心に染み入る思い

『NHK短歌』2018年12月号では、「塔」選者の真中朋久(まなか・ともひさ)さんが温かい飲み物や煮物をテーマとした短歌を挙げ、解説します。

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薄暗き店の照明(あかり)は吾が好み珈琲は濃きを疑わざりき

上野久雄(うえの・ひさお)『炎涼の星』


作者は山梨県の甲府で喫茶店を営んでいました。この作品の直前には「階段を拭く吾の手を跨ぎゆくわが顧客銀行員御一行様」などあって、苦々しい思いをすることもあったのでしょう。だからコーヒーを苦くしようというわけではなく、コーヒーは濃く淹(い)れてこそ美味(おい)しいのだという信念を持っているようです。そもそも濃さと苦さは別のこと。プロが淹れるコーヒーは不快な苦さを感じさせないものです。少しあとには「珈琲よもっと脹めさびしかる店主の注ぐ熱き湯浴びて」があって、孤独でありながら、コーヒーを淹れることを楽しんでいるようでもあります。
結句「疑わざりき」の過去形は、かつてそうであったというだけでなく、今も変わらないことに気づいたり、あらためて意識したりしていることを示します。
よき椅子(いす)に黒き猫さへ来てなげく初夏晩春の濃きココアかな

北原白秋(きたはら・はくしゅう)『桐の花』


大正時代ののびやかな風俗です。何を嘆いているのかわかりませんが、寒さを感じる季節なら濃厚で熱いココアで身体(からだ)が温まるところ、そろそろ冷たいものが欲しくなる「初夏晩春」です。この作品、黒き猫は、暗い色のココアが出て来る伏線にもなっていますが、調べてみると、猫の体にはチョコレートやココア(つまりカカオを原料とするもの)は毒になるので食べさせてはいけないのだそうです。この作品に、そういう含みがあるとは思えませんが、いずれにしても猫は熱いものが苦手でしょう。「なーんだ、ミルクじゃないんだ」という黒猫の表情が浮かぶようです。
■『NHK短歌』2018年12月号より

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