分岐した先にあった本当の終わりに向かう漫画『ディエンビエンフー TRUE END』――未完、と二度の打ち切りというバッドエンドからトゥルーエンド、そしてその先に/漫画家・西島大介さんインタビュー(vol.2)

ディエンビエンフー TRUE END(1) (アクションコミックス(月刊アクション))
『ディエンビエンフー TRUE END(1) (アクションコミックス(月刊アクション))』
西島 大介
双葉社
2,201円(税込)
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 漫画家・西島大介さんの代表作でもあるベトナム戦争を描いた『ディエンビエンフー』は、角川書店、小学館と出版社を変わりながら描き続けられてきた。そして、「ホーチミンカップ」というトーナメントバトルのさなか、12巻で『IKKI』版の『ディエンビエンフー』は物語が完結せずに終了した。物語は未完のままで終わるかと思いきや、双葉社から声がかかり『ディエンビエンフー TRUE END』として連載が始まった。『TRUE END』は最速3巻で完結するということが決まっている。

 2月10日には2巻が発売され、2月14日には双子のライオン堂からベトナムについてのエッセイ漫画『アオザイ通信完全版#2 歴史と戦争』も発売になり、9月には最終巻3巻の発売も決まっている。代表作でありながらも、二度の雑誌休刊に立ち会い、3社の版元を渡り歩くという文字通り「ドロ沼の戦争」「終わりなき戦争」と化した大長編『ディエンビエンフー』シリーズについて西島さんにお話を聞かせていただきました。

■早期退職とゲリラ戦、編集者への恩と休刊へのアンチテーゼ

―― 『IKKI』版の『ディエンビエンフー』はどこまで連載で、どこから描き下ろしになったんですか?

西島 8巻と9巻から描き下ろしになりました。なんでかというと出版不況の始まりぐらいだったのかな。「『IKKI』のページが薄くなるから西島くん連載載らないのどうですか?」と担当さんに訊かれて。「載らないのどう?」ってすごい言い方ですよね。

*8巻 『月刊IKKI』2009年4月号〜2009年9月号
    #48 敬虔さ 描きおろし
 9巻 #49〜54/描きおろし
    #49 明命帝/『月刊IKKI』2011年7月号にて先行掲載

―― 聞いたことのない提案ですね。

西島 僕は相手の言うことを素直に聞くから「あっ、そうですか」って。理由はなんですかって訊いたら、「石油危機」と言われて。「オイルショックみたいなのですか?」と聞いたら「そうです」と。紙が高くなったから全体を薄くせざるをえなくて、一人一人作家さんに相談しているということでした。そうなると地球規模の問題だから、僕の小さなプライドと比べられるものではないから、「僕、降ります」って。雑誌に載らないけど原稿料もちゃんと支払われるし、そもそもデビューが早川書房で書き下ろし小説のように漫画を描いていたから、僕ならできそうだなと早々に身を引いて、早期退社みたいな感じでしたね。

―― 震災後は全部描き下ろしでしたよね。

西島 描き下ろしになったのは東日本震災前だけど、震災によって刊行ペースは大きく狂いました。

―― 確かにコミックの出る感覚がだいぶ空くようになりましたね。

西島 1巻につき6話構成なので、年に2冊ペース。掲載状態を変えたことで少しずつ間延びしていったんだけど、決定的なのは震災でしたね。『ディエンビエンフー』の初期は、巻を重ねるごとに重版していましたし、エンターテインメントとして、みんなを面白がらせること、びっくりさせることを目指していました。でも、震災を経た後では、重版されれば出版社も読者も作者もみんな嬉しい、という右肩上がりの考え方を僕は継続できなくなりました。

―― 西島さんは震災後の4月ぐらいには広島にご家族で引越しされてますよね。そのあとで少し鬱っぽくなったと他のインタビューや対談で話されていたと思います。

西島 僕は鬱だとは思わないんですけど、妻に言わせればそうだったみたいですね。

―― それもあってコミックスが出るスペースが延びました。『ディエンビエンフー』が出ないと続きが読めないので、西島さんの活動が見えなくなるということもあったと思うんです。

西島 震災が悪いというよりも、「地下に潜る」という発想が間違いだったとは思います。僕の考えでは、「載っていない」というのはゲリラ戦のようだし、ベトナム戦争的にも正しい。ブッシュに潜むベトコンのスタイル。でもそれはコンセプトは正しいけど、実際雑誌に載っていないから誰の目に全然触れない。追いかけられない。
追いかけにくいのがゲリラ戦だから、ベトナム戦争みたいで面白でしょ、ワクワクしてねって僕は思ったんですけど、それはあくまで僕のモチベーションの話であって読者には迷惑ですし、小学館にとってもマイナス。ビジネス的にも間違っていました。でも石油危機が本当なら地球規模だし、経済込みの原発を否定するなら自分のビジネスモデルも小さくしなくてはいけない。結果エコ? 地球に連載を譲った感じ・・・?

