レヴィ=ストロースとヤコブソンの出会い

フランスの人類学者クロード・レヴィ=ストロースはユダヤ人だったことから、1940年に親ナチのヴィシー政権が発足した後、アメリカに亡命します。亡命先のニューヨークでは、後に彼が「宝物」と表現したロシア人言語学者ローマン・ヤコブソンとの出会いが待っていました。明治大学野生の科学研究所所長の中沢新一(なかざわ・しんいち)さんが、二人の交流について解説します。

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亡命先のニューヨークでレヴィ=ストロースが出会った最重要人物が、ロシア人言語学者ローマン・ヤコブソンです。チェコスロバキアのプラハに戦争がはじまる前、ロシア、東欧など各国から優秀な言語学者たちが集まり、新しい構造言語学派を形成していました。これは、言語学者ボードワン・ド・クルトネを中心として、スイスの言語学者ソシュールの影響を受けながら、言語学の革命的な刷新をおこなおうとしたグループです。そのプラハ構造言語学派の有力メンバーの一人がヤコブソンでした。
ヤコブソンは言語学者であると同時に民話学者であり、現代詩のすぐれた研究家でもありました。1920年代にプラハに移る以前は、モスクワに言語研究会をつくっていて、仲間にはマヤコフスキーをはじめとする当時のロシア・アヴァンギャルドのそうそうたる詩人たちや、エイヘンバウムやシクロフスキーといったロシア・フォルマリズムの理論家たちもいました。その中でも、ヤコブソンの豊かな才能はとびぬけていたと言います。
レヴィ=ストロースとヤコブソンは出会ってすぐに意気投合し、思想の交換が始まりました。そしてレヴィ=ストロースは構造言語学の革命的な方法をたちまち吸収して、自家薬籠中のものとします。レヴィ=ストロースは後年、インタビュー(『遠近の回想』1988)の中で、こんなことを語っています。ヤコブソンとの出会いは自分の人生にとって宝物だが、一つだけ困ったことがあった。気心が知れるや、「これで朝まで一緒に飲み明かし、語り明かす友ができたぞ」と喜んでいるのだが、それを聞いてふるえ上がった──。レヴィ=ストロースは、煙草は吸うけれど酒はあまり飲まないし、なにより夜更かしが苦手だったのです。
それにしてもニューヨークの下町のバーで、もの凄い知的火花が飛びかったことでしょう。ロシア訛りの英語でヤコブソンが豪快な身振りをまじえて口角泡を飛ばしながら喋りまくり、それを静かに聞いていたレヴィ=ストロースがおちついて応える……そのシーンを想像するだけで、私は深い感動におそわれます。ヤコブソンからの秘儀伝授によって、このとき構造言語学がレヴィ=ストロースの中に注ぎ込まれました。
■『NHK100分de名著 レヴィ=ストロース 野生の思考』』より

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レヴィ゠ストロース『野生の思考』 2016年12月 (100分 de 名著)
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