与謝野晶子と古典文学

「かりん」同人の松村由利子(まつむら・ゆりこ)さんが、古典文学の現代語訳に心血を注いだ歌人、与謝野晶子(よさの・あきこ)について解説します。

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与謝野晶子は、非常に幅広く仕事をした歌人ですが、とりわけ力を注いだのが、『源氏物語』をはじめとする古典文学の現代語訳でした。最初に手がけたのは、一九一二年から翌年にかけて刊行された『新訳源氏物語』です。それから、一九一四年の『新訳栄華物語』、一九一六年の『新訳紫式部日記 新訳和泉式部日記』、『新訳徒然草』と、三十代の後半においてたいへん精力的に取り組みました。
これらの仕事の背景には、晶子が少女時代から古典文学に触れ、自らの糧としてきたことが関わっているでしょう。『みだれ髪』の浪漫性やヨーロッパ的な雰囲気といった新しさは人々を魅了しましたが、歌のしらべには古典の息吹が豊かにあふれています。それは、晶子自身が「歌を詠むにしても万葉集や古今集を少しも旧臭(ふるくさ)いとは思はない。あの時代の秀歌を参考にして新しい自分の歌を建てる事を力(つと)めてゐる」(『一隅より』)と書いていることからもわかります。歌を作るときは、夫・寛(鉄幹)と音読し合い、しらべを耳で確かめながら仕上げたというエピソードも、古典和歌と晶子の深い関係を思わせます。
源氏をば十二三―にて読―みしのち思―はれじとぞ見つれ男を

与謝野晶子『朱葉集』


晶子にとって『源氏物語』は十代のころからの愛読書であり、現代語訳は大切なライフワークでした。『新訳源氏物語』は抄訳だったので、晶子は刊行後まもなく全訳に取り組み始めました。一九二三年九月、全五十四帖のうち四十四帖まで訳し終え、「宇治十帖」と呼ばれる十帖を残すところまで来たとき、関東大震災が東京を襲いました。大切な原稿は用心のため、勤務先の文化学院に預けられていました。皮肉なことに自宅は火災を免れたのに文化学院は焼け、原稿はすべて燃えてしまいました。
十余年わが書きためし草稿の跡あるべしや学院の灰

同『瑠璃光』


短歌や評論、童話の執筆などに追われる多忙な「十余年」を費やして書いた原稿でした。それが一夜で失われたのですから、さすがの晶子も打ちのめされる思いだったに違いありません。
けれども、彼女はあきらめずに再び取り組みました。震災から一五年後の一九三八年から、ついに『新新訳源氏物語』(全六巻)の刊行が始まりました。このとき晶子は六十歳、刊行の前年には脳卒中を起こすなど、心身の衰えを痛感していました。
■『NHK短歌』2019年3月号より

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