―― 『IKKI』版の終盤ではホーチミンカップというトーナメント戦が始まりましたが、あれが延命ではなく最初の時点で構想されてたわけですよね。

西島 最初からありました。2016年に出した『The ART of Dien Bien Phu』(*)にも『IKKI』版連載開始前の設定が載っています。トーナメント表もあります。

(*)グラフィック社より2016年8月刊行。帯コメントには「心は折れていません ――― 続きを描く気は200%あります。(西島大介)」と書かれている。カラー原稿をはじめ、単行本のカバーイラストやボツカットイラスト、各巻エピソードの紹介やグッズにプロモーションなどのディエンビエンフーに関わるあらゆるイラストを収録した画集。設定資料集や単行本には未収録のまんがも掲載されている。13巻以降の登場人物が載っているなど、『IKKI』版の続きを描くことを諦めていないことが伝わる一冊。

―― トーナメントの戦いってわりとSF的みたいな感じになっていきましたよね。

西島 そうですね、バラバラ死体を集めて捏ねて作ったドローンとか出てくるし、ティムもロボットになっちゃいましたね。

―― 登場人物が空を飛んでたし、自分の力ではなくて完全に機械の力だったりロケットの力で飛んで戦ってる時点で世界観がグチャグチャにはなってましたよね。

西島 おばあちゃんとか初期でもミサイル乗って飛んだりしてるけどね。でも確かにホーチミン・カップは、まさに「まんが・アニメ的想像力」の完成型だし、角川的かもしれません。文学、ティム・オブライエンからは遠い印象。でも、トーナメント参加国としてフランスやニュージーランド、中国が出てくるのは史実だし、古代オリンピックは戦争を止めてまで開催していたわけだから、ベトナム戦争中にトーナメント・バトルがあることは間違っていない。
ただ、理屈はそうであっても、まあ驚きますよね。でも僕メチャクチャな展開、理解できない衝撃が好きで、本当にとんでもない映画を観たりだとか本を読んで外を走り出したくなるような気持ちになるでしょ。こんなことありかよって、そういう瞬間を常に求めてる。

―― あれを目指していたってことなんですか?

西島 いや、トーナメントバトルは設定していましたが、あそこまでハチャメチャではなかった。やはり「未完」への反動や憤りも強くありますね。角川に続いて『IKKI』でもか、と。

―― 連載を降りている間に、掲載誌『IKKI』の休刊が決まったんですよね。

西島 部署ごとなくなりますっていう。順番でいうと、『ディエンビエンフー』を描き始めて毎月漫画が載って重版を重ねて、みんなが喜んでるっていう状態があったんですけど、さっき言ったみたいに、石油危機によって「連載」から撤退することになった。
でも、隠れて描くことで月刊連載とは違う、広く大きな形で歴史を掘り下げることができました。ベトナム史的に、とても豊かな内容を描けた。その第二部は限定的な対米戦争を離れて、グエン王朝やフランス統治下の話に触れています。フエ王宮に実際に取材したことも大きいわけですが、愛情を持ってベトナム全体を描けている。テト攻勢を軸に、残留日本兵や戦争写真史も織り込んでいる。
地下に潜っている時に震災があって、ペースが落ちて、そのあと休刊が決まって。またかと思って、もう怒ったぞって、怒りの第三部が始まる。

―― 広島に引越ししてからはしばらくの間、漫画を描いてなかったってことですよね。

西島 1年くらいは何もしてなかったと思います。でも、急に引越しや移住がスムーズにできる人もあんまりいないですよね。自分の持ち場を投げ出して移れるって作家か自由人ぐらいしかいない。

―― 職業的にもそうかもしれないですね。

西島 年齢的な問題もあると思います。20代だったら夢があるから東京に残ってがんばるぞって思うし、中間管理職だったら上司も部下もいるし、年老いていたらここに暮らそうって思うだろうし。僕は、下の子が1歳になる手前だったし、娘の小学校の終業式が流れたり、スーパーで買い占めが起こったりするのを見てもいたし。とにかく吉祥寺に暮らすことが憂鬱で、外資系企業が一時的に地方移転したみたいに出版社は引っ越さないのかなって担当さんに聞いたんですけど、大手出版社は東京に土地を持ってるから地下が下がるようなことはしないということで。

