ヤマザキマリと『星の王子様』

2018年8月の『NHK100分de名著』では、若い世代にこそ読んでほしい4つの名作を、4人の識者が読み解き、わかりやすく解説しています。
「『星の王子さま』は、いつ読んでも、「最初の自分」に戻ることができる本です」と語るのは、『テルマエ・ロマエ』で知られる人気漫画家・ヤマザキマリさん。『星の王子さま』との出会いを語ってくれました。

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私には、ふとした瞬間に手にとって、何度も読み返す本が何冊かあります。『星の王子さま』はそういう本の中の一冊です。
私が最初に触れた『星の王子さま』は、母が持っていたフランス語版でした。彼女は、小学校からミッションスクールに通う文学少女で、学校のフランス人修道女に紹介されたペンフレンドに薦(すす)められて “Le Petit Prince ” (『星の王子さま』のフランス語原題)を知ったそうです。
母は、最初に手にしたフランス語版を自力で訳して読み解き、その後も大切に持っていました。私が初めて見たのは、小学校入学前のことです。表紙にパラフィン紙がかけられた古い本でしたが、母は「これはすごい本なのよ!」と言いながら、どんな物語なのかを話して聞かせてくれました。
もう少し大きくなって、日本語版を読みました。当時の私には難しかったことを覚えています。文字を追うのは簡単なのですが、内容が抽象的で何が言いたいのかよく分からない。子どもの私にはただ不思議で、SFみたいだと感じました。それでも、直接的でわざとらしい演出がなく、淡々と読めるところがなんとなく気に入っていました。
物語の内容が分かるようになったのは、もっと大人になってから。イタリアで暮らしていた時期でした。17歳で絵の勉強をするためにイタリアへ渡り、貧乏暮らしに苦しみ、恋人との関係にも疲れてボロボロだったときに、イタリア語版の『星の王子さま』を読んだのです。「こういう本だったんだ……」と深く心に染みてきました。また、作者であるサン=テグジュペリはなぜこの本を書いたのか、と書き手の気持ちを想像する読み方に変わり、ほかのサン=テグジュペリの作品にも手を伸ばしました。
母は、自分が読んだ本を子どもにも読ませる人でした。親子で同じ本を読み、それについて語り合いたかったのだと思います。そのうちの一冊が『星の王子さま』でした。やはり母の薦めで『ニルスのふしぎな旅』や『アラビアンナイト』など、たくさんの本を読みましたが、ほかの本と『星の王子さま』には、大きな違いが一つありました。ほかの本は母が買い与えてくれたもので、母が読んだ本「そのもの」ではありません。しかし『星の王子さま』だけは、実際に母が読み、何十年も大事に持ち続けていました。母にとって本当に大切なものであるということを実感しながら読んだ、特別な本です。
母は、習い事で始めたヴァイオリンで音楽に目覚め、ヴィオラ奏者になり、父と結婚して死別し、一人で私と妹を育て上げました。札幌の楽団で演奏するため、親の反対を押し切って私たち娘を連れて東京から北海道に移り住んだ、エネルギッシュな人です。何ものにもとらわれない人生を歩んできた母ですが、『星の王子さま』はその人生の指南書(しなんしょ)だったのではないかと、大人になってから思いました。きっと、母が私に伝えたいこと、「これだけは知ってほしい」と願っていたことが、この本に込められていたのでしょう。
これから私は、「大人になった子ども」として、みなさんに伝えたいことをお話ししていきます。私は50歳を過ぎた今でも、子ども時代のままの感覚を持っている自覚がありますが、一方で、年を取った分だけたくさんの経験を積んできてもいます。その経験がなければ見えないこともお話しします。「何言ってんの、この人?」と感じるところもあるでしょう。でも、よく分からないことに触れると、そこから新しい感性が芽生えることがあります。私の話が、みなさんの心に何かが芽生える手助けになることを願っています。
■『NHK100分de名著 for ティーンズ』より

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