『水道橋博士のメルマ旬報』過去の傑作選シリーズ~ 相沢直「倉本美津留氏との話と、TWITTERの話」

芸人・水道橋博士が編集長を務める、たぶん日本最大のメールマガジン『水道橋博士のメルマ旬報』。
突然ですが、過去の傑作選企画として、今回は2016年7月20日配信『水道橋博士のメルマ旬報』Vol90 に掲載の、相沢直氏の連載原稿を無料公開させていただきます。
 (水道橋博士のメルマ旬報 編集/原カントくん)
以下、『水道橋博士のメルマ旬報』Vol90  (2016年7月20日発行)より一部抜粋〜


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「水道橋博士のメルマ旬報」が「め組」「る組」「ま組」の3団体に分かれて、これが最初の原稿となる。チーム編成のメンバーを知ったときは、なるほど、まあ自分はこの団体だろうと思わず頷いてしまった。人気実力ともに充分なエース級を揃えた「め組」、華麗なる空中殺法が新しい息吹を感じさせる「ま組」に比べて、我々「る組」の華と女っ気のなさはどうだ。むしろ清々しいほどではないか。ゴツゴツしたファイトスタイルが年配の男性客からしか評価を受けない、永遠のいぶし銀が集まっている。カップ酒を片手にした読書スタイルが最も似合う組であることは間違いない。だが私たちは知っている。そのような男くさいファイトスタイルを突き通したレスラーにしか出せない、特殊な色気が確かにあるということを。媚びることなく、ただひたすらに己を生きよう。これまでもずっとそうしてきたように。何故ならば、それよりほかに、私たちに出来ることなどないのだから。

というわけでリニューアル第一回であり、本連載の趣旨である「みっつ数えろ」の進捗などを書ければ良かったのだが、あいにく2時間版の脚本を関係者に送ってから未だ返事がない。まあ、そもそも長丁場になることは覚悟していたから、ここで焦ることもないだろう。次回までには何かしらの進捗があることを期待しながら、今日はちょっとだけ昔のことを書こうと思う。それはぼくにとってとても大切な仕事の一つであったし、だからそれもきっと「みっつ数えろ」には繋がっているのだ。この連載のタイトルが「みっつ数えろ〜ができるまで」なのだとしたら、その仕事を書くということはこの連載にもふさわしいはずだろうし。

先月、木村元彦「すべての『笑い』はドキュメンタリーである」という単行本が太田出版から発売された。「オシムの言葉」のヒットで知られる木村がこの本で手がけた題材は、1959年生まれの放送作家、倉本美津留だ。松本人志による一連の作品や「EXテレビ」(よみうりテレビ)などのいわゆる実験的と評される番組、あるいは近年では「シャキーン!」(Eテレ)などで知られる人物である。お笑いや演劇が好きな木村が倉本のこれまで携わってきた番組や、あるいはその人となりを記述している。この本の内容がどうかというのは読んでもらえれば分かるのでここには書かないが(少なくとも教科書としては読んでおかないといけない本だ。たとえばモンティ・パイソンの「フライングサーカス」のスケッチがそうであるように)、ぼくの個人史で言うならば倉本美津留氏とは2010年から1年間、とても大切な仕事を一緒にやっていたので、ここではそのことを書きたいと思う。

そのことを書き始める前に、もっと昔のことから思い出してみると、視聴者としてのぼくが倉本美津留という名前を認識したのは、おそらくは「冒々グラフ」(フジテレビ。1995年10月〜1996年3月放送)ではなかったか。平日の深夜に毎日レギュラーで放送されていたその番組がぼくは好きだった。当時はHDDレコーダーもなく、VHSテープに録画していた記憶もないから、たぶんリアルタイムでテレビの前に座って見ていたのだと思う。ぼくは1980年生まれだから15歳の頃だ。15分番組の中にいくつかのコーナーがあり、それを一週間で見るというスタイルの新しさにぼくはかっこ良さを見た。新しいものはかっこ良いのだ。今田、東野、板尾の誰もが今よりもずっと若くて、今よりもやんちゃだった。ぼくはたぶん、そこに破壊者としての先輩への憧れを抱いていたのだろう。

「冒々グラフ」の中で好きだったのは、「今田の説法」というコーナーだった。楽屋で話している東野と板尾の雑談をなんとなく聞きながら、今田が突然「笑いも一緒やな」とカットインしてくる。雑談のテーマと、お笑いの共通点を強引に考え出して、それを今田が口にするのだ。言ってみれば無茶ぶりではあるのだが、そこに出演者も乗っかっているという状況も含めて、その構造がたまらなく刺激的だった。ぼくの記憶の中では一度だけ、東野と板尾が何度か話題を変えても今田が思い浮かばずに、「今日はなかったな......」と終わる回があったのだが、その回を見たときには震えた。なんて大切で特別な瞬間を見てしまったのだろう、という高揚感と共犯意識だ。あの頃のテレビが今のテレビよりも良いなんて言うつもりはさらさらないが、少なくともぼくはあの頃、そういう風にしてテレビを見ていたのだ。

