神の山に捧げる三輪そうめん

最高級の手延そうめんで作るにゅうめんはまた格別。撮影:平岡雅之
清らかな水と澄みきった空気の奈良・三輪山(みわやま)。古代から続く土地の恵みと神話。大神(おおみわ)神社は歴史のロマンを感じさせます。名物・三輪そうめんとの関係を探ります。

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神が鎮(しず)まり秀麗な姿を見せる三輪山(上写真。標高467m)は、三諸(みもろ)の神奈備(かんなび/神の鎮座する山)と呼ばれています。
「倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく 青垣(あおがき)山隠(やまごも)れる 倭しうるはし」と、その緑にあふれた様をたたえられた山々の東南にあるのが大神神社で、清らかな斎庭が広がる正面の拝殿は、神体山・三輪山を背にして建っています。通常拝観できませんが、拝殿の奥には小さな鳥居を左右に組み合わせた「三(み)ツ鳥居」があります。本殿は設けず、この鳥居を通して三輪山を拝するという原初の神祀まつりの様が伝えられています。
大神神社は、主祭神として「偉大なるモノ(精霊)の主」という意味をもつ大物主神(おおものぬしのかみ)が知られ、ほかに大己貴神(おおなむちのかみ)と少彦名神(すくなひこなのかみ)が祀られています。
この大物主神に連なる人物が三輪そうめんの起源に大きく関わっています。大神神社の近くでは三輪そうめんの名店が軒を連ね、神社ではそうめんに関わる神事が行われています。
大神神社を起点にして、日本最古の道「山の辺(べ)の道」が奈良まで30kmにわたって貫いています。そこは、春は梅や桃、桜が咲き、野の花々も咲く小道。散策を楽しみながら、そうめんに舌つづみ、というのもおすすめです。

■三輪・手延(てのべ)そうめんの歴史を遡る

奈良県桜井市周辺で生産される手延そうめんは、三輪そうめんの名称で全国的に知名度が高く名産に数えられています。
伝承によれば、大物主神の後裔(こうえい)にあたる大神朝臣狭井佐(おおみわのあそんさくいさ)次男である穀主(たねぬし)が、飢饉(ききん)と疫病に苦しむ人たちを見て、救済を祈願したところ、神の啓示を賜りました。
仰せのままに三輪の地で小麦を作り、水車の石臼で粉を挽(ひ)き、湧水でこねて糸状にしたのが三輪そうめんの起源とされています。
正倉院文書(750年ごろ)には、小麦粉をこねた「索餅(さくべい=むぎなわ)」の記載があり、中国渡来の珍重な食べ物として、儀式などに供されました。これが、そうめんの始まりとも考えられています。
平安時代の『延喜式(えんぎしき)』(927年)には、皇族や僧侶たちが、索餅を酢や塩などであえて食べたことが記されています。七夕に索餅を食べる風習があったようで、新小麦で索餅を作り神に供えて、これを食べて無病息災を祈りました。
南北朝時代には、麺類を表す言葉として「索餅」「索麺」「素麺」が使われており、室町時代の文献には、「梶の葉に盛った索麺は七夕の風流」とあり、そうめんが粋な季節の味わいとなっていたことがわかります。
三輪そうめんが全国に知られるようになるのは、お伊勢参りが盛んになってからです。お参りの途中に三輪を訪れた人たちが、手延そうめんの製法を播(ばん)州や小豆島に伝え、日本を代表する伝統食になっていきます。
江戸時代の『日本山海名物図會(にほんさんかいめいぶつずえ)』にも「参詣の人おほきゆへ三輪の町繁昌なり 旅人をとむるはたごやにも 名物なりとて そうめんにてもてなすなり」とあり、絶賛しています。
万葉の時代から悠久の時を超えて、大事な食物として愛されてきた三輪の手延そうめんは、今や、ヘルシーな和食の代表として世界にも広がっています。
■『NHK趣味どきっ! 三都・門前ぐるめぐり』より

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