―― 出版社は不動産で儲けてるところもありますからね。

西島 それはそれで経済だなと。でも不自由だなと。世の中の仕組みがそうなら、それによって本は出せているけれど、僕は末端の作家なのだから僕の自由を行使して好きに生きようと考えました。その選択も間違っていなくて、引っ越したら引っ越したで楽しいことはいっぱいあった。親孝行にもなるし、地方都市から東京がクリアに見える良さもある。
移住してから、今起こってることを描かこうと思って『ディエンビエンフー』は放置して、『すべてがちょっとずつ優しい世界』(以下『すべちょ』)という作品を描きました。今日話してるような理屈とも違う僕のプライベートな心情みたいなことを、詩のように寓話のように。

―― 『すべちょ』は『モーニングツー』で連載されてましたね。

西島 うん、今思うとそうは思えないけど、普通の漫画雑誌に掲載してました。僕は『すべちょ』を『ディエンビエンフー』よりも優先させたんです。今描くべきテーマを優先させたし、『ディエンビエンフー』はその時、現実との接点を見出せなかった。世界に対して個人ができることはものすごく限られているけど、少なくてとも意志を持って決定することはできる。ささやかな意見を伝えることはできるし、赦すこともできる。それを選択することしか、残されていないけれど、それをする小さな勇気まで奪われるものではない。というささやかなメッセージを描きました。

―― 内容的には寓話的なニュアンスがありましたね。

西島 おそらく、あまり出していない僕の父親目線での考え方もすごく入っています。

―― 西島さんのプライベートな、かなり個人的なものが入ってるように読むと感じる珍しい作品ですよね。

西島 だから、アンチでもないし爆発とかもしないし、ハチャメチャなことも起きない。

―― 『すべちょ』と『All those moments will be lost time』はそういう感じでしたね。震災後の作品で優しいというか。

西島 震災後はそういう作品を優先させていました。だから漫画を描いていないわけではなかったけれど、震災から半年くらいは何もしていなかったかな。『ディエンビエンフー』は止めていたんですけど、なんで止めていられたかというと一旦『ディエンビエンフー』が地下にゲリラ戦として潜っていたからです。
潜っていたら急に連載止まったねって言われないし、サボっていてもバレないし、まあいっかって日々の静かな思いを綴る。作家的なワガママです。しかし、やっぱちょっと変な考え方があって。

―― 変な考えというと?

西島 『すべちょ』は本当にお気に入りの作品なのだけど、あの作品は僕の思考が究極にまで行ったというか、『凹村戦争』や『ディエンビエンフー』を描いていた頃の僕は、思春期のように、この世の中すべて壊れちゃえって思って、作品を作っていた。でも、実際に現実が壊れてしまいそうになると、意外と僕は途方に暮れるっていうか。
で、僕は作品を描くときにいつも「その本が存在する意味」について考えるのですが、『すべちょ』の時に僕が考えたのは、「原発を作るような経済構造にアンチを唱えるなら、そのメッセージを含む自作を売ろうと願うのは矛盾だ」ということ。つまり、メッセージが経済からの離脱ならば、「広まれ」という欲望すらいらない。ささやかに伝わればいい。いっそ「売れない」方がこの作品には正しいと考えたこと。
本を出してもらっているのに、僕自身が「売れるな」と思っています。それを、最大手出版社から編集さんのご理解のもとリリースしている。これはクレイジーです。

―― そうですね。

西島 いい作品が売れたり、いいアイデアは広まる方がいい。でも、ベストセラーになれという欲は物語の主旨と異なってしまう。だって、ささやかな意志だけが日常を変えるし、そのために一人ずつ小さな貧しさを引き受けることだけが、個人にできることだというメッセージが『すべちょ』です。そう考えるとこの本どんどん売れろっていうのはおかしい。「売れないぐらいがちょうどいいね」と思って出した本です。でも版元は困りますよね、そんなの。

―― この本を出された頃にそのことを仰ってましたよね。『凹村戦争』を出した当時とかだとこんな世界は壊れてしまえと思っていたけど、実際に壊れてしまうと「あっ、ヤバイ」って感じに西島さんがなってしまった。

西島 うん、僕の初めての体験だった。だから妻からはすごい言われますよ。今までが平和すぎるし、おぼっちゃんだったんだねって。

―― 西島さんのパンクなというか、それまでの姿勢は世界が安定してるからこそ思えていたことが、崩れていく時にそのまま終わっていいとは思えなかったんですよね。

西島 そうですね。世界よ終われとは思わず、むしろ守らないといけないと思ったし、そう思うから引っ越したしね。でも不思議なことに引っ越した後にもすごい生活が安定してたんですよ。

―― 生活の基盤がですか?

