美食とゲテモノは紙一重!? 世界の辺境で出会った食文化の多様性とは?
- 『辺境メシ ヤバそうだから食べてみた』
- 秀行, 高野
- 文藝春秋
- 1,650円(税込)
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私たちが生きる上で欠かすことのできない「食」。国あるいは地域ごとに使われる言語が違うのと同様、世界の食文化もまた多様性に満ちている。今回紹介する書籍『辺境メシ ヤバそうだから食べてみた』(文藝春秋)を読めば、いわゆる「普通」の食べ物とは何なのか疑問に感じてしまうだろう。
著者の高野秀行氏は、世界中の辺境を旅するノンフィクション作家である。同書は『週刊文春』(文藝春秋)に掲載されていた、高野氏の連載企画「ヘンキョウ探検家 高野秀行のヘンな食べもの」を書籍化したものだ。高野氏が旅の中で実際に出会った珍しい食べ物を、関連する体験談と共に紹介している。
冒頭で取り上げられているのは、アフリカ・コンゴ共和国で食したという「ゴリラ」のエピソード。コンゴの一部の村ではゴリラを食べる文化が古くから根付いており、高野氏の訪問以前におこなわれていた伝統的な狩りの仕方も独特だ。森の中でゴリラが現れるのを待ち続け、タイミングを見計らい、槍のみで捕えていたという。銃などの殺傷能力の高い武器を使うのではない、まさにゴリラとの「対等な戦い」(同書より)による命懸けの食料調達だ。
「もし一発で仕留められない場合、当然ゴリラは逆襲するだろう。その場合、狩人が勝てる見込みは少ない。
昔の日本人が鯨や熊を命がけで獲っていたのと同じだ。今の都市文明に生きる私たちの基準で軽々に善悪の判断を下すべきではないと思う」(同書より)
昔からコンゴの村人たちと共にあった「ゴリラ食」。旅先で振る舞われたのは、ぶつ切りにしたゴリラ肉を塩と唐辛子のみで味付けした煮込みだ。しかし、実際に料理を口にした高野氏の印象に残ったのは、肉の「固さ」だったという。
「ゴリラは部位を問わず筋肉がものすごいうえ、屈強なコンゴの男たちは、柔らかくなるまで肉を煮るなんて面倒なことはしない。よって、顎が痛くなるような赤身の固い肉── というのがわれわれの感じた『味』だった」(同書より)
味わいはどうあれ、日本で暮らす我々にはゴリラを食べること自体が想像できない。しかしコンゴの密林に生きる人々にとってみれば、ゴリラもあくまで「普通」の食材の一部なのだ。
一方で辺境の地には、日本人に馴染みのある食べ物も存在する。その1つが「納豆」だ。納豆と聞くと、日本独自の食文化のイメージが強いかもしれない。しかし中国南部や東南アジアなどに住む人々も、同様に納豆を好んで食べている。しかも調理法は焼く、煮る、蒸すなど多岐にわたるのが特徴だ。
なかでも高野氏が「納豆先進国」と称したのは、ミャンマーにあるシャン州。シャン族と呼ばれる、ミャンマーの少数民族が暮らす地域だ。シャン族の納豆料理のうち、高野氏が最も太鼓判を押すのは「納豆と川海苔のディップ」。納豆のペーストをせんべい状にしたものや川海苔、ピーナッツ、香味野菜、トマト、ナスなどを石臼で潰し、油や水と混ぜて作ったタレのことである。バーニャカウダのように、野菜などにつけて食べるそうだ。
「絶品の一言。納豆独特の風味はしっかり残っているのに、川海苔などと合わせているせいか、なんとも爽やか。粘り気はないが代わりにコクとうま味が凝縮されている。これほど体によさそうで、でも食べ応えのある料理はない。
限りなく和食に近い、いや和食の斜め上を行く料理とでも言おうか」(同書より)
さらに高野氏は、「日本人は納豆のごく一部しか知らない」と語る。日本においては納豆をそのまま食べるのが、いわゆる「普通」の食べ方だろう。しかし他のアジア民族からすれば、納豆の限定的な食べ方のみが主流なのは「普通ではない」のかもしれない。
また同書では、日本国内で出会える珍しい食べ物も紹介している。日本で食べられる珍食材といえば、鯨やサメなどが挙げられるだろう。しかし高野氏いわく、最も珍しいのは「フグの卵巣」を使ったぬか漬けだ。フグの卵巣は、猛毒を持つ器官として知られている。本来ならば避けるべきだが、日本人の食への執着は強い。江戸時代の頃から、卵巣を安全に食べるための技術を培ってきたのだそうだ。実際にフグの卵巣のぬか漬けを食べた高野氏は、その味をこう語る。
「口に含むとかなり塩辛いが、同時に乳酸発酵ならではの、弾けるようなうま味が押し寄せる。
熱々のご飯にこれを載せお湯をかけると、塩気とうま味がほどよくご飯に染み渡り、最高にうまい」(同書より)
同書ではほかにも、辺境のさまざまな食文化を取り上げている。珍味にゲテモノと、あらゆる食材を口にしてきた高野氏だからこそ語れるエピソードが満載だ。同書を手にとって、食にまつわる未知の世界を覗いてみてはいかがだろうか。