『風と共に去りぬ』に見るキャラクターづくりの秘密
小説『風と共に去りぬ』の主要登場人物の1人、レット・バトラーを、萌え要素満載の「ドS男子」と評する翻訳家の鴻巣友季子(こうのす・ゆきこ)さん。どこか既視感のあるキャラクターは、作者のマーガレット・ミッチェルが意図的に既存のキャラクターたちを“再活用”した結果生まれたものでした。鴻巣さんは、このキャラクターづくりの手法が、この作品をベストセラーに導いた大きな要因の一つだと考えています。
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レットのからかいや挑発、仕草などを見ていると、まさに現代のアニメや漫画がコマ割りで見えてくるようです。実際、俳人で文芸評論家の千野帽子(ぼうし)さんは『風と共に去りぬ』の楽しみ方指南として、「レット・バトラーをアニメキャラとして消費せよ」という記事を書いています。その中で千野さんは、「愛を語りながら金の算段か。女の本性ってやつだな」というレットの決めゼリフを、いろいろなアニメのキャラクターに言わせてみようと提案しています。たとえば、『機動戦士ガンダム』のシャア、『ルパン三世』の石川五ェ門、『ドラえもん』のスネ夫、などなど。
わたしはこれを読んだとき、とてもおもしろく思うと同時に、やっと『風と共に去りぬ』が、作者の意図したところに戻ったような気がして、深い感慨に打たれました。千野さんは、レットを見て「まるでシャアみたいだな」とまず思い、そこからさまざまな別のキャラクターを召喚して合成を行った。これは、ミッチェルが『風と共に去りぬ』のキャラクターづくりをしたときの発想と手順にそっくりなのです。
ミッチェルはモダニズム文学に背を向けて、19世紀イギリスのヴィクトリア朝文学を参考の一つにこの小説を書き上げました。刊行されると、一部からは人物造形が嘘っぽい、ステレオタイプで陳腐だという批判が、特にレット・バトラーに関してあったようです。そうした声に対し、ミッチェルは恬(てん)としてこう応えています。「わたしのキャラクターはたんなるコンポジット(合成物)ですから」。つまり、一回性のオリジナリティなるものを求めて同時代の作家らが汲々(きゅうきゅう)としているときに、「いや、わたしのキャラはリユース(使い回し)だから気にしないで」と言ってのけているわけです。19世紀の大ヒット小説『セイント・エルモ』の主人公を引き合いにレットを評した作家には、「レットはきっと、セイント・エルモかロチェスター(1847年刊のシャーロット・ブロンテ『ジェイン・エア』の恋人役)に準(なぞら)えられると思っていましたから」と嬉々としたようすで書き送り、レットがストック・フィギュア(類型的な役割を演じる出来あいのキャラ)だという指摘に対しては、「時代遅れ、あるいは時流に合わなくなったキャラクターたちをひとまとめに捨ててしまうより、彼らがかつて生きていた時代背景のなかで再活用できるならした方がいいと思います」とあっさり述べています。要するに、自分のキャラのモデルは目の前のリアルな人間ではなく、徹底的に二次元ベースだと言っているのです。
ミッチェルは、ときに前衛作家もかくやという斬新な文体と話法を取り入れてこの小説を書いているのですが、人物造形にはあえて既視感のある、「ああ、これ知っている」という前時代的なストック・キャラクターを再利用したのですね。これが、スタイリッシュだけれど読みやすい、世紀のベストセラーが生まれた秘密だとわたしは考えています。新しい南部小説を書くのだと意気込んで、文体も人物造形も何もかも新しくしてしまったら、おそらくもう少し近寄りがたくなり、これほど読まれるものにはならなかったでしょう。
また、このキャラクターづくりの姿勢と手法は、非常にリプロダクティブ(再生性が高い、応用がきく)です。そのため、映画、舞台、続編小説など数々の二次作品が生まれる。これもまた、本作が刊行から八十年余りの時を経てなお古びない理由の一つではないかと思います。生まれながらの古典にして同時代文学。それが『風と共に去りぬ』なのです。
