樋口毅宏論・復帰編 樋口毅宏『東京パパ友ラブストーリー』

東京パパ友ラブストーリー
『東京パパ友ラブストーリー』
樋口 毅宏
講談社
1,512円(税込)
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 昭和から平成初期にかけてのプロレスをテーマにした『太陽がいっぱい』が小説家として引退作品だった樋口毅宏が帰ってきた! と言いたいところだが、引退前に書いていた『アクシデント・レポート』もその後に出ているし、「小説現代」にも二作ほど短編が掲載されている。実際問題として引退してなくね?と思う樋口ファンもいることだろう。僕もそのうちの一人である。そんなわけで新作が出たのでご紹介です。

 「引退」してもすぐに復帰、で引退、復帰とか繰り返すと「小説界の大仁田厚」になってしまうわけだが、プロレスというのは当然ながら一人では成り立たず、相手とファンがあってこそ成り立つショービジネスだ。
しかし、今作『東京パパ友ラブストーリー』は引退発言後に、樋口さんが主夫になってから書いた長編という意味ではまぎれもない復帰作である。内容は以下のようなものだ。

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パパ友どうしの恋。
ゴーギャンにはなれない、おまえも、俺も。一度きりの人生を、後悔して生きていく。後悔したことさえ忘れて。

有田豪儀と鐘山明人は、同じ保育員に子どもを預けている。とはいえ、豪儀はファンドマネージメントのCEOで多忙を極めているため、朝、娘の亜梨を保育園に送っていくだけ。対して明人は、妻が美砂がタレント議員でこれまた多忙のため、ワンオペ、育児かつ家事全般を請け負っている。
互いに顔見知り程度だったが、ある日、明人はLINEで豪儀を飲みに誘う。「お互いイクメンとして妻の悪口を言い合おうよと」。その晩、ゲイ不倫という地獄の釜の蓋が開いたのだった−−。
これは復讐なのか? 完璧な妻に対して、自分より稼ぐ妻に対しての。

ミソジニー、嫉妬、仕事ができない焦り、不公平感......ゴーギャンになりきれなかった男たちの思いが炸裂し、疾走する!
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 ふたりの父親による、パパ友同士のBLという、これまでの樋口作品からはあまりにも違うもののように感じられるストーリーであり、ドラマ『おっさんずラブ』がヒットしたこともあり、樋口さんもBLに寄せてきたのかと一瞬思わなくもない。
仕事をバリバリできる豪儀と、育児と家事の全てを請け負っている主夫の明人という対照的な二人が友情を育むだけではなく、それを越えてしまうという同性愛不倫が話のメインになっている。
互いに損なわれてしまったものを求め合うような、補うような関係性は男女の恋愛モノだけのものではないし、主婦をしている女性にも明人の主夫として感じていることや家事育児の大変さについて共感する人は多いのではないだろうか。
彼らは家庭では父として夫として役割を担っているが、どこか家族になってしまった妻との関係や、自身の仕事においての力量や将来について感じていることを誰かに伝えたくてもできない。それがたまたま子供が同じ保育園という縁で知り合った年も離れたふたりが飲み友達では終わらずに、同性だが体を重ねてしまうということはどれだけの人が理解できるのだろう?

 実際問題として、共感をする人は多いのではないかと読み終わって僕は感じた。そもそも、樋口毅宏引退作品である『太陽がいっぱい』で描かれた昭和プロレスにしても、ホモソーシャルな関係性がある。今作は樋口作品では初のBLというニュアンスだが、彼が描いてきた小説にはどれもホモソーシャルな男性社会が描かれていた。
どヘテロな男性が樋口毅宏作品の主役だったとも言えるだろう。そう考えると新作におけるパパ友の恋はさほど違和感がない、延長線上のようにも思えてくる。また、『おっさんずラブ』のようなBL的な需要とは少しズレているということも感じる。

 『東京パパ友ラブストーリー』における樋口作品におけるシスジェンダー男のヘテロが持っている、あるいは所属しているホモソーシャルな関係性と、『おっさんずラブ』をはじめとする所謂腐女子と呼ばれる人たちが好むBL的な関係性や、そのはじまりとしての「花の24年組」の漫画家たちが描いた少年同士の性愛とその身体性、そこからコミケを通じて広まってBLに発展したやおい文化というのは男性同士の性愛を描いていても、受け手の求めるベクトルがそもそも違う質のものであると言えるだろう。

 樋口毅宏作品をデビュー作から読んできた者としては、今作が小説家としての「復帰作」と言える。テレビにも出てタレント活動もしている弁護士の奥さんと結婚し、作家を引退してから子供をもうけて主夫をしている樋口さんがこの作品を書かないといけなかったわけを僕なりに考えてみた。

 昨今の#me too問題などの女性差別やミソジニーに対してのフェミニズムの発言や運動で、男性はそれまで当たり前だったと思っていたものが崩れていると感じている。そんなことをいったらセクハラになるなら女性とは話せないなどという発言もネットで見たり聞いたりもする。そもそも家父長制の中で育ってきた男子が母や姉や妹よりも家の中では偉い存在として扱われてきたこと、あるいは社会に出てからも同じ能力でも女性の方が所得が低かったり、出世が遅れるということが当たり前にあった。もう、そういう時代ではないのでいい加減にそんな意識を変えていかないといけないのは自明のことである。しかし、今まで当たり前だと思ってきたものを急に変えるのはなかなか難しい。
ウォール・ストリートの超高給取りたちですら、女性と話したり飲みにいったりするとどこでセクハラだと言われて、自分のキャリアを失うかもと男同士でつるむのが一番ということになっているというニュースもあった。

 妻と子供がいる夫が不倫するのがほかの女性というわけではなく、同性のパパ友であることが、現在の男女関係においてのリアルさに通じている部分が今作にはある。
というのが一般的に考えられるこの作品のBL要素が描かれた理由として考えられるのだと思う。
著者の樋口さん自身も育児エッセイ『おっぱいがほしい』で書いているように、結婚したら妻が変わってしまったとおもしろおかしく書いていて、育児に関しても自分がやっているのがわかる。離婚だ!と喧嘩になるという赤裸々なことも書かれるが、やはり子供は可愛く離れたくないという親心も感じさせる。そういう状況において樋口さんが浮気をするだろうか? チャンスがあればするかもしれないという可能性はないとは言えないが、今作で出てくるふたりの主人公は樋口毅宏という個人であり小説家の部分が半分に分かれて投影されているキャラクターに思えてくる。
つまり豪儀と明人が結ばれるということは、妻以外の女性に手を出せない夫としての樋口さんの半身同士が求めあっている形に見える。自分同士がセックスしているというとニュアンスがわかりづらいかもしれないが、それは再生するために半身同士で再統合しているように思えてくる。
内容説明にある「パパ友どうしの恋」というのは、そのことをうまく示している。恋はひとりでもできるはずだから、しかし、愛にはたどり着かない。愛には他者の存在が必要になってくるからだ。

 かつての自分と今の自分をこの先の未来に生かすために再統合させたのだとすれば、この先も小説を書いていくという意思表示になるだろう。だからこそ、この『東京パパ友ラブストーリー』は樋口毅宏復帰作と言えるのではないだろうか。あとはすぐにまた引退と言いださないことを祈るのみだ。

文/碇本学(Twitter : @mamaview

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