木村元彦「すべての『笑い』はドキュメンタリーである」では「BLT」(よみうりテレビ。1995年10月〜1997年10月放送)での企画、「テレビスタッフ山崩し」の放送を誌上再現している。テレビのスタッフがどんどんいなくなったらどこまで放送は可能なのかという実験を行っており、それはいま読んでも非常に新しくて刺激的なのだが、残念ながらぼくはその放送を見ていない。記憶に残っているのは最終回だ。「BLT」の最終回では、30分にわたって、リハーサルの様子が映し出されている。最初から最後まで、リハーサルだけだ。本編が実際に収録されたのかどうかさえ視聴者には分からない。リハーサルが終わり、それでは本番です、というスタッフの声で番組そのものが終わる。それはやっぱり、かっこ良い。バラエティはなんでも出来るのだし、何をやってもいいんだし、だとすれば自分もどう生きたっていいんだと、思春期のぼくはそう信じてしまったのだ。ぼくがバラエティをやりたいと思った原点はたぶんそこにあるのだろう。ぼくはぼくが死なないために、あるいはぼくがぼくを殺さないために、バラエティをそのとき生業として選んだのだ。番組やジャンルとしてではなく、生き方としてのバラエティを。

前段が長くなったが、時は過ぎ、ぼくもこの仕事を始めて紆余曲折を踏まえながらもとある制作会社の正社員となり、色々あって2009年の2月にソニー・ミュージックエンタテインメントに出向となった。倉本美津留氏と初めて会ったのはそのときで、当時ソニーミュージックが「ほぼ1」(TOKYO MX)という番組のスポンサーだった。かつその番組は倉本美津留氏とピエール瀧氏がMCで、ピエール瀧氏とは以前からぼくは放送作家として仕事をした経緯もあったから、その番組に関わることになる。

そこで何をしたかは一切覚えていない。というか何もしていなかったんだと思う。スポンサーが番組制作に関わるのは嫌だなとぼくは制作経験があるからそう思っていたので、ほぼ絡んではいないはずだ。同じような意味合いでたとえばぼくは「水道橋博士の異常な鼎談」(TOKYO MX)のスタッフではあったが、あくまでもスポンサーという立場ではあったので、水道橋博士と初めてまともに会話をしたのは番組の終了のときの打ち上げのときだった。収録の立会いでは何度も顔を見せたが、それで話すこともなく、収録場所の目の前まで行って帰ったことだって何度でもある。ずっと前から水道橋博士のことが好きだったし(今でもそうだが)、浅草おにいさん会がなかったらいまの自分にはなっていないという自負もあったから、正直なところ、その立場を守るのはしんどかった。この種のジレンマは未だに誰とも共有できないし、ああいう立場を経験するような人間は自分ぐらいで充分だとも思う。俺のほうが水道橋博士のことを分かっている、とまでは言わないが、俺だって水道橋博士のことが好きだしこの番組の良さも分かっている、と思いながらも会議であえて口を開けないのはなかなかにしんどい。誰々さん、と名前で呼ばれるんじゃなく、ソニーさん、と会社名で呼ばれるのだ。身も心もフリーランスなのに。ソニーさんではなく、名前で覚えられるために何が出来るかを必死で考えていた時期だった。いまとなってはもうずいぶん懐かしいし、そんなに考えすぎるなよと言ってやりたいが、28歳のぼくはおそらくそんな忠告は聞かないだろう。だから、あの頃の自分は、正しかったのだと思う。やるべき順序で、やるべきことをやっている。人生の順番がおかしなことになっているのだから、おかしなことが色々と起こるが、それはもう仕方のないことなのだ。

だから「ほぼ1」の収録にも何度も立ち会ってはいたけど、ちゃんと初めて倉本美津留氏と話したのは番組終了の打ち上げのときだったんじゃないかと思う。そこまでの収録の合間に話したことはあるかもしれないが記憶にはない。初めての記憶は、その打ち上げの場で、ぼくは完全に酔っ払って鼻息で灰皿の灰を飛ばしたことだ。そこで倉本美津留氏からツッコまれたことを覚えている。ぼくは酒飲みだし、往々にして自分を忘れるほど酔っぱらうことが多く、そこで失敗する経験も多々あるが、大切なことがその場で起きていたりもする。自分はもう翌日になれば忘れているのだが、酔った自分はまたそいつはそいつで何かやってたりするのだ。というかまあ、それだけ酔った姿を晒すってことは心をオープンにしているってことではあるので、そんな感じで倉本美津留氏と仕事をしたい、というかせねばならぬと、たぶん「ほぼ1」の打ち上げのときには思っていたのだろう、ぼくは。