■『NHK100分de名著 マーガレット・ミッチェル 風と共に去りぬ』より
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レットのからかいや挑発、仕草などを見ていると、まさに現代のアニメや漫画がコマ割りで見えてくるようです。実際、俳人で文芸評論家の千野帽子(ぼうし)さんは『風と共に去りぬ』の楽しみ方指南として、「レット・バトラーをアニメキャラとして消費せよ」という記事を書いています。その中で千野さんは、「愛を語りながら金の算段か。女の本性ってやつだな」というレットの決めゼリフを、いろいろなアニメのキャラクターに言わせてみようと提案しています。たとえば、『機動戦士ガンダム』のシャア、『ルパン三世』の石川五ェ門、『ドラえもん』のスネ夫、などなど。
わたしはこれを読んだとき、とてもおもしろく思うと同時に、やっと『風と共に去りぬ』が、作者の意図したところに戻ったような気がして、深い感慨に打たれました。千野さんは、レットを見て「まるでシャアみたいだな」とまず思い、そこからさまざまな別のキャラクターを召喚して合成を行った。これは、ミッチェルが『風と共に去りぬ』のキャラクターづくりをしたときの発想と手順にそっくりなのです。
ミッチェルはモダニズム文学に背を向けて、19世紀イギリスのヴィクトリア朝文学を参考の一つにこの小説を書き上げました。刊行されると、一部からは人物造形が嘘っぽい、ステレオタイプで陳腐だという批判が、特にレット・バトラーに関してあったようです。そうした声に対し、ミッチェルは恬(てん)としてこう応えています。「わたしのキャラクターはたんなるコンポジット(合成物)ですから」。つまり、一回性のオリジナリティなるものを求めて同時代の作家らが汲々(きゅうきゅう)としているときに、「いや、わたしのキャラはリユース(使い回し)だから気にしないで」と言ってのけているわけです。19世紀の大ヒット小説『セイント・エルモ』の主人公を引き合いにレットを評した作家には、「レットはきっと、セイント・エルモかロチェスター(1847年刊のシャーロット・ブロンテ『ジェイン・エア』の恋人役)に準(なぞら)えられると思っていましたから」と嬉々としたようすで書き送り、レットがストック・フィギュア(類型的な役割を演じる出来あいのキャラ)だという指摘に対しては、「時代遅れ、あるいは時流に合わなくなったキャラクターたちをひとまとめに捨ててしまうより、彼らがかつて生きていた時代背景のなかで再活用できるならした方がいいと思います」とあっさり述べています。要するに、自分のキャラのモデルは目の前のリアルな人間ではなく、徹底的に二次元ベースだと言っているのです。
ミッチェルは、ときに前衛作家もかくやという斬新な文体と話法を取り入れてこの小説を書いているのですが、人物造形にはあえて既視感のある、「ああ、これ知っている」という前時代的なストック・キャラクターを再利用したのですね。これが、スタイリッシュだけれど読みやすい、世紀のベストセラーが生まれた秘密だとわたしは考えています。新しい南部小説を書くのだと意気込んで、文体も人物造形も何もかも新しくしてしまったら、おそらくもう少し近寄りがたくなり、これほど読まれるものにはならなかったでしょう。
また、このキャラクターづくりの姿勢と手法は、非常にリプロダクティブ(再生性が高い、応用がきく)です。そのため、映画、舞台、続編小説など数々の二次作品が生まれる。これもまた、本作が刊行から八十年余りの時を経てなお古びない理由の一つではないかと思います。生まれながらの古典にして同時代文学。それが『風と共に去りぬ』なのです。
■『NHK100分de名著 マーガレット・ミッチェル 風と共に去りぬ』より
- 『マーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』 2019年1月 (100分 de 名著)』
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