西島 はい。最初はあまり考えていなかったんですけど、なんでこんなに安定してるんだろうと思ってたんです。漫画も全然描いてないし。だって、とりあえずどこでもいいから暮らそうって、一度実家に戻って、そこからホテルからホテルに家族四人で移って。広島と東京を往復して、荷物運んで。でも、別に富裕層じゃないですよ、僕。とても慎ましい生活を送ってます。家族四人で引っ越すってすごくお金がかかるじゃないですか、でも割と余裕なんです。

―― なんでだったんですか?

西島 なんと休んでる間、漫画を描いてないのにも関わらず小学館さんから月刊連載のお金が振り込まれてたんです。僕は震災直後は『ディエンビエンフー』描き貯めていない。でも、向こうは毎月払うのがルールだった。

―― 契約上はってことですよね。

西島 もう、自動的に毎月振り込まれてたんです。

―― 『IKKI』の『ディエンビエンフー』の原稿料ですね。

西島 隠れたおかげで、毎月描いているという「てい」で振り込まれていて、多分それがあったからスムーズに引っ越しができたんです。それに後から気づいて、これはおかしくないですかと聞いたんです。それに二人目の子供が2010年に生まれた時に、編集部が原稿料を少しあげてくれたりもしてくれていて。

―― そういうものなんですか。

西島 いや担当さんはそうは言わないですが、僕はそう思って感謝をしています。やさしい〜と思って。で、やさしいのはなぜかと言ったらたぶん僕が早期退職していたから。進んで僕連載降りますからって。

―― それもあって、何か手当というか、面倒を見ますよって感じだったんですかね。

西島 わからない。でも毎月掲載分の、に相当する原稿料が振り込まれていました。しかも三冊分。知らない間に。

―― 結構な額ですよね!

西島 うん、漫画描いていないのに。で、要するになんで『IKKI』版の『ディエンビエンフー』が12巻まで出たかというと本当は10巻辺りで打ち切りたかったはずなんです。もう、僕は12巻目までの制作費を前払いでもらっていて、つまりそれは借金ですよねっていう状況です。12巻までの予算を先にもらって、しかも使い切っていた。

―― まあ、そうなりますよね。

西島 僕は人生の危機を切り抜けさせてもらった小学館に恩があるから、とにかく描かなきゃいけないぞって。もしかしたら、いっそ刷らない方が損がなかったのかもしれないけど。
震災後しばらくしてから出た三冊、10巻、11巻、12巻、10巻は借金返済として描いています。もしかしたら、それがなかったら、10巻くらいでバタッと終わっていたかもしれません。

―― だとすると12巻まで出されてなかったし、その先の展開もおそらくなかった。

西島 震災直後に9巻が出ています。2011年6月に9巻が出て渋谷のツタヤで展示やサイン会をして。9巻のラストに、ベトナム中部のフエ王宮にアジア象に乗った僧兵部隊「ウォーリアー・モンク」が地響き立てて入城するシーンを描きました。マグニチュード9を越える地鳴り。そこでようやく僕らの生きている現実「3・11」と同じ震度を、フィクションの中で鳴らすことができた。9巻のラストで東京の現実と繋ぐ事ができた。でもそこが精一杯で、その後急速にペースダウンして10巻が出たのがその2年後です。
僕は現実と繋がらないと作品が描けないところがあって、だからそのあとは『すべちょ』や震災ラブコメである『Young, Alive, in Love』を優先させました。どちらも震災をどう乗り越えていくかを示した物語です。
で、それらを終えた後にようやく『ディエンビエンフー』をリスタートする。そこから借金返済のターンが始まる。

―― 震災前後にもらってたわけですからね。

西島 あの混乱を生かしてもらった、家族ごと。カム・オン。(*)感謝しかないわけです。

(*)ベトナム語でありがとう。

―― それはかなり変なシステムですよね。描き下ろしって単行本が出てから印税が入るものだけど、連載原稿だから描いている「てい」で原稿料をもらっているわけだからかなりレアなケースですよね。

