羽生善治と武豊の邂逅

撮影:河井邦彦
平成の将棋界はどのように動いてきたのか。平成の将棋界をどうやって戦ってきたのか。勝負の記憶は棋士の数だけ刻み込まれてきた。2019年4月からの新連載「平成の勝負師たち」。第2回は、羽生善治NHK杯の後編をお届けする。
前編はこちら

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■平成の三大天才

野球のイチロー選手、競馬の武豊騎手、将棋の羽生善治の3人を「平成の三大天才である」と少しハッタリ気味に書いたのは、いまから17年も前のこと。平成14年の将棋世界10月号、羽生と谷川(浩司九段)の王位戦第3局の観戦記中だった。このとき筆者はすでに主な活動の場を競馬に移していたのだが、元々は将棋が本籍地。足掛け6年在籍した奨励会を年齢制限にかかって退会を余儀なくされたことも含めて、得難い経験をたくさんさせてもらったし、その後も将棋関係の原稿を書くことで20代後半まで生計を立てさせていただいた恩義は忘れられるものではない。
将棋ライター時代に、綿密な取材を重ね、特に力を入れて書いていたのは、将棋世界誌に数年にわたって連載させてもらった「関東奨励会だより」だ。本名以外でモノを書いたのは後にも先にもこれだけで、音楽家の山本直純さんから吟遊詩人の由来をうかがったうえで、「銀遊子」のペンネームを授かったことでも印象に残る仕事だった。
羽生少年の将棋を頻繁に紹介したのもこの連載で、昭和60年2月号に佐藤康光初段―羽生二段の香落ち戦の全棋譜を掲載して、「将来必ず価値の出る棋譜」と断言口調で書いたのも、いまになって少し誇れる気がしている。
羽生の七冠独占のニュースが世間を駆け巡り、そのざわめきが少し収まったぐらいのタイミングだっただろうか。八王子のご実家に取材に伺ったときのことだ。羽生のお母様がわざわざ玄関先まで出て来られて、「片山さん。善治のことを一番最初に褒めていただいたお礼を改めて申し上げます」と深々と頭を下げられたことは一生の思い出としていまも鮮明に残っている。
小学2年生の息子さんが将棋に特別な興味を示していることに気づき、電話帳で探し当てた八王子将棋クラブに連れて行ったというお母様は、目配り気配りの達人でもあった。

■言えなかった決まり文句

武豊騎手と羽生善治の「天才対談」が、あるスポーツ紙の企画で実現したことがある。両者20代半ばのころだ。
たまたま用事があって武の自宅(当時は独身で実家住まいだった)に電話をかけると、大事な対談中というのに本人が電話口に出てきて、「いま、羽生さんが家に来ているんですよ」と小声で言う。続けて「共通の話題がつかめません。助けてください」と来た。
いまでこそ各界のトップと交流を深めて、どんな対談でも難なくこなしてしまう武豊なのだが、羽生という将棋の天才との交流は、順応能力抜群の彼にとっても未体験の違和な存在だったようだ。
無理もない。羽生が将棋界に猛スピードで築いてきた実績は、その将棋の内容を理解できる人でないと実感としては伝わってきにくい。「こんな凄い手を指せる人は、ふだんどんなことを考えているのだろうか」という興味がわいてこそ、棋士との対談は盛り上がるものだろう。
文:片山良三
※後半はテキストに掲載しています。
※肩書はテキスト掲載当時のものです。
■『NHK将棋講座』2019年5月号より

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