第84回 『死霊の盆踊り』
『死霊の盆踊り』※VHS廃番
1965年・アメリカ・91分
監督/A・C・スティーブン
脚本/エド・ウッド
出演/ウィリアム・ベイツ、パット・バリンジャー、クリズウェル、死霊ダンサーズほか
原題『ORGY OF THE DEAD』
「これは困った。これほど変な映画が、いままであっただろうか? 一体何だこれは? ホラーか? ポルノか? 新興宗教か?」。今回は、アメリカの倉庫に眠っていた廃棄同然の低予算クズ映画が、公開22年後に日本でこんなキャッチコピーを与えられ、最低映画の最高峰(変な表現)にまで上り詰めた奇跡の感動秘話をお届けしよう。
1928年にブルガリアで生まれたA・C・スティーブンは、共産政権下の反政府活動により送り込まれた収容所を出た後、1950年代後半に渡米して映画業界に入る。そこで最低映画を連発して生活苦に喘いでいたエド・ウッド(説明不要?)と出会い、同じベクトルに意気投合。2人はドライブイン・シアター向けのヌード映画『ORGY OF THE DEAD(死者の乱交パーティー)』を完成させる。
売れない小説家ボブは、恋人のシャーリーと深夜のドライブを楽しむが、荒っぽい運転で事故る。2人が失神から醒めると、そこは満月に照らされた墓地。すると広場に置かれた棺桶から黒マントの冴えないジジイが出てきて「われこそは闇の帝王だ」と偉そうに語り出すが目線はカンペ。エド・ウッドが連れてきた素性不明の役者・クリズウェルは全く台詞を覚えてこなかった。そこで責任を感じたエド・ウッド自ら、カメラの横でカンペを持っていたのだ(泣ける)。
その様子をボブとシャーリーが物陰から覗いていると、同様に黒マントを羽織った闇の女王が登場。「パンパン」と手を叩くと、白いヘッドバンドをした赤パンツ一丁のトップレス女が登場し、音楽に乗ってヒョコヒョコと腰を振って踊り出す。そいつが退場すると、別の女が現れてストリップ。シャーリー「怖いわ」。ボブ「大学のダンス・パーティーか?」(なワケないでしょ)。
ここで狼男とミイラ男が登場し、2人を捕まえて広場に連れ出す。柱に縛り付けられた2人は、交代で出てきては踊る浮かばれない女の死霊によるキレのない脱力ダンスを、強制的に延々と見せつけられる。しかもハードコア・ポルノが誕生する以前のソフトコアだけに、死霊はパンツを絶対脱がない。ただただオッパイと腰を振るだけだ。
やがて夜明けが迫り、2人を殺そうとした闇の帝王と女王は、朝日を浴びて骸骨になってしまう。2人が目を覚ますと、救急隊に囲まれていた(夢落ちかよ)。
91分中53分54秒が死霊の単調なダンス・シーンという、観客にとって拷問のような作品。FBIから俳優に転職したボブ役のウィリアム・ベイツも、「これでスターになれる」と勘違いしたシャーリー役のパット・バリンジャーも、共に見事な大根役者。エド・ウッドは鳴かず飛ばずのまま1978年に死去、スティーブン監督も低迷する。そして舞台は、レンタルビデオ・ブームが勃興した1980年代の日本へ。
倉庫に眠っていた低予算の駄作・珍作が、ビデオ化権という新権利により次々とサルベージされて商品化。その最大の市場が日本だった。この時、われわれマニアにとって「神」となった人物こそ、エド・ウッドの名をペンネームに借りた現・映画評論家の江戸木純。彼が手掛けた作品は本コラムでも『グルメホラー・血まみれ海岸 人喰いクラブ・地獄のシオマネキ カニ味噌のしたたり』(第2回)、『クローン人間ブルース・リー 怒りのスリー・ドラゴン』(第4回)、『首狩り農場 地獄の大豊作』(第26回)と、何度もお世話になっている。
当時創業したばかりのギャガ・コミュニケーションズの宣伝企画部に在籍していた江戸木は、50~60年代に製作されたホラーやエロの最低映画ばかりをリリースする米国ライノ・ビデオからビデオ化権を取得した10作品のセールスに係っていた。その10本に含まれていたのが『死霊の盆踊り』こと『ORGY OF THE DEAD』。既にアメリカの少数マニアの間でカルト人気を得ていた作品だが、くだらない映画を笑いながら楽しむという遊び心は、まだ日本では熟していなかった。
江戸木はそれら10作品を1986年8月にスタジオamsのホールで『わ~スト・シネマの逆襲』として企画上映したが、観客は一桁。『ORGY OF THE DEAD』には、コパカバーナと墓場を掛けた『ディスコ・ハカバカーナ 亡霊たちの盆踊り』という仮題(盆踊りの起源は死者の供養だけに正しい命名)を付けて売り込むも、どこも興味を示さない。だが『死霊の盆踊り』とタイトルをシンプルにするとマスコミの取材が入り始め、1987年の第3回東京国際ファンタスティック映画祭での上映が決まった......と思ったら土壇場で出品が断られた。作品を観た映画祭のお偉方が「品格に欠ける」と拒絶したのだ。
だが劇場公開用の字幕プリントも用意され、日本コロムビアからビデオ発売、スティーブン監督の来日まで決定していた。後に引けなくなった江戸木は真実を監督に伝えず「予算不足で」と招聘を断るが、東京へ行くのが楽しみで仕方ない監督は自腹で来ると言う。困った江戸木は東京ファンタ会場から程近い渋谷松竹で『死霊の盆踊り』を「映画祭公式不合格"惨禍"作品」と称し、さも映画祭の公式イベントであるかのように上映を決行。公開当日、芝神社でヒット祈願したギャガの社員は、総員で原宿・渋谷の歩行天国や中野駅前商店街へ繰り出し、ホラーマスクを被って盆踊りのパフォーマンス。監督の接待費を含めた宣伝費は50万円に満たなかったが、こんなヤケクソの作戦によりビデオは無名の低予算映画にしては5000本を売る異例の大ヒット。これはもうプロジェクトXだ!
さて、『死霊の盆踊り』が東京ファンタ参加作品と信じたまま帰国したスティーブン監督は、同じ内容で時代設定が近未来に、音楽がロックになっただけの『死霊の盆踊り パート2』の台本を江戸木に送りつけ、何度か「スポンサーは見つかった?」と問い合わせをしてきて彼を困らせているという(笑)。
(文/天野ミチヒロ)