文明開化の味がする、発祥の店の牛鍋

厚切りの肉に焦げやすいみそベースのたれをからませる。ほどよく火を通しておいしく仕上げるには、熟練の技が必要。こちらでは、仲居さんが手際よく調理をしてくれる。撮影:田渕睦深
明治の世になってそれまでは避けられていた肉食が奨励され始めると、一気に広まったのが牛鍋です。その発祥の店は、今も横浜で健在。当時のレシピを守りながら、熱気あふれる時代の味を伝えています。

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2019年に開港160年を迎える横浜。開港をきっかけに外国からもたらされた物や文化は数多くありますが、牛肉を食べる習慣もそのひとつです。
江戸時代以前の日本では、牛肉は穢(けが)れとみなされ、薬用以外の目的で口にするものではありませんでした。それが一般へと普及し始めたのは、1872(明治5)年。明治天皇が宮中で牛肉料理を召し上がったことがきっかけ、とされています。横浜では、牛肉をたれで煮込んだ鍋を提供する店が次々に開店。「文明開化の味」として人気を博しました。
このとき、流行のさきがけとなった牛鍋発祥の店は、今も横浜でのれんを守り続けています。
「厚切りにした牛肉をみそだれで煮込む調理法は、創業時から変わっていません」と、老舗牛鍋店7代目の青井茂樹さん。
「初代は、もともと牛肉を串焼きにして売っていましたが、1868(明治元)年に鍋屋を開業。臭み消しとしてたれをからめ、これを薬味のねぎと一緒に煮込む方法を編み出しました。浅い鉄鍋を使うのは、火が通りやすいようにという工夫です」
一度見たら忘れない肉の厚みには、愉快なエピソードも。
「大酒飲みだった初代は仕事中も酒を飲んでいたそうで、肉を薄く切るのが面倒になってぶつ切りにしたところ、かえって評判を呼んだとか。ただし一方では、居留地の外国人の習慣を真似して厚切りにした、という説もあるんですよ」
どちらが正解かはさておき、当時の横浜は、開港に伴って各地から集まった人たちで、たいそうなにぎわいを見せていました。そんな中、牛鍋は、庶民の食べ物として広まったのです。
おいしさのポイントは、肉によく火を通しつつ、みそだれを焦がさないようにすること」と青井さん。
食卓に運ばれてくるのは、肉を並べて割り下を注ぎ、たれとねぎだけを盛りつけた深さ1.5cmほどの鉄鍋。これに焼き豆腐やしいたけなど、ほかの具材を加えながら炭火にかけます。みそだれがくつくつと湯気を立て始めると、甘やかな香りがふわっと立ちのぼります。
「たれの配合は、代々口伝です。みそにみりんなど数種の調味料を加えて混ぜ、大鍋でひと晩寝かせています」(青井さん)
肉に火が通ったらできあがり。卵をからめて口に運ぶと、牛肉のうまみとたれの甘みが、引き立て合いながら口の中いっぱいに広がります。牛肉だけでなく、みそだれもまた、この鍋の主役なのです。
「牛鍋は、単に文明開化の産物というだけでなく、外国の食材を日本人好みにアレンジした料理。だからこそ、多くの人に受け入れられたのではないでしょうか」と青井さん。
日本の歴史が大きく動いた時代に生まれた、最先端の鍋。それを食べるときのわくわくする気持ちは、どこか、新しい時代への期待と重なり合うものだったのかもしれません。
※テキストでは、料理研究家の冬木れいさん考案の家庭版牛鍋のレシピを紹介しています。すき焼きとはひと味違う、みそだれのハイカラな味を楽しみましょう。
■『NHK趣味どきっ!心も体もぽっかぽか 鍋の王国』より

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