長するのに、アニメではずっと同じ服を着て、背は全然伸びないし、相変わらず裸足で歩いている(テレビアニメでは致し方ないところなのでしょうけれど……)。
とはいえこのアニメは日本のみならず、ヨーロッパをはじめ世界各国で放送され、海外でも大変な人気を博しました。外国で最初に放送されたスペインでまず大ヒットし、放送時間を大人も見やすい時間帯に変えてくれという抗議デモまで起こったそうです。また物語の舞台のひとつとなるドイツでも繰り返し放送され、ドイツ人の多くは日本のアニメだとは知らずに見ていたというくらいです。
しかし、肝心のスイスではこのアニメは放送されませんでした。「スイスインフォ」というインターネット・サイトの記事によると、長年スイス国営テレビでドイツ語放送局の文化部門を率いた人が、その理由をこう語っています。「日本アニメでは現実が美化されており、スイスの視聴者が持つイメージや習慣、体験からずいぶんかけ離れていたため、このシリーズは拒否されるかもしれないと考えた」。また、いかにも「スイスの典型的なイメージ」であるセントバーナード犬の登場や、「大きな目をした、いつも同じ表情のハイジも批判の対象」となったといいます。
視点を変えれば、もし日本を舞台にしたアニメをスイス人が作ったとしたら、おそらくは日本人も、そこで描かれる日本のイメージに対して違和感を覚えることでしょう。外国映画などでしばしばエキゾチックに美化され、あるいは誇張された日本や日本人に、ギョッとすることがありますよね。そう考えると、先の意見もわかる気がします。
みなさんはシュピリの原作を完訳版でお読みになったことがあるでしょうか? アニメや絵本もいいけれど、原作を読めば、新鮮な感動を味わえるはずです。故郷や家族の喪失からの人間回復の物語は、子どものみならず大人の読者の心も慰め、希望を感じさせてくれることでしょう。普遍的で古びることのない優れた文学作品としての『ハイジ』の魅力を味わい、その秘密を一緒に探っていきましょう。
■『NHK100分de名著 シュピリ アルプスの少女ハイジ』より
- 『シュピリ『アルプスの少女ハイジ』 2019年6月 (NHK100分de名著)』
- 松永 美穂
- NHK出版
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