天災に行政はどう向き合うか——カミュの鋭い洞察力

フランス領アルジェリアの港町オランに住む医師リウーは、ネズミの大量死や門番の急死などのファクトからペストの発生を確信します。この難局に、法と行政はいかなる対応を取るのでしょうか。小説『ペスト』にはアルベール・カミュの驚くべき洞察力が至る所に反映されています。学習院大学教授の中条省平(ちゅうじょう・しょうへい)さんが、印象的な箇所を引きながら読み解きます。

* * *

医師リウーは県庁で会議を開いてもらい、そこでいかにも官僚的な姿勢を代表する医師会会長リシャールと対立します。法や行政は、現実より形式的な言葉のほうを大切にしますから、ペストがもたらす災厄への対応ではなく、ペストという言葉をどう定義するかとか、その言葉がどういう影響をもたらすかといったことばかりを議論しています。そんな官僚的な言葉に対して、カミュはそれを徹底して皮肉に描くことで、強い批判をおこなっています。
医師たちは相談しあい、リシャールが最後にこういった。
 
「つまり我々は、この病気がまるでペストであるかのようにふるまう責任を負わなければならないわけだ」
このいいまわしは熱烈に支持された。(中略)
「いいまわしは、どうでもいいんです」とリウーはいった。「ただ、これだけはいっておきましょう。我々は、まるで市民の半数が死なされる危険がないかのようにふるまうべきではない。なぜなら、そんなことをしたら、人々はじっさいに死んでしまうからです」
現代において、天災はつねに法や行政の対応と結びついています。ですから、たんに個人のヒロイックな行動では対応できないというもどかしい現実を冷静に描いているところが、小説家カミュの優れたところです。小説の焦点は物語の進展につれて、しだいにリウーやタルーといった個人の考えや行動に移っていきますが、はじめの部分では社会の大きな政治的枠組みをしっかり押さえています。それにしても、事なかれ主義の医師たちに対するリウーの鋭い切りかえしには胸がすく思いがしますね。日本の官僚や政治家たちにも聞かせたいセリフです。
リシャールは、「この病気を阻止するためには、それが自然に終息しない場合、あらかじめ法律で定められた重大な予防措置を適用する必要がある。そのためには、これがペストであることを公式に認めなければならない。しかし、その確実性は絶対とはいえない。したがって慎重な考慮を要する」と弁論を展開します。しかし、リウーはこう反論します。「問題は、法律で定められた措置が重大かどうかではない」。法律が現実に優先するという愚劣な官僚主義への痛烈な批判です。
死者の数はうなぎ上りに増加し、ようやくペストという病名が認められるのは、責任を回避していた県知事のもとに電文が届き、植民地総督府からの命令が下されたときでした。「ペストの事態を宣言し、市を閉鎖せよ」。つまり、市を丸ごと閉鎖し、ペスト地区として隔離せよという命令です。
かくして、ペストがわが市民に最初にもたらしたものは、追放状態だった。
「追放」という意外ないい方をするところが、カミュの面白さです。たしかに、災厄が起こったときに人間が追放状態になるというのは、とてもリアルです。病人や死者という直接の被害者だけでなく、残された多くの人々もまたある種の追放と監禁の状態に置かれ、そこから逃げだすことができなくなるのです。これは災厄に襲われた人々や地域を考えるとき、外から想像するよりも、ずっと内側に深く入りこんだ感覚です。この作品がただの寓話ではなく、強いリアリティをもっているのは、こういう鋭い細部によってなのです。
天災によって追放され、監禁された人々は、「みずからの現在に苛立ち、過去に敵対し、未来を奪われた」時間の監獄の囚人となってしまう。こうした表現の妙にも、カミュの小説家としての想像力が、きわめて鋭敏に働いていることがわかります。しかも、その結果どうなるかというと、
こうした極限の孤独のなかでは、結局のところ、誰も隣人の助けを期待することはできなくなり、それぞれがひとりぼっちで自分の悩みと向かいあうのだった。かりに我々のなかの誰かが、ふと、自分の気持ちをうち明けたり、話そうとしたとしても、話し相手から受けとる返事は、それがどんな返事だろうと、たいてい彼の心を傷つける。それで彼は、相手と自分が同じことを話していなかったことに気づくのだ。
まことに驚くべき洞察力です。災厄が起こったら連帯しなければ、と私たちは思うわけですが、それは容易なことではない。むしろ、単純な連帯を不可能にするほど悲惨な状態こそが災厄であることを、カミュははっきりと見抜いています。そしてこの「連帯」の問題は、物語の展開にとっても、また思想的にも、とても重要なポイントになってきます。
■『NHK100分de名著 アルベール・カミュ ペスト』より

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