『七人の侍』でサラリーマンの「勝ち戦」について考える。
- 『七人の侍(2枚組)<普及版> [DVD]』
- 三船敏郎,志村喬,稲葉義男,宮口精二,千秋実,黒澤明
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ご存じ、黒澤明監督の『七人の侍』。3時間半に渡る長い映画だとも知らずに、いや、DVDが前編後編の2枚組であった時点でもしかして6時間くらいあるのだろうかと若干ドキドキしてたというのが本当ですが、土曜日の深夜12時から観始めました。どっちにしろ日曜日もひとりで映画を観るくらいしかやることがないですから。3時間半だろうが6時間だろうがどちらでもいいんです。
野武士の脅威にさらされた農民の集落。野武士に襲われて生き残ったのは侍を雇った村だけだったという長老の言葉から、村を守ってくれる侍を探し、野武士に挑むというお話です。
「今回も負け戦だったな」。7人の侍のリーダー的存在である島田勘兵衛のラストのひと言がとても印象的でした。(ネタバレになりますが)最終的に7人の侍のうち4人が犠牲になりこそすれ、野武士は撃退するんです。にもかかわらずこのひと言です。勝利したのは農民たちであり、俺たち侍が勝利したわけではないのだと。ハッとさせられます。
農民に雇われた7人の侍。彼らは現代的にいえばフリーランス的な立場だと思いますから、サラリーマンとは少し違うのですが、人から雇われている存在という点ではフリーランスもサラリーマンも同じです。たとえば何かのコンペで勝利した。その晩はチームのみんなとビールで乾杯します。でもその勝利は誰のものでしょうか。やっぱり雇い主である社長あるいは会長のものです。というか会社のものです。間違っても自分のものではない。そのことを、勘兵衛は決して忘れていない。そのうえで命を賭して戦いに挑むのです。侍とは、サラリーマンとはこういうものかと、勘兵衛の言葉によって気づかされるのです。どんな勝利も自分のものではない。自分の仕事は常に負け戦なのだと。そんな戦に命を賭けようなんて夢にも思わないですが、現に私たちはそういう戦に命を賭けてしまっているのかもしれません。
世の中的には雇い主ばかりに光が当たりますが、ほんとにすごいのは雇われている方なのではないか。そんなことを思いながら目覚ましをセットした『七人の侍』です。
(文/根本美保子)