ユダヤ人とはどんな存在だったのか

19世紀の反ユダヤ主義的思潮を理解するには、西欧において「ユダヤ人」とはそもそもどんな存在だったのか、ということを押さえておく必要があります。

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ユダヤ人とは、ユダヤ教を信仰している人たち、あるいはユダヤ人の血統を継いでいると自任する人たちを指します。キリスト教の『新約聖書』では、ユダヤ人は神に選ばれし民でありながら、救世主イエスを十字架に架けた罪深き人々ということになっています。彼らはヨーロッパ各地に散り、土地の人々との混血が進んで「外見的」には区別が付きにくくなっていきますが、それでも公職に就けない、土地を所有できないなど、様々な差別を受けていました。キリスト教徒にはできない「汚れ仕事」を請け負ったのも彼らで、その一つが「金貸し業」です。
キリスト教は、利子を取って同胞に金を貸すことはならぬ、としています。これはユダヤ教の聖典でもあった『旧約聖書』の「申命記」などにも書かれている教義です。しかし商売をするには──とくに海外との貿易など大きなビジネスを展開するには、金融は不可欠です。
実際には、ユダヤ人以外にも(実質的な)金貸しはいたようですが、この汚れ仕事をほぼ一手に引き受けていたユダヤ人は、知識も経験も豊富であり、ヨーロッパ各地に散っていた彼らは地中海沿岸を中心に独自のネットワークを築いて、商社のような役回りも担っていました。
金貸し業をやっていたユダヤ人のなかには、巨万の富を築いた人もいます。そうなると、金貸しという仕事とそれを担うユダヤ人を蔑みながらも、必要に迫られると利用し、それに助けられてはいるものの、金貸しで儲けているユダヤ人は憎らしい──ということになる。イメージとしては、まさにシェイクスピアの『ヴェニスの商人』です。強欲で、キリスト教徒から金を搾り取る冷酷な高利貸しシャイロックは、当時ヨーロッパの人々がイメージしていたユダヤ人の典型といえます。
もちろん、すべてのユダヤ人が大金持ちだったわけでも、みんながシャイロックのような人間だったわけでもありません。明らかに偏見です。『ヴェニスの商人』に登場するバッサーニオとポーシアは、シャイロックがお金を貸したおかげで結婚できた。それなのに、シャイロックは貸した金の回収が許されないどころか、没収された財産の半分を駆け落ちした娘に与えるよう命じられ、さらにキリスト教に改宗するよう迫られるのですから、かなり理不尽な話です。
『ヴェニスの商人』は、ユダヤ人を利用しながら、都合が悪くなると悪魔呼ばわりするヨーロッパ社会の身勝手を表した作品だと指摘する人もいます。重要なのは、当時の社会に通奏低音のように響いていたユダヤ人への憎悪や嫌悪感が、文学作品に描かれるほど浸透していたということです。
この漠然とした憎悪が、19世紀に入ると次第に「政治的」「イデオロギー的」な色合いを帯びていきます。その背景としてアーレントが注目したのが、絶対君主制から「国民国家」への移行でした。
■『NHK100分de名著 ハンナ・アーレント 全体主義の起原』より

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