「おいしいもの」を詠む

「群青」共同代表で「銀化」同人の櫂 未知子(かい・みちこ)さんが選者を務める『NHK俳句』の「俳句さく咲く!」。2019年2月号では「おいしいものに会えたなら」と題し、食べ物を詠んだ句を紹介しています。

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今月のテーマは、「おいしいものに会えたなら」です。
俳句は、ある点においてとても特殊な文芸です。それは、「俳句ってヘンだ」ということではなく、食べ物が作品の中心になることもある、という意味なのです。
たとえば、短歌において、ある食べ物が一首の中心になることはあるでしょうか。相当数の歌を調べたならば、ときたま見つかるかもしれませんが、多くの歌はある食品(野菜なども含む)を軸にして、作者の思いを述べる方向にゆくことでしょう。現代詩においても、状況はおそらく同じです。手元にある百冊ほどの詩集のうち、一部を久し振りにめくってみましたが、「食べ物がメイン」の詩はありませんでした。
では、なぜ、俳句では「おいしいもの」が一句の中心になり得るのでしょう。それは、食べ物の季語が多いことと、わずか十七音しか使えない詩型においては、それ以外のことについて言及できないからではないかと思われます。
たとえば、季語になっている食べ物について考えてみます。こんな例句を作ってみました。
草餅やこの頃とみに母のこと

未知子


「草餅」は春の季語で、どことなく鄙(ひな)びており、郷愁を誘います。ですから、つい「母」のことを思ってしまうのですね。しかし、思いを述べるのはそこまで。この句のメインは、春の訪れを告げる草餅の色であり、香りですね。
煮凝(にこごり)にするどき骨のありにけり

大牧広(おおまき・ひろし)


「煮凝」は冬の季語です。かつての日本家屋はあまりにも寒くて、黙っていても翌朝には煮凝ができたものでした。この句、ある種の裏切りにあったかのような、作者の複雑な心境がうかがえます。ペーソスに満ちた、そして深い味わいのある作品です。
海鼠(なまこ)切りもとの形に寄せてある

小原啄葉(おばら・たくよう)


冬の季語「海鼠」は歳時記の分類では動物の項目に入ります。しかし、この句の海鼠は調理直前ですから、半ば生活の季語として扱ってしまってもいいのかもしれません。かつて私は、「現時点(2005年)で最も恐ろしいと思っている句」といった評を書いたことがあります。そして、「さらに怖いのは、この句はホラー句ではなく、あくまでも『食』の句だということ」と書きました。
白葱(しろねぎ)のひかりの棒をいま刻む

黒田杏子(くろだ・ももこ)


「葱(白葱)」は歳時記の分類では冬の植物の項目に入ります。しかし、海鼠の句同様、生活感のある季語として考えるのもよいかと思いました。中七(なかしち)の「ひかりの棒」、こうはなかなかいえません。身近な、そして常備している野菜を「刻む」行為は、生きてゆくうえで欠くべからざることです。ありふれたものを詩のレベルにまで昇華させた作品として、語り継がれるべき句だと思います。
■『NHK俳句』2019年2月号より

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