ユングが追求した「イメージ」の心理学
ユングは、意識と無意識の相互関係の間に生じる「イメージ(心像)」を重視しました。臨床心理学者・河合隼雄の著書『ユング心理学入門』の後半に記されている「心の中にあるイメージ」について、ユングの考えを紐解いてみましょう。解説してくださるのは、京都大学教授・臨床心理学者の河合俊雄(かわい・としお)さんです。
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夢には、肉の渦のような象徴的なイメージが浮かぶこともあれば、無意識の中にあるものが極めて具体的で、直接的なイメージとなって現れることもあります。その一例として、河合隼雄はトランプ遊びの夢を見た男性の話を取り上げています。自分に配られたカードの中に、ハートが一枚もなかった、という夢です。彼は思考機能が強いタイプで、「ハートがない」という夢は、劣等機能として無意識の中に沈んでいる、あるいは抑圧されてきた感情や愛情を示していると考えられます。
ユングが無意識の所産であるイメージを重視したのは、そのインパクトの大きさや、生き生きとした表現に「生命力(vitality)」を見出したからです。心に浮かんだイメージは、言葉よりもはるかに大きなインパクトをもってその人の心に働きかけ、新たなものを生み出していくエネルギーをもっていると考えたのです。
イメージは、夢の中でだけ問題になるわけではありません。そのことを物語る事例を、『ユング心理学入門』からひとつご紹介しましょう。
それは、知的障害により、言葉を介したコミュニケーションに困難のあった小学校低学年の男の子のケースです。プレイセラピー(遊びを通じた心理療法)を受けていた彼は、ある時、熊のぬいぐるみの首を紐でくくって引き回した後、誇らしげにその紐を解くという遊びを繰り返します。母親に話を聞くと、彼は自宅に迷い込んだ犬を可愛がっていたといいます。しかし、一人で留守番していた時に飼い主が現れ、彼はコミュニケーションに困難を抱えていたにもかかわらず、その人の話と思いを理解して、泣きながら鎖を解いて返したそうです。
さらに話を聞くと、プレイセラピーに通い始めてから、母親はその子が家の外に行くことを、あまり制限しなくなっていたことがわかりました。彼は喜んで外の人と接触をもつようになったといいます。遊びに表現された、紐を解くという「イメージ」は、閉じられた家から自由になった喜びや、自ら鎖を解いて犬を解放したこと、悲しみを抑えてそれを成し遂げた満足感なども含めた、多義的で豊かなイメージと見ることができます。つまり彼は、自分の心と現実とに起こったことを、遊びでイメージとして再現していたのです。
こうした出来事をきっかけとして、彼は一気に活動的になり、様々なことができるようになっていったといいます。つながれていたものを解放するというイメージによって、眠っていた能力が開花したのです。持ち札に「ハートがない」夢を見た男性も、その具体的なイメージが自分の生き方について考える素材となり、セラピストに対して、自分の今の状況を生き生きと語り始めたと著者は記しています。
ユング派の心理療法では、面接で語られるクライエントの話を、基本的にすべてイメージとして受け取ります。「こんなことがあった」「あの人はこういう人だ」といった話も、あくまでクライエントの〝心の中〟で起こっていることとして捉えます。
重要なのは、クライエントによって語られたイメージを、一義的な何かを示す記号としてではなく、様々な可能性を秘めた象徴として捉え、掘り下げていく姿勢です。その上で、イメージとして無意識から湧き出たエネルギーを、どのように変容させていくかを、根気強く追求していきます。
心理療法の場面のみならず、普段の人間関係、夫婦や親子の会話においても、相手が心に抱いているイメージに関心を寄せ、イメージを共有しようと心がけることは大切だと思います。意見に相違があった時、理詰めで論破しようとしたり、相手の言葉じりをとらえて反論したりしてもうまくいかないものです。例えば子どもが服を買ってほしいと言ったときにも、経済的な面での要求よりも、親に与えられた服ではない自分独自の姿を示そうという意味があるのかもしれないし、そこにまだ甘えがあるのかもしれません。
