インタビュー
映画人の仕事

第5回 助監督/市原直さん【前編】

助監督・市原直さんに聞く、映画と仕事!【前編】

 映画業界で活躍するすごい映画人に、「仕事としての映画」について語っていただくコーナー。第5回は、助監督の市原直さんを訪ねました。犬童一心監督や樋口真嗣監督、是枝裕和監督らの作品で助監督を務める一方で、今年はついに初監督も。そんな市原さんに、助監督の仕事の裏側をうかがいます。

ミュージシャンへの夢絶たれ、助監督に
「小学生の頃は、ひとりで映画館に行くのが格好いいと思ってました。何の目的もなく映画館に行って、その場で今日観る映画を決めて。子ども料金で入ってるくせに、俺は今、大人だ!って。劇場で一番映画を観ていたのは、小・中学生の頃でしたね」
 23歳から助監督の仕事に携わり、今年で11年目を迎えた市原さん(34歳)。高校卒業の頃までは音楽で食べていきたいと思っていたのだそうです。

「ベースをやってたんです。中学の時にバンドを組んで、曲も書けるようになったりして。高校時代はLOVE PSYCHEDELICOの前座をやらせてもらう機会もあって、もしかしてこのままいいところまでいけるんじゃないか?って思ったり。でもある日、ライブの前にバイクで事故って腕を折っちゃった。意識がないまま病院へ運ばれ病院のベッドで目覚めたら、ライブを終えたメンバーが横にいて"クビです"って(笑)。左手の握力もなくなっちゃったし、もう音楽はできないなって、何の気なしに大学に行きました。その頃は映画を仕事にするなんて全く思っていませんでしたね」

 大学は国際学部。経済などを学んでいたそうですが、やっぱり好きな音楽に関わりたいと、就活の時に思い浮かんだのがPVの仕事でした。

「地元の大阪で内定も出ていたんですが、全部蹴ってふらっと東京に出てきました。でも仕事ってそんなに簡単には決まらない。うじうじしながらバス釣りをして過ごしていたある日、突然携帯が鳴って"インターネットドラマの助監督をやらないか?"って。役者をやっている友達の所属事務所のマネージャーが、役者の仕事と一緒に僕の仕事も探してくれていたんです!」

仕事、辛すぎ! 実家に帰ろうと思ったけど!
「インターネットドラマの仕事を2つ返事で受けて、その後テレビの2時間ドラマと連ドラもやらせてもらって。順調? いや......実家に帰ろうと思いましたね。あまりにも辛くて。どんな仕事も最初はできなくて当たり前かもしれませんが、この業界は専門学校卒の方も多いので、新人でもある程度の専門知識は持っているんです。でも僕の場合は映像系の専門学校すら出ていないので、予備知識ゼロ。最初の頃は現場に入ってもカメラ位置すらわからなくて、バカだなんだと毎日のように言われていました......」

 助監督人生は、苦渋に満ちた滑り出し。それでも連ドラの時にはとびきり優しい上司との出会いがあったそうです。

「助監督って最初は一番下の"サード助監督"から始めるんですが、僕があまりにサードの仕事ができないので、"俺がチーフでつくから、一回セカンド(サードのひとつ上の役職)をやってみろ"と新しい意見をいただいたんです。"お前ができない仕事は全部俺がやる。一度ふわっと浮いた状態で客観的に人の仕事を見れば、自分に何ができないのかがわかるから。それで1本やってみて、もう一度サードの仕事をやり直したらいいよ"って。すごい感動的でしたね。ありがとうございます!って、喜んで仕事を受けました」

 ところが感動も束の間。この連ドラの仕事が、市原さんの心を完全にへし折ることに......。

「テレビには、現場に出ずにスケジュールだけを書く"スケジューラー"という仕事があるんですが、何の間違いか、その方、スケジューラーになってしまったんです。なのでもちろん、現場には一切来てくれません。そうなると話は変わってきます。誰の助けもないなかで、サードもできない自分がセカンドの仕事なんてできるわけがないですからね。当然、いろんなところに迷惑かけて怒られる毎日。連ドラだから期間も長いし。それで、もう辞めて帰ろうって......」

 ドラマみたいな話ですが、本気でちょうど荷物をまとめていた時。一本の電話から、再び市原さんに転機が訪れました。

助監督って、どんな仕事?
 ここで一旦助監督の仕事について、市原さんに解説していただきました。先ほど市原さんの言葉の中にチーフ、セカンド、サードという名称が出てきましたが、助監督はそれら3つの業務に分かれているのだそうです。(解説はあくまで市原さんの主観によるものです)

