「蒼天已に死す」の真の意味

三国時代は、黄巾の乱とともに幕を開けました。張角が率いる宗教集団「太平道」は、「蒼天已に死す」「黄天当に立つべし」をスローガンに多くの信者を獲得していきます。早稲田大学 文学学術院 教授の渡邉義浩(わたなべ・よしひろ)さんによると、このスローガンはたんに人を扇動するだけのものではなく、漢帝国を思想面で乗り越えようとする内容だったといいます。

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儒教の徳目に依拠する収税体系の崩壊と各地の有力者の群雄化によって、多くの貧困層が土地を失い、流民が発生するようになります。彼らを吸収し、短期間で巨大な組織を形成したのが、宗教指導者の張角率いる太平道でした。
『三国志』の記述は、184年の黄巾の乱から始まります。「乱」という表現は、後漢の側からの呼称です。歴史は勝者の記録ですから、張角について、『三国志』を含む史書はその詳細をあまり伝えていませんが、張角とその弟・張宝および張梁は、「大医」と称して医療行為を行い、さらに流民に罪を告白させる一種の精神療法を行って人心を集めていたとみられます。その医療行為にどれほどの実効性があったのかはわかりませんが、儒教を根幹とする漢の支配体制から外れ、さらに腐敗した官僚や群雄らの横暴に疲弊した民にとって、身を投じるには十分な魅力を備えていたのでしょう。
そして太平道は「蒼天已に死す」「黄天当に立つべし」とのスローガンを掲げ、黄巾の乱を起こしました。このスローガンの意味については非常に多くの解釈がありますが、私は次のように理解しています。従来の説では、黄と蒼の色に注目して五行説にひきつけて理解することが多いのですが、五行説の順番では赤の次が黄色ですから、「蒼(青)天」と「黄天」の対句の関係が、うまく説明できません。私は「黄天」が中黄太乙のことを指していると考えました。中黄太乙とは、後漢が儒教を国教化する前、黄老思想に基づいて、前漢第五代の 武帝(在位前141〜前87)らが崇拝していた太一(太乙)神という宇宙神のことです。黄老思想とは、漢民族全体の始祖とされる黄帝と、道家の祖とされる老子を結びつけた思想です。つまり黄巾は、儒教以前の黄老思想をその中核に置いていました。
それでは、「黄天」と対句となる「蒼天」とは何か。儒教では天そのものを神格化しており、これを昊天上帝と呼びます。この神は地上を見ていて天地の政治が悪いと災害を下したり、また褒める場合には麒麟などの瑞獣を出現させたりするような主宰神でした。その昊天上帝のことを、儒教の経典の一つである『詩経』では「蒼天」と表現しているのです。
こうして見ると、黄巾のスローガンはより明確になります。つまり、儒教と、儒教を政治の中核に置いた後漢は死んだ。これからは黄老の世が始まるのだ──と主張しているわけです。黄巾の乱は、単に追い詰められた貧困層が起こした反乱ではなく、漢とその政治イデオロギーである儒教に対して、太平道と黄老思想が取って替わる存在になるという明確な思想に基づいた反乱であったのです。
ただし、黄巾の乱そのものは、官軍の戦闘技術との埋めがたい差や、張角の病死、および張宝・張梁ら指導層の戦死もあって、すぐに平定されました。しかし、その後も黄巾の残党は、各地で一定の勢力を保持し続けます。これは、朝廷が董卓の登場などで混乱し続けたという面もありますが、崩壊した官僚・収税システムを再建せず、秩序が回復されなかったので、漢や儒教に対する根本的な異議申し立てが引き続き行われたと言えるでしょう。
■『NHK100分de名著 陳寿 三国志』より

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