柳 時熏九段、天元戦挑戦手合で放った「渾身の一手」

撮影:小松士郎
厚みを華麗に操る棋風の柳時熏(りゅう・しくん)九段。後輩棋士たちに慕われ、愛妻家としても知られています。今回は、初の七大タイトル「天元」を獲得した忘れられない一手、そして、若かりし日々のことを語っていただきました。

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■「漫画の世界に入ったような感覚」

僕が韓国の院生だったころは、教科書といえば日本棋院の囲碁年鑑でした。そこに載っている棋譜を並べて勉強していたのですね。趙治勲先生、加藤正夫先生、武宮正樹先生、小林光一先生…挙げればきりがない先生方の
棋譜を並べながら「こういうふうに強くなりたいな」という気持ちを抱いていました。当時は日本が世界で最も囲碁が強い国でしたので、今で言えば野球選手がアメリカに行くように、「メジャーに行きたい」という気持ちで日本に来ることを決めました。
来日してから、僕は院生時代が短くて10か月くらいでプロになれたのですが、当時はその10か月がものすごく長く感じられました。毎日必死に勉強していたので、入段できたときのうれしさは今でもよく覚えています。でもしばらくは、勝ち上がっていくと大先生方に当たるわけですが、まるで歯が立たないのですね。「まだまだ弱いんだ」と思い知らされることの繰り返しでした。
3年目あたりから少し成績がよくなって、皆さんに覚えてもらえるようになりました。そのころは、昔、囲碁年鑑を見て一生懸命棋譜を並べていた方たちと戦っているというのが不思議で、自分が漫画の世界に入ったみたいな感じでした(笑)。そして6年目に、いきなり天元戦の挑戦者になってしまったのですね。当時、皆さんには強い強いと言われていたのですが、今振り返るとまだそんなに強くはなかった。ただちょっと勢いがあって、挑戦者になれたのかなと思います。
相手は林海峰先生です。人格も、碁に対する姿勢もすばらしく、学べるところがたくさんある先生で、当時も今も尊敬しています。僕が林先生の碁の強さを語るのはおこがましいのですが、非常に打つ手の幅が広いところでしょうか。「こういうふうに打たれるかな」と思っても全然違うところにやってくる。先生の手は予測ができないのですね。
天元戦の五番勝負は、2勝1敗になり…当時は二十代の挑戦者は珍しく、ましてやタイトルを取るようなことはほとんどなかったので、僕に対する注目度がかなり高くて、緊張と圧迫感から眠りが浅くなった記憶があります。でも、地方を回り、大勢の方に歓迎されて、すばらしい環境を用意していただける。そうした喜びのほうが大きかったですね。
そして迎えた4局目の局面図です。林先生は、いつもの得意戦法で足早に稼がれてきました。このままでは地が足りなくなりそうだと思い、次の手を渾身(こんしん)の力を込めて打ったという記憶が強く残っています。

※後半は『NHK囲碁講座』2019年2月号に掲載しています。
※この記事は12月9日に放送された「シリーズ一手を語る 柳 時熏九段」を再構成したものです。
取材/文:高見亮子
■『NHK囲碁講座』2019年2月号より

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