西島 描き下ろしに撤退したけど予算は出ますっていう。珍しいパターンだと思います。

―― 普通は原稿を描いて渡さないと原稿料もらえませんもんね。

西島 順序が逆ですね。10巻以降は借金を返すつもりで粛々と漫画を描きました。そこで逃げたら人としてダメでしょう。

―― ええ、今まで言ってきたことと真逆になっちゃいますね。

西島 そこはちゃんと義理を、責任を感じて12巻まで出しますって。

―― その辺りについては2014年に『IKKI』が休刊した頃に、当時の編集長代理だった湯浅生史さんとブックデザイナーの柳谷志有さんと西島さんの三人でB&Bでトークイベントをされていてお話をされてましたね。

西島 ええ、本当は10巻ぐらいで西島さんそろそろ畳んでって話になると思うんですけど、隠れてたから、誰も気にもとめず、震災挟んで続いてしまった。トーナメントもちゃんと構想があって、ヤーボとティム、姫とおばあちゃんが準決勝に勝ち上がる予定で、全15巻ぐらいまで続けて綺麗に終わるつもりでいました。

―― 11巻からトーナメントが始まっているから、三部は5巻構想だったんですね。

西島 はい。でも僕の事情とはそれとはまったく別の理由で『IKKI』の休刊が発表された。そして12巻以上は出せないことになりました。

―― 『IKKI』が休刊する少し前の号に『ディエンビエンフー』何話か載りましたよね。

西島 ええ、「不肖、西島帰ってきました」的な感じで載せてもらいました。でも内容は一周してハチャメチャで、雑誌が終わることは悲しかったけど、じゃあ、どうしようかなと考えて、だったら雑誌が終わることに対する「異議」を全力で唱えようと。残り二冊しかないのに、「100%終わらないトーナメントバトル」を開催すれば、まだ1回戦じゃん、決勝戦だいぶ先だねってなるから、「休刊を認めない」という意思表示になる。

―― 西島さんらしいアンチテーゼですね。

西島 それを、僕の言葉ではなく、「作品の中」でやる。編集さんに怒っているじゃなくて、むしろ恩を感じています。だって、そんな先払いまでしていただいて、震災で混乱してる時に助かりましたっていう感謝しかないのですが、作品と僕個人とは別で、漫画の中では「休刊なんて認めねーぞオラオラ」と、尖るというか。
多くの漫画家は、休刊について、「私がもっと売っていれば」「不甲斐ないです」と言いますよね。それって売れてる作家さんほど言うんですけど、僕はもうそれすらおこがましいと思っている。世界を広く見れば小学館の巨大な出版社の一部署が失敗しただけで、掲載誌の志は間違っていないし、誰も恨まなくていいし、それを作家が反省する必要もない。

―― その辺が見事にドライですよね。

西島 だって、抱えようがないからね。

―― 僕もそのことを聞いてるとまったく違和感がないので、当然だよなって思います。

西島 でも、反省する、悲しんでいる作家さんたちの方がネットで同情を集めたりするだろうしね。

―― たぶん、そこなんでしょうね。

西島 それはそれで、とても人間らしいと思います。でも、僕はエンターテイメント作品を作るということを非人間的な、人間を超えたところに置いています。僕は担当さんとベトナムを旅もしたし、恩もあるし、漫画家にしてくれた雑誌だなと思っているから、誰にも嫌な気持ちはないけど、ただ、企業という巨大な何者かには作品の中で強烈にアンチの意思をぶつけまくる。物語に込める。それがあのトーナメントバトル「ホーチミン・カップ」です。

―― まあ、僕は西島さんご本人を知ってるのでわかりますけど、一部のファンを除くとかなりわかりにくいと思います。

西島 だから、反「左翼」としてポップに始まったはずの『ディエンビエンフー』が、『IKKI』休刊が悲しくて、「休刊断固反対」って本当に左翼の座り込みみたいになっちゃった。
(vol.3に続く)

取材・文/碇本学

<プロフィール>
西島大介/漫画家
1974年、東京生まれ。90年代末からイラストレーターとして活躍。2004年『凹村戦争』(早川書房)で漫画家としてデビュー。以降、『世界の終わりの魔法使い』(河出書房)、『ディエンビエンフー』(小学館)、『すべてがちょとずつ優しい世界』(講談社)、最新作『ディエンビエンフー TRUE END』が現在、『月刊アクション』で連載中。音楽活動としてDJまほうつかいとしてHEADZより『Last Summer』など音源をリリース。また、アート活動してクレマチスの丘NOHARAにて「ちいさなぼうや」展などを開催と活動は多岐に渡っている。

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