虚栄は人間の存在そのもの

日本を代表する哲学者・三木清(みき・きよし)は、『人生論ノート』の「虚栄について」と題された章で、人間である限り虚栄から逃れることはできないと語っています。三木は虚栄というものをどう捉えていたのでしょうか。哲学者の岸見一郎(きしみ・いちろう)さんが解説します。

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虚栄は人間的自然における最も普遍的な且(か)つ最も固有な性質である。虚栄は人間の存在そのものである。人間は虚栄によって生きている。虚栄はあらゆる人間的なもののうち最も人間的なものである。
三木は虚栄心を、「自分があるよりも以上のものであることを示そうとする人間的なパッション」と記しています。自分を実際よりもよく見せようということであればネガティブな意味ですが、自分をより高めようと努力することであればポジティブな意味になります。三木は虚栄心の両面を見ようとしています。
続けて三木は、このような、人間である限り逃れることができない虚栄によって生きる人間の生活は「実体のないもの」「フィクショナルなもの」であると言っています。
しかし、フィクションだからといって、実在性がないわけではありません。人生は「フィクション」であり、三木はこのフィクションに小説という訳語を当てています。人生がフィクションであれば、誰もが自分の人生を生きることで一つだけは小説を書くことができます。誰もが人生の作者であり、主人公であり、主演俳優であり、演出家です。この人生という小説は、他の人に書いてもらったり、勝手に書かれたりするものではなく、自分自身で書く(形作る)しかありません。それを、いかに内実のある作品にしていくか──つまり「実体」がないように見えるものに、確かな手ごたえのある「実在」性を与えていくことが人生の重要課題だと三木は指摘しています。
しかし、なぜ人間は虚栄から逃れられないのでしょうか。
すべての人間的といわれるパッションはヴァニティから生れる。
パッションとは情熱、情緒、感情です。他の著作では「パトス」というギリシア語を三木は使っています。ヴァニティは、虚栄心。ヴァニティの実体は「虚無」であり、人間の根源には虚無や無限といった計り知れないもの、とらえがたいものに対するパトスがあるというのが彼の人間観です(『パスカルに於ける人間の研究』参照)。
恐怖や戦慄(せんりつ)、驚愕(きょうがく)、そして不安──。中でも三木は繰り返し不安について論じました。普通の人は、自らの根底にある不安に耐えられない。虚栄心が「自分があるよりも以上のものであることを示そうとする人間的なパッション」だと三木が言うのは、ありのままの自分の姿を直視できないからです。
三木の念頭には、社会的、対人関係的な虚栄心もあっただろうと思います。「人間が虚栄的であるということは人間が社会的であることを示している」と書いています。つまり、他者の目や社会的な評価を気にして生きているということです。虚栄は人間の心を乱し、時には自らの虚栄によって身を滅ぼすことさえあります。
人間である限り避けることができない虚栄とどうつきあえばいいか。三木は、「人間はその日々の生活において、あらゆる小事について、虚栄的であることが必要である」と言っています。
収入が少ないのに見栄を張って羽振りのよいふりをすれば、早晩、破産してしまうでしょう。そうならないために、例えば少し財布に余裕がある時に小さな贅沢をして楽しむ。小出しにすれば大事には至らない、ということです。
逆に、虚栄を徹底する方法もあると三木は言います。つまり、虚栄によって築いた自分の虚像を、とことん演じ切ることです。
三木の言葉を借りれば、「それは仮装に過ぎないかも知れない。けれども一生仮装し通した者において、その人の本性と仮性とを区別することは不可能に近い」でしょう。
さらにもう一つ、三木は「創造」によって虚栄を駆逐(くちく)するという方法を提示しています。
創造的な生活のみが虚栄を知らない。創造というのはフィクションを作ることである、フィクションの実在性を証明することである。
その真意を読み解くヒントが、直前の一行にあります。曰く「すべての人間の悪は孤独であることができないところから生ずる」。孤独でいられないから、周囲の目や評価を気にしたり、他の人よりも優位に立って衆目を集めようとしたりする。そんな気持ちから作られるフィクション(人生)は虚栄です。
しかし、他者からの評価や他者との競争とは関係なく、フィクションを作ることも可能です。今あるよりも以上の自分を目指して努力し、自分を高めようとする。そうした情熱や努力する心は、虚栄心ではなく、向上心です。
■『NHK100分de名著 三木 清 人生論ノート』より

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