曹操が目指したロールモデル

「治世の能臣、乱世の姦雄」と評された魏武、曹操。軍事から詩作まで抜群の才能を示した不世出の大人物には、政(まつりごと)を執り行う上でのロールモデルがいました。早稲田大学 文学学術院 教授の渡邉義浩(わたなべ・よしひろ)さんが、名士社会にデビューする直前の曹操の姿を解説します。

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曹操は、まったく何もないところから生まれた天才ではなく、その生き方のモデルとなった人物がいます。橋玄(109〜183)といい、チュウコウ(※1)が目をかけ推挙した人物でした。つまり、橋玄にとって曹操は、恩人(チュウコウ)の、そのまた恩人(曹騰)の孫ということになります。この橋玄との出会いが、曹操に大きな影響を与えました。
※1:チュウコウのチュウはノ木偏に「中」、コウは「日」の下に「高」の字
ここで橋玄の人となりについて、触れておきましょう。後漢は崩壊以前、各地の富裕層・有力者の力を利用し取り込むことで、政治を運営していました。このある種アバウトな統治方法のもとでは、有力者たちの意向を無視できなくなりますから、厳格な法の運用は難しくなります。具体的には、地方の役所は有力者の子弟で埋め尽くされ、彼らが罪を犯しても罰せられないような状況が生まれたのです。この寛やかな統治を、「寛治」と呼びます。これが、儒教を中心に置いた後漢の統治方法でした。
橋玄は、典型的な儒教官僚の家柄の出身でした。しかしながら、「寛治」とは正反対の、法律に基づく徹底的に厳しい統治を行うのです。これを「猛政」と言います。その激しさを端的に示すエピソードをご紹介しましょう。
あるとき、橋玄の末子が賊の人質にされました。司隷校尉(首都圏長官)とともに、橋玄自身も現場に足を運びます。司隷校尉は橋玄の子の安全を考慮して、賊の捕縛をためらいました。すると橋玄は激しく叱責して、鎮圧を強行させたのです。結果、橋玄の子の命は失われましたが、賊は誅殺されました。その足で橋玄は宮廷に赴き、「同様の事件の際には、人質の命は考慮せず鎮圧すべきです」と上奏したのです。すでに三公(※2)を歴任した天下の大宰相が行ったこの苛烈な行動は、周囲への強烈なメッセージとなりました。このことは治安の改善に大きく貢献したと言われています。
※2:後漢で最高位の官職で、宰相職の一つ。三公は身分の高い順に太尉、司徒、司空。
「猛政」を実施しつつ三公の地位にまでのぼった橋玄でしたが、官僚としてだけでなく、軍事指揮官としても大きな功績を残しました。異民族と接する北・西の辺境領域を統括する度遼将軍(異民族対策の責任者)となり、成果を上げています。万単位の精強な兵を率いながら異民族と対峙し、時に交渉で懐柔しながら、広大な辺境領域を安定に導く。こうした度遼将軍の困難な任務を遂行するには、軍事についての深い理解のみならず、交渉力、人心掌握力など、さまざまな力が必要とされます。橋玄の活躍を支えたのは、官僚・学者としての深い儒教的素養でした。橋玄こそはまさに「儒将」と呼びうる存在であり、後漢後期の不穏な情勢下において、もっとも有用で尊重されるべき人物だったといえるでしょう(黄巾の乱を鎮定する際に活躍した盧植も、この「儒将」の代表的存在でした)。
この橋玄が、四十以上も歳の離れた曹操の器量を見込んで評価し、導いたのです。人物評価でも世評を得ていた橋玄は、曹操を「よく乱世を収めるのは君であろう」と評して、その名が世に知られるきっかけをつくり、さらに許劭との間を仲介しました。許劭は郭泰と併称され、郭泰の死後は名士たちの間で人物評価の中心にあった人物です。曹操はその許劭から、「君は治世の能臣、乱世の姦雄である」という印象的な評価を得たのでした。これが名士社会へ参画するための、重要な足がかりとなります。
橋玄以外にも、曹操を積極的に評価した何ギョウ(※3、生没年不詳)という人物がいました。
※3:何ギョウのギョウは、「禺」に「頁」の字。
何ギョウは、チュウコウの子・チュウ輯と親しく交流していたので、曹騰系の人脈と近い距離にありました。一方で、自分より年少の袁紹を「奔走の友」と呼んで深い関係を結び、著名な名士たちとグループを形成していました。そして何ギョウは、曹操が袁紹や荀イク(※4)ら代表的名士と知遇を得る仲立ちとなるのです。
※4:荀イクのイクは、「或」に「彡」を掛け合わせた字。
かくして曹操は、祖父の遺産と言える人々によって、世評と新たな人脈を獲得し、自身が名士社会への仲間入りを果たします。そして官僚としての道を歩み始めるのです。
■『NHK100分de名著 陳寿 三国志』より

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