小説『薔薇の名前』の構造と仕掛け
ウンベルト・エーコの小説家デビュー作『薔薇の名前』は、複雑な構造を持っています。そのため、「読者は、いま読んでいる物語はどの時間軸のどのあたりにあるのかということを常に意識する必要がある」と、イタリア文学研究者で東京外国語大学名誉教授の和田忠彦(わだ・ただひこ)さんはアドバイスします。
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ときは1327年11月末。北イタリアのベネディクト会修道院に、フランチェスコ会修道士バスカヴィルのウィリアムと、ベネディクト会の見習い修道士メルクのアドソがやってきます。この修道院において、アヴィニョン教皇庁の使節団とフランチェスコ会使節団との会談が数日後に予定されていて、ウィリアムはその調停役を務めるためやってきていたのですが、会談の直前に修道院で連続殺人事件が発生。ウィリアムとアドソの師弟コンビが探偵役となり、謎解きに挑んでいくことになります。
この当時、ときの教皇ヨハネス二十二世と神聖ローマ帝国のルートヴィヒ四世というふたりのあいだには激しい対立がありました。フランチェスコ会は、教皇権力からは異端と判断され、神聖ローマ帝国からは自分たちの有力な味方の勢力として位置づけられていました。バスカヴィルのウィリアムはフランチェスコ会の修道士で、異端審問官まで務めたことがある高名な学僧という設定です。彼は皇帝側の特使としてこの修道院にやってきたのです。そしてアドソはというと、皇帝側の軍人である父親のつてで、書記兼弟子としてウィリアムのもとに預けられていた。見習い修道士と高僧のコンビ成立には、こうした歴史的背景があります。
さて、“バスカヴィル”のウィリアムという名前からも容易に想像がつくように、この二人のコンビは、『バスカヴィル家の犬』などの人気探偵小説シャーロック・ホームズシリーズの主人公、探偵ホームズと助手ワトソンを意識したものと考えられます。その読み方を否定する要素はありませんし、エーコ自身も否定はしていません(なによりエーコ自身、名うてのシャーロッキアンとして、友人の記号学者と『三人の記号─デュパン、ホームズ、パース』なる論集まで編んでいるくらいですから)。しかし、これも“ひとつの読み方”であって、唯一無二の正しい読み方ではないことに注意をしておいていただければと思います。
「はじめに」でも触れたように、語りの構造はやや複雑です。この小説は、1327年11月に起きた出来事を、約半世紀のちに年老いたアドソが回想してラテン語で書いた手稿がまずあり、それが仏訳されたものを作者エーコとおぼしき「わたし」を名乗る人物が1968年にフランスで入手し、1980年1月5日にイタリア語に訳して読者に手渡している、という構造になっています。つまりいくつもの時間軸がそのなかには設定されているわけです。基本的な語り手はアドソですが、ところどころアドソではない、手稿を訳している「わたし」が顔を出すこともあります。こうして時間軸が錯綜するように仕組まれているわけで、わたしたち読者は、自分たちがいま読んでいる物語はどの時間軸のどのあたりにあるのかということを常に意識する必要があるのです。
ちなみに、「わたし」がこの手稿を訳したという1980年1月5日は、エーコ48歳の誕生日にあたります。記号学者であったエーコが大きな転機をみずから望み、ここにそのチャンスをつかみ取った。その宣言であると考えるべきなのかもしれません。
アドソによる手稿は七日間の物語となっていて、教会の祈りの時間を定める時課(※)に沿って章が構成されています。この小説をすでに読まれた方のなかには、冒頭の「手稿である、当然ながら」と「プロローグ」を読むのに苦労した、第一日まではなかなか話が進まない、と感じた方が多くいらっしゃると思います。それも実はエーコの仕掛けた戦略なのです。エーコはまず、中世の修道院ではどんな生活が営まれていたのか、時課の区切りのなかでどのように時間が流れていたのかを読者に味わってもらい、その速度に読者を馴染ませていくことを試みているのです。
第二日には物語の流れがだいぶよくなり、第三日に至っては「あれ、もう終わってしまうの?」と感じる方がいるかもしれません。そう感じた読者はまんまとエーコの戦略にはまって、中世の時間に馴染んだ読者になったのだと言えるでしょう。そうやって徐々に抜かりなく、読み手を物語世界に十分に慣れさせたうえで、事件の謎解きへと向かわせる。そんな仕組みになっています。
※時課
地域や季節によって時課の刻限に差異はあるが、北イタリアの11月末には午前7時半前後に日が昇り、午後4時40分ごろに日が沈むので、物語のなかの時課は次のようになる。
朝課(深夜課) 深夜2時半〜2時。
讃課 夜が明ける刻限に合わせて、午前5時〜6時。
一時課 7時半ごろ、日の出直前。
三時課 9時ごろ。
六時課 正午(冬期に、修道士が畑で労働をしない修道院では、食事の刻限でもあった)。
九時課 午後2時〜3時。
晩課 4時半ごろ、日没時(会則では夜の闇が降りきらないうちに夕食を取るよう定めている)。
終課 6時ごろ(七時までに修道士は就寝する)。
(『薔薇の名前』東京創元社 上巻20ページをもとに作成)
■『NHK100分de名著 ウンベルト・エーコ 薔薇の名前』より
