「非暴力」には勇気が必要だ

ガンディーの名前を聞いたとき、多くの人が「非暴力」という言葉を思い浮かべるのではないでしょうか。彼はこの言葉のもとで、実際にどんなことを行っていたのでしょうか。東京工業大学教授の中島岳志(なかじま・たけし)さんにお話を伺いました。

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たとえば、デモのとき。インドの警官は、ラーティーという、警棒のようなものをもっています。実は私も、インドで暮らしていたころ、当時のクリントン米大統領が来るというので大統領官邸まで見に行き、よく見えないので近くにあった壁によじ登ろうとして警官にラーティーで殴られたことがあるのですが、堅い木の棒なので、殴られると本当に痛いものです。
デモを鎮圧するときにも、警官はこのラーティーを使います。市民が隊列を組んで進んでいく、その一番前の列の人を思いっきり殴るのです。もちろん痛いし、怪我する人も出る。しかしガンディーは、そこで抵抗したり、やり返したりするのではなく、ただ次の列の人が一歩前に出るように命じました。再度その列の人たちが殴られたら、また次の列が前に出る。殴られて怪我をした人は後ろにいる救護担当の人たちに治療してもらい、回復した人はまた列に並んで、そしてまた殴られる。それをひたすら繰り返すというのが、ガンディーが南アフリカからずっと提唱し続けたデモの手法でした。
「無畏(むい)」と題された一章に、この背景にあるガンディーの信念が表れています。
勇者とは、剣や銃の類(たぐい)ではなく、無畏をもって武装した人のことです。恐怖にとりつかれた者たちだけが、剣や銃で身がまえるのです。

(『獄中からの手紙』森本達雄訳、岩波文庫、50ページ)



本当に強い人間とは、剣や銃で武装した人ではなく、畏(おそ)れを乗り越えた人間である。デモの現場でも、ラーティーで殴っている人間と殴られている人間、どちら側に勇気が存在するかといえば、それは殴られている側なのだとガンディーは言いたかったのでしょう。
さらに、抵抗もせずに殴られ続ける民衆と向き合ううちに、殴る側の警察には恐れとともに痛みが生まれる、ともガンディーは言っています。それは「なぜ自分はこんなにずっと人を殴り続けているのか」という心の痛みであって、その痛みが殴られている側の物理的な痛みを上まわったときに、初めて本当の「非暴力」というものが生まれる。自分はそう信じていると言っているのです。
ガンディーのいう非暴力というのはそれくらい、きわめて積極的でかつ勇気の必要な行為であって、単なる消極的な概念ではありません。だからこそ、ガンディーの主導する非暴力運動、非協力運動というものが燦然(さんぜん)と輝くのだと思います。
■『NHK100分de名著 ガンディー 獄中からの手紙』より

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