「大衆」とは誰か

著書『大衆の反逆』の中で、オルテガはどのような人々を「大衆」と称したのでしょうか。評論家で東京工業大学教授の中島岳志(なかじま・たけし)さんにうかがいました。

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オルテガが言う「大衆」とはどんな人間か。これは、「エリート対大衆」というような階級的な概念ではありません。では何かと言えば、近代特有の「mass man」、大量にいる人たちのことだ、というのがオルテガの考えです。
しかも、「根無し草」になってしまった人たちであるというところがポイントです。自分が意味ある存在として位置づけられる拠り所のような場所、つまり「トポス」(ギリシャ語で「場所」の意)なき人間のことです。自分が依って立つ場所がなく、誰が誰なのかの区別もつかないような、個性を失って群衆化した大量の人たち。それをオルテガは「大衆」と呼びました。
だから、単なる「庶民」とは大きく異なります。むしろ彼は「庶民の世界」を高く評価していました。決して裕福ではなく、学があるわけではない、けれどトポスをもった人──たとえば、親から継いだ商売を何十年も真面目に営んで、それを後継者にしっかりと手渡したような人は、オルテガにとって「立派な人」なのだと思います。
自分の居場所をもち、社会での役割を認識していて、その役割を果たすために何をすべきかを考える人。それが、彼にとっての本来的な「人間」だった。近代人はそうではなくなり、「大衆」化してしまっている。そして、その「大衆」は、たやすく熱狂に流される危険があるというのが、「大衆の反逆」という問題設定なのです。
では、そうした「大衆」はどのように生まれてきたのか。オルテガはこう説明しています。19世紀ヨーロッパにおいては、都市に人口が大量に流入してきた。同時に、医療衛生などが急速に進化したことによって、端的に言えば人が「死ななくなった」。その結果、人口が急増した。
それも、農村部の伝統社会で増えるのではなく、都市部で膨大な数の群衆が一気に増えるという現象が起こってきた。それに伴って生まれてくる密集や充満を、オルテガは嫌いました。彼の文章を読んでいると、おそらく彼が現代に生きていたら、満員電車が大嫌いだっただろうなと考えてしまいます。
一八〇〇年から一九一四年までに──したがって、ほんの一世紀あまりのあいだに──ヨーロッパの人口は一億八千万から四億六千万にはねあがったのである! 
 
この二つの数字の隔たりは、過去一世紀がさかんな増殖力をもっていたことを明白に物語っていると、私は推察する。この三世代のあいだに、人間の巨大な塊が生産され、それが歴史の平野に奔流のように投げだされ、氾濫したのである。
同時に、この増加がめまぐるしい速さで起こったということ、「拙速」ともいうべき「速さ」に対する嫌悪も感じられます。
このめまぐるしい速さは、歴史のなかに、おびただしい数の人間を加速度的な勢いでそれからそれへと投げだしたので、かれらを伝統的文化で満たしてやることが容易でなかったことを、意味している……
つまり、さまざまなものが蓄積されてきた世界から、根無し草の群衆ばかりの世界へと、人々が追いやられてしまった。それがたった3世代ほどの間に起こったので、多くの人が依って立つものを失ってしまった、と言っているわけです。
こうした急速な変化の背景には、19世紀を通じて起こった、産業化による農村社会から工業社会への変動がありました。この変化によって、農家の次男、三男は食べていけなくなり都市に出るしかなくなっていく。一方で、工業化が進む都市部では大量の労働者が求められていたので、需要と供給がマッチし、都市に多くの人々が流入しました。
そうして都市に出てきた人たちは、自分が自分であることを担保してくれる場所、つまりトポスを捨ててきています。農村ではローカル共同体の構成員として意味づけられた存在だった彼らが、都市の労働者となり、代替可能な記号のような存在として扱われるようになっていくのです。
こうした概念を、どちらかというと肯定的にとらえたのが、ドイツの社会学者であるテンニエスです。
彼は、農村のような、地縁や血縁で人間が拘束されている社会を「ゲマインシャフト」、個人と個人の契約などによって成り立っている社会を「ゲゼルシャフト」と呼び、近代社会は必然的にゲマインシャフトからゲゼルシャフトへ移行していくと述べました。進化していく社会の中では、ゲマインシャフトのような古き共同性はもはや必要とされていないと考えたのです。テンニエスはオルテガより少し年上、ほぼ同じ時代を生きた人ですが、オルテガとは正反対の立ち位置を取った人だと言えるでしょう。
■『NHK100分de名著 オルテガ 大衆の反逆』より

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