殺人というハードルをやすやすと越える理由。『シリアル・ママ』
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「あの男(女)をぶっ殺したい!」という怒りを1度も持ったことがない人間はまれだろう。しかし、殺意を実行に転化するにはあまりにも失うものが多く実行に至らない、通常は。
そもそも、殺人事件の裁判を傍聴する限り、深い動機や心の闇とか、そういう大層なものはない。ある殺人事件を起こした人間は事件の瞬間を「どうも夢の中にいるようで出所しても未だ現実味がない」と話していた。法務省の統計を見ると、平成25年の殺人事件の主な動機は238件中100件が「憤まん・激情」という。現実は陳腐なものだ。
『シリアル・ママ』に登場する主人公で「良き妻・良き母」のベヴァリーは家族の安寧や社会ルールに沿わない者を片っ端から殺害していく。息子を問題児扱いしただけで教師を轢き殺し、娘のボーイフレンドが娘を振っただけで火かき棒で串刺し。果ては息子のアルバイト先のレンタルビデオのテープを巻き戻さない老婆を撲殺。ついでに「秋なのに白い靴を履いている」というファッションのルールを破った陪審員まで始末している。ちなみにどれも罪悪感はゼロ。むしろ掃除をするがごとくである。
動機が「憤まん・激情」にすらならないような瑣末なことではある。フィクションのコメディなので黙って笑うのが正しい鑑賞法なのかも知れないが上記の殺人者の言葉を思い出す。「どうも夢の中にいるよう」
「自分が正しい」という夢の中にいれば、誰も彼もが対話の余地がない敵になる。錦の御旗を掲げているのだから当然だ。イラっとするのだから殺して差し支えあるまい、だって夢だし。むしろ夢だからこそ邪魔者は排除しなくてはならない。
冒頭の殺人者は裁判では散々反省の弁を述べ、贖罪意識を認められ仮出所している。罪悪感について訊ねたところ「夢の中の出来事に反省の念はわかない」と言い放った。きっと本音なのだろう。
「自分こそ正義」と信じている人々があちこちで大声をあげる現在、せめて自分は正しいとか正義とかのつまらん美辞麗句で夢心地にならないよう気を引き締めさせられた。
(文/畑中雄也)