連載
怪獣酋長・天野ミチヒロの「幻の映画を観た!怪獣怪人大集合」

第57回<怪獣ブーム50周年企画 PART-8>『大巨獣ガッパ』

映画専門誌も1冊丸ごと怪獣特集! 『別冊スクリーン 1967年5月号』(近代映画社)※筆者私物

●「怪獣ブーム」とは
 今から51年前の1966年1月2日、記念すべきウルトラシリーズの第1作目『ウルトラQ』が放送を開始した。『鉄腕アトム』や『鉄人28号』などのアニメを見ていた子供達は、一斉に怪獣の虜となった。すでにゴジラ映画は6本を数え、前年の1965年にはガメラがデビューした。『ウルトラQ』終了後、これに拍車を掛けたのが同時期に始まった『ウルトラマン』と『マグマ大使』。見た事もない巨人が大怪獣を退治していく雄姿に、日本中の子供達のパッションがマックスで弾けた。
 これに触発された東映も『キャプテンウルトラ』『ジャイアントロボ』『仮面の忍者赤影』と次々に怪獣の登場する番組を制作。大映はガメラのシリーズ化に併せて『大魔神』を発表し、日活と松竹も大手の意地を見せて参戦した。そして少年誌はこぞって怪獣特集記事を組み、怪獣関連の出版物や玩具が記録的セールスを計上した。これは「怪獣ブーム」と呼ばれる社会現象となり、『ウルトラセブン』が終了する1968年まで続いた。
 ちなみに『帰ってきたウルトラマン』『仮面ライダー』が始まる1971年から1974年にかけて再ブームを起こすが、これは「第二次怪獣ブーム」(「変身ブーム」ともいう)と呼ばれ、最初のブームは「第一次怪獣ブーム」として厳密に区別されている。

◆◆◆

『大巨獣ガッパ』
1967年・日活・84分
監督/野口晴康
脚本/山崎巌、中西隆三
出演/川地民夫、山本陽子、小高雄二、和田浩治、藤竜也ほか

 今回は、前回の『宇宙大怪獣ギララ』を踏まえて読んで欲しい。『ギララ』から約1か月遅れて公開した『大巨獣ガッパ』。「大怪獣」ではなく「大巨獣」に、初の怪獣映画制作で勝負に出た日活の「ウチのは他社とは一味違うぞ」といった意気込みがヒシヒシと伝わる。ガッパは河童とカラス天狗を合わせたような姿で、海外輸出を視野に入れている事もあり、オリエンタル・ミステリーなデザインが西洋人ウケしそうだ。

 洋上を行く船の甲板上、ナマ足ヘソ出しでデッキチェアに寝そべり『週刊少年マガジン』を読みながら陽を浴びる女。日本を代表する清楚系女優の山本陽子だ。役名は小柳糸子......糸子? そう、奇しくも『ギララ』のヒロイン役女優は原田糸子だった(当時の流行りネーム?)。そして、ここに流れるエレキサウンドの主題歌が場面と全くマッチしていない。紅白歌手・実樹克彦はガッパの名前を3連呼し、語尾を必ず「パ~ア」と歌いあげる。そのシュールさ・インパクト・破壊力は、『ギララ』の主題歌以上だ。

 南太平洋を航行する船には、殿岡助教授(小高雄二)率いる東都大学の生物採取班(助手に藤竜也)、『プレイメイト』誌の社員・黒崎(川地民夫)と三郎(桂小かん)、そして糸子はカメラマンとして乗船している。『プレイメイト』が創刊5周年を記念してオープンさせるテーマパークに、珍しい動物を集めるため派遣されたメンバーだ。

 一行はオベリスク島に上陸する。1人でジャングルを歩く三郎が「ガサガサ!」と突然の物音に驚くと、木陰から翼竜が飛び立つ。三郎は「ビックリしたな、もう」と言って普通に歩き出す。......そこ変でしょ? 翼竜だぞ! 世紀の大発見だぞ! やがてメンバーらは巨大な石像で封じられていた洞窟の中で、卵から孵化したばかりの赤ちゃんガッパを捕獲。「ガッパ、たくさんたくさん怒る」と引き留める長老を無視し、さっさと子ガッパを船に積み込み日本へ向かう。やがて洞窟に親ガッパ達が戻り、卵の欠片を見つける。ガッパ夫婦は村を踏み潰しながら子供を探し回る。火山も大噴火を起こし、島民達はカヌーで脱出。そこに偶然通りかかった米軍の潜水艦によって救出される。

 郊外の東都大学生物研究所に隠された子ガッパは、生まれた時の1.5メートル程から数十メートルに急成長し、頭に検査用の電極が付いたヘッドギアを被せられ檻に入れられている。下から上に閉じる瞼が面白い。幼い娘を連れて視察に来た『プレイメイト』の社長は、金属棒で子ガッパを突いて虐待する。娘やスタッフの白い目に、社長は「ワシの物だから何をしようと勝手だ!」とワンマンぶりを発揮する。