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ときは1327年11月末。北イタリアのベネディクト会修道院に、フランチェスコ会修道士バスカヴィルのウィリアムと、ベネディクト会の見習い修道士メルクのアドソがやってきます。この修道院において、アヴィニョン教皇庁の使節団とフランチェスコ会使節団との会談が数日後に予定されていて、ウィリアムはその調停役を務めるためやってきていたのですが、会談の直前に修道院で連続殺人事件が発生。ウィリアムとアドソの師弟コンビが探偵役となり、謎解きに挑んでいくことになります。
この当時、ときの教皇ヨハネス二十二世と神聖ローマ帝国のルートヴィヒ四世というふたりのあいだには激しい対立がありました。フランチェスコ会は、教皇権力からは異端と判断され、神聖ローマ帝国からは自分たちの有力な味方の勢力として位置づけられていました。バスカヴィルのウィリアムはフランチェスコ会の修道士で、異端審問官まで務めたことがある高名な学僧という設定です。彼は皇帝側の特使としてこの修道院にやってきたのです。そしてアドソはというと、皇帝側の軍人である父親のつてで、書記兼弟子としてウィリアムのもとに預けられていた。見習い修道士と高僧のコンビ成立には、こうした歴史的背景があります。
さて、“バスカヴィル”のウィリアムという名前からも容易に想像がつくように、この二人のコンビは、『バスカヴィル家の犬』などの人気探偵小説シャーロック・ホームズシリーズの主人公、探偵ホームズと助手ワトソンを意識したものと考えられます。その読み方を否定する要素はありませんし、エーコ自身も否定はしていません(なによりエーコ自身、名うてのシャーロッキアンとして、友人の記号学者と『三人の記号─デュパン、ホームズ、パース』なる論集まで編んでいるくらいですから)。しかし、これも“ひとつの読み方”であって、唯一無二の正しい読み方ではないことに注意をしておいていただければと思います。
「はじめに」でも触れたように、語りの構造はやや複雑です。この小説は、1327年11月に起きた出来事を、約半世紀のちに年老いたアドソが回想してラテン語で書いた手稿がまずあり、それが仏訳されたものを作者エーコとおぼしき「わたし」を名乗る人物が1968年にフランスで入手し、1980年1月5日にイタリア語に訳して読者に手渡している、という構造になっています。つまりいくつもの時間軸がそのなかには設定されているわけです。基本的な語り手はアドソですが、ところどころアドソではない、手稿を訳している「わたし」が顔を出すこともあります。こうして時間軸が錯綜するように仕組まれているわけで、わたしたち読者は、自分たちがいま読んでいる物語はどの時間軸のどのあたりにあるのかということを常に意識する必要があるのです。
ちなみに、「わたし」がこの手稿を訳したという1980年1月5日は、エーコ48歳の誕生日にあたります。記号学者であったエーコが大きな転機をみずから望み、ここにそのチャンスをつかみ取った。その宣言であると考えるべきなのかもしれません。
アドソによる手稿は七日間の物語となっていて、教会の祈りの時間を定める時課(※)に沿って章が構成されています。この小説をすでに読まれた方のなかには、冒頭の「手稿である、当然ながら」と「プロローグ」を読むのに苦労した、第一日まではなかなか話が進まない、と感じた方が多くいらっしゃると思います。それも実はエーコの仕掛けた戦略なのです。エーコはまず、中世の修道院ではどんな生活が営まれていたのか、時課の区切りのなかでどのように時間が流れていたのかを読者に味わってもらい、その速度に読者を馴染ませていくことを試みているのです。
第二日には物語の流れがだいぶよくなり、第三日に至っては「あれ、もう終わってしまうの?」と感じる方がいるかもしれません。そう感じた読者はまんまとエーコの戦略にはまって、中世の時間に馴染んだ読者になったのだと言えるでしょう。そうやって徐々に抜かりなく、読み手を物語世界に十分に慣れさせたうえで、事件の謎解きへと向かわせる。そんな仕組みになっています。
※時課
地域や季節によって時課の刻限に差異はあるが、北イタリアの11月末には午前7時半前後に日が昇り、午後4時40分ごろに日が沈むので、物語のなかの時課は次のようになる。
朝課(深夜課) 深夜2時半〜2時。
讃課 夜が明ける刻限に合わせて、午前5時〜6時。
一時課 7時半ごろ、日の出直前。
三時課 9時ごろ。
六時課 正午(冬期に、修道士が畑で労働をしない修道院では、食事の刻限でもあった)。
九時課 午後2時〜3時。
晩課 4時半ごろ、日没時(会則では夜の闇が降りきらないうちに夕食を取るよう定めている)。
終課 6時ごろ(七時までに修道士は就寝する)。
(『薔薇の名前』東京創元社 上巻20ページをもとに作成)
■『NHK100分de名著 ウンベルト・エーコ 薔薇の名前』より
- 『ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』 2018年9月 (100分 de 名著)』
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