歴史ロマンを体感できる古街道の歩き旅

両側に絶壁がそそり立つ「朝夷奈切通(あさいなきりどおし)」。1241年(仁治2)に鎌倉と六浦を結ぶ道として建設された。撮影:田渕睦深
古い道といっても、そこにはさまざまな種類があります。飛鳥〜奈良時代の古代律令国家によって整備された官道や江戸時代の街道・脇往還(わきおうかん)といった、当時の治世者が造った国道。あるいは、軍用路として整備された道や集落内の生活道路。いずれも、かつてその土地に生きた人々が造り、歩いた道です。そんな古街道に魅せられて、発掘調査や保存活動にも携わる古街道研究家の宮田太郎(みやた・たろう)さんに、古街道の定義や魅力についてお聞きしました。

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案内人の宮田太郎さんによれば、「古街道」の定義とは「江戸時代より前、縄文から戦国時代までにできた街道」となります。それ以降、江戸時代から近代にできた道、主に徳川幕府が整備した街道は「旧街道」と呼んでいます。
「江戸時代の街道はせいぜい270年ほどの歴史しかありません。一方、古街道は縄文から戦国時代までが範疇なので、約5〜6000年というものすごく長い時代背景があります。古街道を探究することは、何千年もの日本の歴史や人々の暮らしを知ることにもつながるのです」
有名な参詣道である熊野古道の伊勢路も、古墳が点在する飛鳥の山辺の道も、山陰道・山陽道・東山道など古代の官道も、中世武士たちが駆けた鎌倉街道も、すべて古街道なのです。
ただ、古街道は歴史的に古い道であるため、地中に埋没していたり、畑や林の中に連続する緩やかなくぼみとしてのみ痕跡を残している場合もあります。周辺の土地が変わり、現在は歩けない場所や私有地になっているところもあります。そのため、一部の古街道跡には“線”として正確にたどることが難しく、推定に留まる部分もあります。
それでも「その地域に関する歴史資料や近隣の史跡を調べてみたり、現在の道や地図をちょっと視点を変えて眺めることで、古街道の存在が浮かび上がってきます」と宮田さんは言います。
実際、宮田さんはこれまで日本各地で古街道の踏査や発掘調査、保存活動に携わってきました。今回歩いた野津田公園(テキストに掲載)では、80年代に線上に点在する「鎌倉古道の痕跡」を確認。その後、調査団に働きかけ、90年代に国内最大級の10〜12メートル幅の鎌倉街道跡と推定される遺構を発見しました(現在は遺跡保存のため、埋め戻されている)。
また、「私たちの暮らしに身近な住宅地の区割りや町・市境線、区界線、県境線などが実は古街道だった、ということが最近わかってきています」と宮田さん。つまり、日ごろ何気なく歩いている市街地の道や、近所の丘陵地帯のハイキングコースが、実は古代に都人が往来していた官道だったり、武士たちが馬駆けた鎌倉街道であることが十分にあり得るのです。
「古街道の痕跡に注意して歩くことに慣れてくると、どこの駅前にもあるような地域案内図を一目見ただけで、古い河川の流路跡、江戸時代よりはるか以前の中世の城跡や館跡、集落や街道、さらに古い古代国家が全国に造った計画道までが見えてくるようになりますよ」
ここには古街道があった――そう確信できるところを歩くとき、宮田さんは「自分が歩いている場所を、歴史上の先人たちも歩いたのだろうと想像すると、言葉にできない感動が湧き上がってくる」と言います。
「古街道はちょうどレコード盤の溝みたいなもの。私たちが針となってひとたびそこをたどれば、過去の壮大な記憶が音楽のように再生されます。今回、テキストでは野津田公園の一画で、律令時代に整備された『古代東海道』を歩いていますが、1300年以上も前にこれほど大きな道が都から遠く離れた関東で造られたことに驚くのではないでしょうか。また、鎌倉時代に造られた白山道切通や朝夷奈切通(いずれもテキストに掲載)を歩けば、かつてここを武士団が行き来しただろうことを想起して、歴史ロマンを感じられると思います」
■『NHK趣味どきっ!海・山・町を再発見! おとなの歩き旅 秋』より

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