小林覚九段、天から降りてきた一手
- 小林覚九段 撮影:小松士郎
『NHK 囲碁講座』では、2016年7月号から新シリーズ「一手を語る」をお届けします。棋士人生を変えた一手、印象に残った一手、忘れられない一手…を紹介していただき、解説とともに、その「一手」を存分に語っていただきます。
語り手トップバッターは小林覚(こばやし・さとる)九段です。
* * *
■プロ生活でいちばんうれしい勝利
僕が最初に坂田先生(坂田栄男二十三世本因坊)に打っていただいたのは17歳のとき。打つこともうれしかったし、勝たせていただいて、「棋士になってよかった」と思いましたね。今でも、プロ生活でこれよりうれしい勝利はありません。それくらい、先生には思い入れがある。ですから、今回は坂田先生との対局の中から選ぼうと決め、もう一つ思い出がある「一手」にしました。
坂田先生は、僕が碁を始めたときから頂点にいらっしゃった。当時は、もちろんインターネットもありませんし、棋譜もなかなか手に入りませんでした。カラーコピーもなくて、どうにか白黒の棋譜を手にすると、白番の数字を丸印で囲んでいきながら何局も並べましたね。
そんな時代ですから、なおさら遠い存在で、ほとんど神様という感覚。自分が坂田先生と打てるなんて思ったことすらありませんでした。目の前に座れただけで夢のようでしたね。僕が少し活躍したころに「こんな強い人に勝てるとは思わなかったよ」と言われたことがありました。認めてもらえるようになったと喜んでいたら、その半年後くらいに「君、誰だっけ?」と聞かれてね。ショックでしたね(笑)。でも、坂田先生は「碁打ち」だなあと感じさせられました。
「碁打ち」と「棋士」は違うと思うんです。僕にとっての「碁打ち」というのは、碁にすべてをかけた人生を送っている人。理想の碁打ちは、碁以外は何もしない。永遠に勉強して碁に向かっていくだけ。坂田先生は、「碁打ち」として特別な存在だと思っています。今回選んだ対局は、僕が34歳のとき。坂田先生は73歳。全盛期は過ぎていらっしゃるのですが、改めて棋譜を見て驚かされたのは消費時間です。5時間の持ち時間のうち、僕が使ったのは4時間46分。それに対して坂田先生は、何と4時間55分も使っていらっしゃる。その体力と気力は今の僕でさえ持ち合わせていないものです。
盤面を見てみましょう。坂田先生が黒39とツメて、碁盤を広く構えてきたところです。白Aのコスミや白Bの打ち込みなど、考えられる手はいろいろあり、どう打っても難しい局面。でも私は、左上に興味がありました。次の手を打ったときの心境は覚えています。よく打たれている手はこの場面ではすべて採用できないなあと、ぼーっと眺めていたら、ふわ〜んと浮かんできた。天から「その手を打て」というような感じで降りてきたんです。
一般的には、1図のように、白1のツケから3が筋で、黒aの連絡を防いで白9とオサエ込むのが最も厳しい打ち方なのですが…黒10とツケる手があり、白はさほど成果が出ません。そこで、これは却下していました。
そうしたら、次の手が降りてきた。運がよかったのでしょうね。一言で表現するなら「神からいただいた一手」。あんなふうに「降りてきた」のは、後にも先にも一回だけです。
2図の白40が、その「一手」です。僕は比較的、読みよりも感覚を重視することが多いのですが、この一手は「感覚」とも違います。一度も考えたことのない手でしたから。「これはいい手を見つけた。打とう打とう」と思ったことも覚えてます。
そのとき、坂田先生は「うーん」とうなられたような気がします。そういう手もあるのか、という意味のうなりだったと思います。
※この「一手」を黒はどう受けたのでしょうか。続きはテキストでお楽しみ下さい。
■『NHK囲碁講座』2016年7月号より
語り手トップバッターは小林覚(こばやし・さとる)九段です。
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■プロ生活でいちばんうれしい勝利
僕が最初に坂田先生(坂田栄男二十三世本因坊)に打っていただいたのは17歳のとき。打つこともうれしかったし、勝たせていただいて、「棋士になってよかった」と思いましたね。今でも、プロ生活でこれよりうれしい勝利はありません。それくらい、先生には思い入れがある。ですから、今回は坂田先生との対局の中から選ぼうと決め、もう一つ思い出がある「一手」にしました。
坂田先生は、僕が碁を始めたときから頂点にいらっしゃった。当時は、もちろんインターネットもありませんし、棋譜もなかなか手に入りませんでした。カラーコピーもなくて、どうにか白黒の棋譜を手にすると、白番の数字を丸印で囲んでいきながら何局も並べましたね。
そんな時代ですから、なおさら遠い存在で、ほとんど神様という感覚。自分が坂田先生と打てるなんて思ったことすらありませんでした。目の前に座れただけで夢のようでしたね。僕が少し活躍したころに「こんな強い人に勝てるとは思わなかったよ」と言われたことがありました。認めてもらえるようになったと喜んでいたら、その半年後くらいに「君、誰だっけ?」と聞かれてね。ショックでしたね(笑)。でも、坂田先生は「碁打ち」だなあと感じさせられました。
「碁打ち」と「棋士」は違うと思うんです。僕にとっての「碁打ち」というのは、碁にすべてをかけた人生を送っている人。理想の碁打ちは、碁以外は何もしない。永遠に勉強して碁に向かっていくだけ。坂田先生は、「碁打ち」として特別な存在だと思っています。今回選んだ対局は、僕が34歳のとき。坂田先生は73歳。全盛期は過ぎていらっしゃるのですが、改めて棋譜を見て驚かされたのは消費時間です。5時間の持ち時間のうち、僕が使ったのは4時間46分。それに対して坂田先生は、何と4時間55分も使っていらっしゃる。その体力と気力は今の僕でさえ持ち合わせていないものです。
盤面を見てみましょう。坂田先生が黒39とツメて、碁盤を広く構えてきたところです。白Aのコスミや白Bの打ち込みなど、考えられる手はいろいろあり、どう打っても難しい局面。でも私は、左上に興味がありました。次の手を打ったときの心境は覚えています。よく打たれている手はこの場面ではすべて採用できないなあと、ぼーっと眺めていたら、ふわ〜んと浮かんできた。天から「その手を打て」というような感じで降りてきたんです。
一般的には、1図のように、白1のツケから3が筋で、黒aの連絡を防いで白9とオサエ込むのが最も厳しい打ち方なのですが…黒10とツケる手があり、白はさほど成果が出ません。そこで、これは却下していました。
そうしたら、次の手が降りてきた。運がよかったのでしょうね。一言で表現するなら「神からいただいた一手」。あんなふうに「降りてきた」のは、後にも先にも一回だけです。
2図の白40が、その「一手」です。僕は比較的、読みよりも感覚を重視することが多いのですが、この一手は「感覚」とも違います。一度も考えたことのない手でしたから。「これはいい手を見つけた。打とう打とう」と思ったことも覚えてます。
そのとき、坂田先生は「うーん」とうなられたような気がします。そういう手もあるのか、という意味のうなりだったと思います。
※この「一手」を黒はどう受けたのでしょうか。続きはテキストでお楽しみ下さい。
■『NHK囲碁講座』2016年7月号より
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