言葉の向こうにある相手の心の中のイメージに、自分の心の目を向ける─それが〝心〟を通わせる第一歩でしょう。
■『NHK100分de名著 河合隼雄スペシャル』より
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夢には、肉の渦のような象徴的なイメージが浮かぶこともあれば、無意識の中にあるものが極めて具体的で、直接的なイメージとなって現れることもあります。その一例として、河合隼雄はトランプ遊びの夢を見た男性の話を取り上げています。自分に配られたカードの中に、ハートが一枚もなかった、という夢です。彼は思考機能が強いタイプで、「ハートがない」という夢は、劣等機能として無意識の中に沈んでいる、あるいは抑圧されてきた感情や愛情を示していると考えられます。
ユングが無意識の所産であるイメージを重視したのは、そのインパクトの大きさや、生き生きとした表現に「生命力(vitality)」を見出したからです。心に浮かんだイメージは、言葉よりもはるかに大きなインパクトをもってその人の心に働きかけ、新たなものを生み出していくエネルギーをもっていると考えたのです。
イメージは、夢の中でだけ問題になるわけではありません。そのことを物語る事例を、『ユング心理学入門』からひとつご紹介しましょう。
それは、知的障害により、言葉を介したコミュニケーションに困難のあった小学校低学年の男の子のケースです。プレイセラピー(遊びを通じた心理療法)を受けていた彼は、ある時、熊のぬいぐるみの首を紐でくくって引き回した後、誇らしげにその紐を解くという遊びを繰り返します。母親に話を聞くと、彼は自宅に迷い込んだ犬を可愛がっていたといいます。しかし、一人で留守番していた時に飼い主が現れ、彼はコミュニケーションに困難を抱えていたにもかかわらず、その人の話と思いを理解して、泣きながら鎖を解いて返したそうです。
さらに話を聞くと、プレイセラピーに通い始めてから、母親はその子が家の外に行くことを、あまり制限しなくなっていたことがわかりました。彼は喜んで外の人と接触をもつようになったといいます。遊びに表現された、紐を解くという「イメージ」は、閉じられた家から自由になった喜びや、自ら鎖を解いて犬を解放したこと、悲しみを抑えてそれを成し遂げた満足感なども含めた、多義的で豊かなイメージと見ることができます。つまり彼は、自分の心と現実とに起こったことを、遊びでイメージとして再現していたのです。
こうした出来事をきっかけとして、彼は一気に活動的になり、様々なことができるようになっていったといいます。つながれていたものを解放するというイメージによって、眠っていた能力が開花したのです。持ち札に「ハートがない」夢を見た男性も、その具体的なイメージが自分の生き方について考える素材となり、セラピストに対して、自分の今の状況を生き生きと語り始めたと著者は記しています。
ユング派の心理療法では、面接で語られるクライエントの話を、基本的にすべてイメージとして受け取ります。「こんなことがあった」「あの人はこういう人だ」といった話も、あくまでクライエントの〝心の中〟で起こっていることとして捉えます。
重要なのは、クライエントによって語られたイメージを、一義的な何かを示す記号としてではなく、様々な可能性を秘めた象徴として捉え、掘り下げていく姿勢です。その上で、イメージとして無意識から湧き出たエネルギーを、どのように変容させていくかを、根気強く追求していきます。
心理療法の場面のみならず、普段の人間関係、夫婦や親子の会話においても、相手が心に抱いているイメージに関心を寄せ、イメージを共有しようと心がけることは大切だと思います。意見に相違があった時、理詰めで論破しようとしたり、相手の言葉じりをとらえて反論したりしてもうまくいかないものです。例えば子どもが服を買ってほしいと言ったときにも、経済的な面での要求よりも、親に与えられた服ではない自分独自の姿を示そうという意味があるのかもしれないし、そこにまだ甘えがあるのかもしれません。
言葉の向こうにある相手の心の中のイメージに、自分の心の目を向ける─それが〝心〟を通わせる第一歩でしょう。
■『NHK100分de名著 河合隼雄スペシャル』より
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