第11回 新『キャリー』予告篇解禁記念! 76年版『キャリー』のレビュー
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僕が今年、アメコミ映画ではなく楽しみにしている作品はいくつかあり、リメイク版『死霊のはらわた』『パシフィック・リム』『ローン・レンジャー』『スター・トレック イントゥ・ダークネス』・・・そしてリメイク版『キャリー』です。
全米では、最新の予告篇がリリースされました。
この映画は、76年に公開された『キャリー』(日本公開77年)のリメイクです。
読書好きの方なら、スティーブン・キングの出世作を原作としています。この76年版は、いまだにキングの映画化作品の中では最高峰の一つとされる作品です。
新作「キャリー」を楽しみにしつつ、今回は、それを記念して(と言っても日本公開は、今年の11月なのですが)、2011年に「午前十時の映画祭」で、76年版の『キャリー』がリバイバル上映されたとき、僕が書いたレビューを再掲させていただきます。
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77年春に『キャリー』という映画が公開された時は、日本はまだオカルト系ホラー映画がブームで、配給会社はこの『キャリー』と、お化け屋敷を描いた『家』、輪廻転生を描いた『オードリー・ローズ』を、"パラサイコ"シリーズと銘打って連続公開しました。
そう『キャリー』は、ジャンル的にはホラー、しかもオカルトというより超能力がテーマなので、SFホラー映画でしょう。しかし、この映画は、決して"超能力少女の恐怖"を描いた作品ではなく、"たまたま超能力を持っていた、ある少女の悲劇"の物語なのです。
アメリカの田舎町の高校にキャリーという少女がいます。彼女は、内気な性格で、また見栄えもぱっとせず、どんくさいので、クラスメイトからいじめられ、馬鹿にされています。
キャリーが、こういうキャラになったのは、狂信的な母親に育てられているからであり、母親は、婚前交渉で生まれたわが子キャリーを"不浄の娘"として、ほぼ児童虐待的に育てています。そして、あることがきっかけで、キャリーは、自分が念力使いであることに気付きます。一方、キャリーをいじめてきたことを反省した少女スーは、その償いとして、自分のボーイフレンドに、キャリーをプロム(高校最後のダンスパーティー)に誘うよう、お願いします。
素敵な男の子にプロムに誘われ、とまどいながらも、生まれてはじめての幸せをかみしめるキャリー。しかし、キャリーを憎む意地悪なクラスメイトが仕掛けたひどい、どころかひどすぎる"いたずら"によって、キャリーは絶望のドン底へと突き落とされます。そして、キャリーの悲しみが頂点に達したとき、彼女の中に眠るサイキック・パワーが全開&暴走し、プロム会場は地獄と化すのです。
この映画が"罪"だなと思うのは、最初はダメダメだったキャリーが、ドンドン可愛くなっていく=少しずつ"普通の女の子らしさ"を手にしていくプロセスが、本当に丁寧に描かれているのです。だから僕らは、いつしかキャリーのことを本当に愛しく思い、感情移入していきます。プロム会場でみせるキャリーのうれしそうな顔、そしてパーティのベスト・カップルに選ばれたときの至福の表情。この映画、ここで終わってくれ!と何度、心の中で叫んだことか。それくらい、皆キャリーの幸せを願っていたのです。
しかし、ここから映画は、ショッキングな描写をはさんで、哀しみと恐怖の物語に猛突入していきます。そうこの映画の監督ブライアン・デ・パルマは、僕らを、散々キャリー好きにならせておいて、一気に突き放すのです! 愛らしい少女が、殺戮の女王と化す、その酷(むご)さ、そして見事さ! これは、もちろんデ・パルマの演出もさることながら、キャリーを演じたシシー・スペイセクの神級の演技によるものです。
目だけで、彼女の凶と狂を表現。『リング』の貞子と、『X-MEN:ファイナル・ディシジョン』の破壊神フェニックスを足したような感じです! しかも血まみれ!
タチの悪い子たちが、しっぺ返しを食らう=壮絶な報復劇なわけですが、何故か、ここにカタルシスは感じませんでした。キャリーの超能力の前に倒れていく若者たちは、確かにキャリーを笑い者にしたけれど、"殺されて当然"ほど、悪いことをしたわけではない。
そう、この映画は、単純なイジメられっ子の復讐の物語ではありません。キャリー自身も、解き放たれた自分の力をどうすることも出来なかったのでしょう。ほんのちょっと、他人を思いやる心が欠けていただけで、とりかえしのつかない悲劇を招いてしまう・・・この映画が描く、本当の怖さは、こういうところにあるのかもしれません。
この映画のラストには、いかにもホラー映画らしいオチがついています。僕は、ここにいきつくまでの物語が完成されすぎていて、(あくまで僕個人の意見ですが)このオチは、蛇足という気がしたのですが、改めて見直してみて、恐らくデ・パルマは、このオチを付けることで『キャリー』をわざとホラー映画に"おとし"たのだと思います。なぜなら、『キャリー』は、誰もハッピーにならない、救いのない物語だからです。観客が重い気持ちで劇場を出る前に、「いえいえ、そうは言ってもこれはホラー映画ですから、そんなにシリアスにならないで」と、ある種の"救い"を用意したのではないしょうか?
傑作です。
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今回の新作『キャリー』において、"彼女は、必ずしも最初からモンスターではなかった"というセリフがあるようです。
僕は今回のリメイク版が、『キャリー』という物語の本質をすごく理解しているような気がして、安心しました。
11月、"彼女"と再会したとき、自分がどんな風に感じるのか、いまから胸騒ぎです。