【映画惹句は、言葉のサラダ】 第3回 東映VS東和の、ジャッキー映画惹句対決!!
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●1979年7月。ジャッキー・チェン、日本参上!
ジャッキー・チェン主演『ドランクモンキー/酔拳』が日本公開されたのは、1979年7月21日。あの『エイリアン』と同じ日だ。本来『酔拳』は、2週間後の8月4日から東映映画『トラック野郎・熱風5000キロ』と2本立てで東映系にて公開される予定だったのだが、「作品の評判が良いため、特別に先行公開する」ことになったそうだ。実際は単に洋画系の番組に穴が空いたからだと思うけど。そのジャッキー初登場作品「酔拳」の惹句がこれ。
「むかしドラゴン、いまドランク! 酔えば酔うほどツヨくなる
これが噂の超ヒット〈酔八拳〉」
ちなみに詠み人は、伝説の惹句師・関根忠郎さん。本人に電話で聞いたら「『酔拳』は洋画配給部・洋画宣伝室の扱いで、『トラック野郎』は(東映配給の日本映画を扱う)宣伝部の扱い。だからポスターとかは別々に作ったんだけど、2本立て用のチラシとか新聞広告は、宣伝部で僕がまとめて作ったんだよ」とのこと。
まあこの『酔拳』がヒットしたことで、ジャッキー・チェンのネームバリューは拡大し、東映としても彼の旧作を次々に公開するわけなんだが、そのジャッキーは当時ゴールデン・ハーベストと契約を交わし、新作に関してはGH社が製作し日本での配給もGH社とはブルース・リー主演作や『Mr.Boo!』シリーズでお付き合いのある、東宝東和が配給することになる。1980年9月に東和配給で公開された『バトルクリーク・ブロー』は、ジャッキーがアメリカに進出した最初の作品であることを、惹句でも大きく謳い上げていた。
「いま、アメリカから全世界へ−
〈ニュー・ヒーロー〉の巨大な挑戦!」
●全編これ漢字惹句の『師弟出馬/ヤング・マスター』
この時点でのジャッキー主演作は、新作を東和がGH社から調達し、タイトルもカタカナ。それに対して旧作は東映の配給で、漢字タイトルに時折カタカナのルビがつくといったパターンが確立されていた。ところが東和が大ヒットを見込んだ『バトルクリーク・ブロー』は予想を下回る成績で、続く新作はアメリカ進出ではなく、香港でのカンフー・アクションの集大成という位置づけで、邦題も『師弟出馬/ヤング・マスター』と漢字をメインにし、カタカナはバックにあしらうという戦略に出た。こうしたポリシーはポスター、チラシに使われた惹句にも貫かれ、ジャッキー作品だけでなく、香港映画の宣伝マンと言えばこの人。飯田格が自ら考案した惹句は、全編漢字という掟破りのものだった。
「痛快無比 凄絶至極! 最新〈成龍〉世界超大作
万人必見! 熱烈上陸−」
漢字の直線的なラインをデザイン面でフル活用し、まさに集大成に相応しい迫力と勢いを感じさせる、素晴らしい惹句だ。残念ながら『師弟出馬・・』の場合も『バトルクリーク・ブロー』同様、東和関係者が期待したほどの成績を上げることは出来なかったが、ジャッキー人気は『酔拳』『蛇拳』など東映が配給した旧作のTV放映と、その後東和が配給した大ヒット作『キャノンボール』によって少年層を中心に拡大していく。
●東映のジャッキー作品の惹句に、東和の影響が・・?
面白いのは、当時の東映と東和がジャッキー作品を交互に市場に出すことで、時にしのぎを削り、時に影響を受けた、その痕跡が見られることだ。例えば1982年2月に公開された「龍拳」の惹句には、明らかに「師弟出馬・・」に採用された全編漢字の影響が見て取れる。
「到来実現・幻影傑作・悪玉撃退・超進撃」
この惹句には、こんなルビがふられている。
「やってきました じゃっきぃ・ちぇん
てんかむてきの すぴーど・ぱんち」
この快適なテンポとリズム。「超進撃」を「すぴーど・ぱんち」と読ませる強引なセンスは、まさに東映(笑)。『師弟出馬・・』の漢字惹句に負けず劣らず、強いインパクトを残す名惹句だ。
『龍拳』の1年後に東映が配給した『蛇鶴八拳』でも、メインの惹句は「中国3000年の歴史をしょって メチャクチャ燃えるジャッキー拳法! もう、やるっきゃない!」と決めておき、バックに「奇想天外」「天真爛漫」「単純明快」「支離滅裂」と、漢字四文字をあしらうという絶妙なデザイン。
もとより東映がジャッキー作品を『トラック野郎』の同時上映に選んだのは、「ジャッキーはアジア人だから、東映の映画とポスターを並べて貼っても違和感がない」との理由からだ。初期作品ではコミカル・カンフーを前面に出し、モンキー・パンチの描くイラストで楽しさを伝えていった。一方の東和は『師弟出馬・・』以降もカタカナ邦題にこだわった。つまり、ひとりのスターの主演作を、2つの配給会社が別々のアプローチで宣伝していったわけで、こうしたケースも珍しい。ジャッキー・チェンが現在でもスターとして認識されているのは、70年代末期から80年代にかけて、ライバル関係にあるふたつの配給会社によるせめぎ合いがあったからに違いない。
(文/斉藤守彦)