第4回 「諦め」の美学。 タランティーノで大人のホロ苦さを味わえ! ・・・『ジャッキー・ブラウン』
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ういっす。なぜいま、あえて『ジャッキー・ブラウン』を語るのかと問われれば、私はいつでも、永遠に『ジャッキー・ブラウン』の中毒者だからです。このインチキ野郎ばかり出てくるイカれた映画も、ブッダの立場から見ると、深い味わいことこの上ナシです。
主人公・ジャッキー・ブラウンは、元デルタ航空のスチュワーデス。麻薬所持で逮捕、服役後はメキシコの小さな航空会社で、年収1万6000ドルの仕事をしながら、貧しく暮らしておりますですよぉ。強くたくましく、そしてひっそりと。女の強さですな。
そんなジャッキーに、違法なカネを国外から運ばせるサミュエル・L・ジャクソンの役どころは武器密輸商人。相棒は、銀行強盗で逮捕されたムショ上がりの落ちぶれギャング。ロバート・デ・ニーロが演じているのも楽しい(FUCKシーンも愉快だ)。
こんな煩悩に満ちた男連中を相手に、ジャッキーは命を賭けた大勝負に打って出る。男たちの欲望を逆手に取って、彼らのカネ、50万ドルをネコババする計画を立てる。
私が注目するのは、この映画の脇役的存在であるマックス(ロバート・フォスター)の渋すぎる演技です。
容疑者の保釈を代行する金融業を営むマックスは、56歳。ヅラもかぶっていますぜ。そんな彼が、ブッダ的に見れば、まさに主人公の映画ですわい。
マックスはジャッキーに一目惚れして、彼としても人生最後の一番、つまりジャッキーのカネ横取り作戦に手を貸すのです。法を犯し、命を張って、ジャッキーを救おうとする初老の大人の無私な献身にホロ苦い悲しみを覚えます。挿入歌であるデルフォニックスの甘いバラードがより切なさを際立たせます。
ストーリーの最後に、ジャッキーが遠慮するマックスにもっと報酬を分け合いたいと申し出ますが、彼はこれをなんと断ります。一緒にスペインに逃避行しないか、とジャッキーが畳み込むが、これも、「私は56歳だ。無茶はしないさ」などと、突っぱねます。ふたりは、抱擁して、くちびるを重ね、ジャッキーは、マックスのもとを去ります。
ヅラをつけた冴えない56歳の男がボオッと恋の炎に燃え上がり、恋する人を助けて、最後にはその女を手放すという、大人の男でしかできない大仕事をやってのけたのです。
仏教では、「諦める」という考えが重要です。「諦める」とは「明らかに見る」という意味です。まさにマックスはジャッキーとの恋を明らめました。この先、年老いた自分が若いジャッキーと長続きするはずもない。マックスは自分を「見切った」のです。
みなさんはまだお若いでしょう。ですが、やがて歳をとります。「元気、ギンギンで一生、ハッピー」てなワケにはいかなくなるのです。それでも、若さや刺激に執着して、若いモンとギャーギャーはしゃいでいては、端から見れば「イタい人」としか映りませんぜ。もしあなたが、30代ならば、そろそろ諦めどきです。ハッチャキになって、欲望を追いかけていたら、私のようなブザマな40代が待っているだけです。
私が以前、有名な脚本家を取材したとき、そのお方は「人生とは可能性を狭めていく作業だ」とおっしゃいました。アタマがとっちらかっていると、人生で最も大事なものを見失い、ろくでもない末路がまっておりまっせ。
さあ、あなたも背伸びして、あれこれとガッつくのはやめて、等身大の己を大切にしてはいかがでしょう。
人生、手ぶらでバカが、いい。