レヴィ=ストロースの『野生の思考』は二十一世紀にこそ読むべき書物

1960年代、西欧中心主義への自己批判が進む時代にあったヨーロッパにおいて、もっともラジカルな存在として登場したのが、フランスの人類学者クロード・レヴィ=ストロースでした。1962年に出版された著書『野生の思考』について、明治大学野生の科学研究所所長の中沢新一(なかざわ・しんいち)さんは、「二十世紀後半にあらわれた思想的書物の中の最も重要な本の一つ」と捉えています。

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ふつう思想の本というのは哲学者などによって書かれることが多いのですが、『野生の思考』は南アメリカの先住民文化を研究する一人の民族学者によって書かれた本です。そういう本が現代思想の方向を変えてしまったのです。そして、その変わっていった先に、いまの世界があるとすらいえます。
私たちはいま、コンピュータを身近に持つようになりましたが、この本が刊行された当時はまだ電子計算機と呼ばれて大学や研究所で開発の真っ最中にあった機械で、このコンピュータがいずれは世界を変えるだろうという予感が持たれ始めていました。『野生の思考』は、いわゆる「未開人」と呼ばれた人々の思考について書かれた本でありながら、まさにいま私たちが生きている時代についての本でもあります。コンピュータとそのネットワークがつくりだそうとしている世界の本質を、いちばん深いところでとらえようとしている本でもあります。なぜならその本は人類の思考能力を、根本で考えなおそうとしているからです。
『野生の思考』という本にひめられた起爆力が全面開花するのは、ほんとうはこれからなのではないかと私は思っています。この本で論じられていることは、さまざまな機械と共生しながら普遍的な思考能力を生かしつつ、これから形成されていく世界の姿にかかわっています。しかし私たちの中にはいまだに、十九世紀以来の古い形態の思考法が残っています。それは特に政治の領域にみられ、現代の世界に危機をもたらす原因をなしています。
『野生の思考』が戦いを挑んだのは、十九世紀のヨーロッパで確立され、その後人類全体に大きな影響力をふるってきた「歴史」と「進歩」の思想です。レヴィ=ストロースは近現代をつくりあげてきたこれらの思想に反旗を翻し、「歴史」に対して「構造」という考え方を打ち出しました。これから先私たちの世界が向かっていかなければならない原理を、五十年以上前に見通していたのです。
「歴史」の思考方法は、現在でも変わらずに大きな影響力を持ち続けています。右の考えを持つ人々も左の考えを持つ人々も、根底では同じ「歴史」の思考によって動かされています。この点では右も左も同じなのですが、彼らはこのことに気づいていません。しかし世界の底流には、見えないところで大きな地殻変動がおこりはじめているようにも感じられます。
ところがアメリカをはじめ、ヨーロッパでも、ロシアでも、中国でも、そして日本でも、人々の頭上を巨大な古い瘡蓋(かさぶた)のようなものが覆ってしまっている。そんな状況を生きなければならない現代の若者たちと、1960年代当時「構造」という考えをとおして「歴史」の思想に対して「否」を突きつけた若者たちが考えていたことは、多くの点で重なっています。
「名著」というものは繰り返し、ゼロから読み返すべきものなのでしょう。いま『野生の思考』という本を読み返してみると、私たちの世界を行き詰まらせているものの正体は何なのか、それを打破していくにはどのように思考を転換していったらよいのか──が具体的に記されていることに驚きます。現代に直結し、未来にも大きな力を持つであろう思想を『野生の思考』は内蔵しています。十九世紀にそうした意味を持った本がマルクスの『資本論』であるならば、二十世紀はレヴィ=ストロースの『野生の思考』がそれにあたるのではないでしょうか。その意味でこの本は、いまだ完全には読み解かれていない、これから新しく読み解かれるべき内容をはらんだ、二十一世紀の書物です。
■『NHK100分de名著 レヴィ=ストロース 野生の思考』』より

NHKテキストVIEW

レヴィ゠ストロース『野生の思考』 2016年12月 (100分 de 名著)
『レヴィ゠ストロース『野生の思考』 2016年12月 (100分 de 名著)』
中沢 新一
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