江戸が生んだ可憐な花、サクラソウ

匂(にお)う梅(うめ)。花弁は淡い桃色の地に紅紫色の絞りが入る。寛政~文化年間の作出。撮影:丸山 滋
2020年東京オリンピック・パラリンピックを1年後に控え、日本人の美意識や栽培技術が花開いた江戸の園芸を見つめ直す12回シリーズ「大江戸 花競(くら)べ 十二選」が『趣味の園芸』でスタートしました。第1回は300年以上にわたって育てられてきたサクラソウ、その秘密とは。育てやすく可憐な花の魅力を、園芸研究家の小笠原左衛門尉亮軒(おがさわら・さえもんのじょうりょうけん)さん、小笠原 誓(おがさわら・せい)さんに教えてもらいました。

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■江戸が生んだ可憐な花

サクラソウとは
サクラソウ科サクラソウ属(プリムラ属)の多年草で、シーボルトが初めてヨーロッパに紹介し、学名に自身の名前をつけてプリムラ・シーボルディー(Primula sieboldii)としました。
日本産サクラソウ類には、山間での湿地などに自生する大型のクリンソウ(P. japonica)のほか、小型のヒナザクラ(P.nipponica)などがあり、山野草として栽培されていますが、サクラソウは属を代表する種であると同時に、伝統園芸植物として別格の地位にあります。
かつては荒川下流域など関東地方を中心とした河川敷や里山の落葉樹林の林床などに広く自生し、春を告げる草花として人々に親しまれていました。

■自慢の新花で花競べも

「我が国は草も桜を咲きにけり」。江戸時代中期の俳人、小林一茶が詠んだ句です。享保年間(1716〜36年)、関東地方に多く見られた自生種をもとに江戸で栽培が始まった様子が『櫻草作傳法』( 天保年間[1830~44年]。写本で伝わる)に記載されています。
自生種の花はやや濃いめのピンクですが、園芸種としては趣味人の富永喜三郎が戸田ヶ原(埼玉県)で絞り花を見いだし、'須磨の浦'と名づけ、栽培を始めたのが最初だといわれています。以後、実生で品種づくりが試みられ、辻武助が今日にも伝わる銘花の数々を作出しました。
天明から寛政年間(1781〜1801年)には、辻武助が江戸下谷に住んでいたことから、近所の人たちの間で栽培が流行。実生花の集会(持ち寄り展示会)を企画し、八十八夜の前後(5月1日ごろ)に「花闘」を開催して、優劣を極めたそうです。持ち寄る花は新花で、一人3種までなどの決まりからも、当時の熱狂ぶりがうかがえます。
のちの明治以降に生まれた品種も含め、現在も約300品種が趣味の会を中心に栽培されています。
※続きはテキストでお楽しみください。
■『NHK趣味の園芸』2019年4月号より

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