 その頃、熱海では「ザバアア~ッ」と海から親ガッパが上陸! メスは口にタコをくわえている。腹を空かしている子ガッパへの母心だ。当時の怪獣図鑑『怪獣解剖図鑑』(朝日ソノラマ)によれば、ガッパには「タコ胃」というものがあり、中には丸飲みされた大タコがたくさん詰まっている。ガッパはタコが主食らしい。

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『怪獣解剖図鑑』(朝日ソノラマ)より「タコ胃」 ※筆者私物

 ホテルの宴会場では、芸者が踊って酒の酌をする宴会の真っ最中。会社の慰安旅行だろうかポマードで髪を固め黒縁メガネという典型的な昭和サラリーマン達が合いの手を打って騒いでいる。そこへ天井をブチ破って巨大な足がドーン! オスガッパがホテルの屋上から踏み抜いたのだ。熱海の温泉街はパニックとなり自衛隊が出動するが、ガッパは口から熱波光線(ガッパだけにネッパ?)を吐き戦車を焼き払う。

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熱波光線! 『別冊スクリーン 5月号』より。 ※筆者私物

 熱海市街地を蹂躙し戦車部隊を全滅させたガッパ夫婦は、次に熱海城を襲う。ここで戦闘機部隊が飛んで来るが、ガッパ夫婦はこれも熱波光線で全滅させ、熱海城を跡形もなく破壊。「ここに坊やはいない」と富士山の方へ飛び去る。ちなみに熱海城は『キングコング対ゴジラ』(62年)でも両怪獣にメチャメチャに壊されている。そう、熱海は怪獣マニアの聖地でもあるのだ。筆者は毎夏必ず熱海へ聖地巡礼に行き、怪獣仲間らと飽きずに同じ話をして喜んでいる。蛇足だが、オスガッパの中に入っていた人の名前は熱海弘到だ。

 社長はガッパ襲来に便乗し、子ガッパの写真を表紙にした『プレイメイト』増刊号を急遽発売する。これがバカ売れしてウハウハの社長だが、一方自衛隊は大変だ。ガッパが潜伏する河口湖へ爆雷投下、毒液散布しても全く効き目なし(河口湖の生態系が......)。ガラスを擦った時の不快な音を増幅して湖底に流し、湖から追い出すのが精一杯だった。

 米軍が助けたオベリスク島のサキ少年が研究所を訪問し、「子供返せば、ガッパ怒るのやめます」と懇願する。糸子「親が子供を愛するのは、人間だってケダモノだって変わりないはずだわ」。糸子さん、ケダモノって......。母がいない(理由不明)社長の幼い娘も「パパお願い、返してあげて。動物だってお母さんに会いたいに違いないわ」。社長「うるさい! こんなバケモノに母親もクソもあるものか!」。「パパなんか大嫌い!」と走り去る娘。見かねた黒崎はクビを覚悟で「社長、それでも人の親ですか。キ○ガイのいう事なんか我々は聞きません」と非難し、全員で子ガッパを親に返す作業に取り掛かる。

 子ガッパはヘリコプターで空輸され、羽田空港の滑走路で降ろされる。京浜工業地帯を火の海にしてきたガッパ夫婦と、ついに涙のご対面(メスは本当に涙を流す)。ガッパ親子は幸せそうに故郷の島へと飛んで行く。そして糸子を巡る黒崎・殿岡の三角関係もあったりして、その結末が日活青春映画らしく締め括られ、再び「パ~ア」連呼の主題歌でハッピーエンド(死傷者多数、被害総額不明)。

 小林旭や赤木圭一郎が主演の日活アクション映画を手掛けた野口晴康監督は、『ガッパ』公開直後、『関東も広うござんす』の撮影期間中、心筋梗塞で急逝した(享年54歳)。野口監督の実質上の遺作となった『大巨獣ガッパ』は、ゴジラやガメラとは異なる輝きを放つ名作として、後世に語り継がれているのだ。

(文/天野ミチヒロ)

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天野ミチヒロ

1960年東京出身。UMA(未確認生物)研究家。キングギドラやガラモンなどをこよなく愛す昭和怪獣マニア。趣味は、怪獣フィギュアと絶滅映像作品の収集。総合格闘技道場「ファイトネス」所属。著書に『放送禁止映像大全』(文春文庫)、『未確認生物学!』(メディアファクトリー)、『本当にいる世界の未知生物(UMA)案内』(笠倉出版)など。
世界の不思議やびっくりニュースを配信するWEBサイト『TOCANA(トカナ)』で封印映画コラムを連載中!

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