「チーフ助監督」
助監督の中では一番責任の重い立場。映画なら全体のスケジュール管理を一手に任され、メインスタッフ(監督やカメラマンなど)とコミュニケーションをとり、ロケハン(ロケーション・ハンティング。撮影場所を吟味する作業)なども進めていく縁の下の力持ち。スケジュール管理というのは、具体的には台本を読み、各シーンの撮影にかかる時間を経験値で予測しながらスケジュールを組み立てていくというもの。もちろん現場が予定通りに行くとは限らないので、現場と同時進行でスケジュールを修正し、翌日のスケジュールを書き換えていきます。そのため、現場から離れざるを得ない時間が多い。

「セカンド助監督」
現場進行やエキストラの動かし、衣装メイク部との連携、チーフの補佐、現場スタッフへの情報伝達などを行います。現場の中心にいるのがセカンドです。

「サード助監督」
セカンドの補佐。カチンコ担当。主に美術装飾部との連携をとっていきます。

 つまり、私たちのイメージの中にある「監督の横にいる人」は、セカンド助監督。市原さん自身も「僕も現場に入って思ったんですが、セカンドまでは思っていた通り。でもチーフの場合は、クランクインすると演出から遠い仕事になるのは不思議でしたね」と言います。ちなみに監督と各制作部署との間に必ず助監督が入って円滑材として機能するという仕組みは、日本独特のものだそう。

「例えば予算がなくてこれはできません!なんて身も蓋もない話は、誰も監督に言いたくないですよね。そんな時に他部署と一緒にそれを逆手に取ったような代案を考えて、いい形に収まるようにしてから監督に提案する。それも助監督の仕事のひとつです。なので、助監督の性能によっては現場が混乱することもありますが。でも先日、『ウルヴァリン:SAMURAI』の日本撮影パートに合流させてもらったんですが、アメリカは全然仕組みが違います。監督が各部署のトップと直接コミュニケーションをとり、助監督はそのやりとりには介入しません。逆に首を突っ込んではダメなのかな。また日本と違うのは、現場を回すのはチーフ助監督で、その人はスケジュール管理を一切しない。スケジュールを書くのはセカンドADと呼ばれる人ですが、この人は現場には一切出ません。で、さらにセカンドセカンドというセカンドの助手がいる。完全に役割がセパレートされているんですよね」

映画作りの環境が、肌に合っていた。
 さて、話を戻して実家に帰りかけていた市原さんの転機の続きを。

「辛かった連ドラから解放され、もう実家に帰ろうと半泣きで荷物をまとめていた時でした。同年代の助監督の友達から、"映画の仕事がきたんだけど、余裕がなくて受けられないから、代わりにやらないか"って連絡があったんです。せっかくこの仕事をやってきたんだから、どんなに辛くてもやってみよう、思い出作りだ!と、自分に言い聞かせて受けました。東映の作品だったんですが、撮影所という所に初めて行って衝撃を受けましたね。美術部も衣装部も、すぐ側にいる! 何かあったら、すぐに相談できるんだって。当時はテレビの現場しか知らなかったんですが、僕がやっていた時は、例えば美術部に会うために2時間くらい電車に乗って出かけて、怒られて、また2時間かけて帰ってきて......という日々でした。下手すると一日の半分がつまらないやりとりで終わってしまって、徹夜になったり。すごく効率が悪かったんです。だから映画の撮影所って素晴らしいなって思ったんですよね。僕にはとても合っていると感じました。そこからは基本、映画の仕事が中心になっています」

後編では、現場でのエピソードや好きな映画についてをお聞きしています。お楽しみに!

(取材・文/根本美保子)

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市原直(いちはら・なお)

1979年、大阪府生まれ。大学卒業後、インターネットドラマで助監督の仕事を経験。以降、映画を中心に、テレビドラマやCMなどの助監督としても活躍。主な作品に、樋口真嗣監督『日本沈没』『隠し砦の三悪人』(ともに助監督)、是枝裕和監督『歩いても歩いても』(助監督)、犬童一心&樋口真嗣監督『のぼうの城』(助監督)、福田雄一監督『俺はまだ本気出してないだけ』など。また年内公開予定のオムニバス映画『Father』で監督デビュー。

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