その打ち上げから何ヶ月か経ち、倉本美津留氏はいとうせいこう氏とUstreamで単発の番組を始めた。当時、Ustreamは出来たばかりだった。今では当たり前だが、当時は簡素な、それこそiPhone一台でも配信は出来るというメディアは画期的だった。飛びつくのは当たり前の話でもある。二人がやっていたのは「UST名人劇場」という番組で、2010年の初頭、いまは売れていないが自分たちは好きだという芸人のネタを、両者が審査員的な立場として配信する番組をやっていた。誰が出ていたかをもう調べるすべもないが、第二回には流れ星が出演していた。それをなぜ覚えているのかというと、2010年2月19日のメロン記念日のライブ(それはアンコールで解散発表を彼女たちがするライブでもある)でぼくは途中抜けをして、流れ星のアテンドをしていたからだ。懐かしさもあるが、未だにその記憶への手触りがリアルなことにぞっとする。

そのときぼくは、一つの企画を思いついていた。それを思いついたときにツイッターに書き残している。それは2010年2月4日の午前3時38分。時刻から考えるにだいぶお酒を飲んでいたのだと思われるが、それはさておき、ぼくはこう書いている。

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久々にテレビ番組の企画書書こうと思ってたんだけど、酔いのため断念。でもやりたい。UStreamに視聴者を引っ張ってくることだけが目的の番組。テレビでは大喜利のお題だけ出しっぱなしで、同時生配信のUStreamで回答と感想が見れる。そういう、面白いことをやりたいんですよ。

https://twitter.com/aizawaaa/status/8598240654
***

この時点で、ぼくが倉本美津留氏のことを頭に思い描いていたかは読む限り定かではないが、主観としては間違いなく倉本美津留氏を意識していたのだと思う。この時期、2ヶ月あとの4月クールで、ソニーミュージックが持っている枠が一つ空いていたのだ。つまり、電波代は無視していい。このスタイルだったら制作費は安くて済む。Ustreamとテレビを絡めたら何か面白いことが出来そうだ。番組の制作費は確実に赤になるが、今後の展開も含めたらやっておいたほうが良いだろう。少なくともぼくはぼくと会社に対してそう説得は出来る。というか、これだけ面白いことを思いついてしまったのなら、動かないと駄目だ。そんなのは、だって、ださすぎるし。

ぼくはそれを企画書にして倉本美津留氏へ持って行った。企画書にするうえでちょっと日和ってしまい、大喜利だけだと難しいかもしれないのでトークテーマや何やらでとごまかしてしまったが、倉本美津留氏はちゃんと、これは大喜利だけで行こうや、と明らかに正しい忠告もしてくれた。誰と一緒にやるかというのも、タナカカツキ氏とバカリズム氏という、その名前はまったくぼくと違ってはいなかった。倉本美津留氏が言わなかったらぼくが言っていただろう。二人とも、あの頃から色々あって売れてしまってはいるが、当時は毎週Ustreamの生配信に来てくれるぐらいにはスケジュールの余裕もあって、ベストな人選だった。毎週、火曜日の夜が楽しかった。そしてそれを実際に可能にしてくれた、ソケットの櫻井氏には今でも感謝している。こんなよく分からない人間の妄言にちゃんと付き合ってくれて、本当にありがたいと言うしかない。

そして、「ホワイトボードTV」(TOKYO MX。2010年4月〜2011年3月放送)という番組は始まった。テレビでは、静止画で大喜利のお題だけが流れている。Ustreamではそのお題に回答している倉本、タナカ、バカリズムの様子が流れている。たぶん、誰も覚えていないだろうし、教科書に書かれたりすることはこの先ないのだろうけど、一年間ずっと変なことをやっていた。誰からも評価されることはなかった。これからも評価されることはないだろう。でもあの番組は、すごいことをやっていた。確実に。ぼくは当事者としてではなく、視聴者としてそれを信じている。あれは当時としては早すぎたのかな、といま思うこともたまにあるけど、そういうことでもない。圧倒的に新しくて面白いものはいつの時代でも早すぎるし、それぐらいのことをちゃんとやっていたんだろうなと思う。

倉本美津留氏からは、今年の正月もDMが送られてきた。2016年の「ホワイトボードTV」のレギュラー化を望むというような内容だった。相変わらず、面白史上主義だなあ、と思って笑った。でもたぶん、青春をやり直してしまえばくせになる。倉本美津留氏、というか、倉本さんとは、あれを超えるくらいの面白いことをやらないと嘘だと思うし、それを考えられたら良い。あの番組をやってから、ぼくはずっと静かに負けているのだ。あんなに面白いことを作ったんだから、ただ生きているだけなんて、全然負けている。

倉本美津留氏の一連の仕事も「ホワイトボードTV」もそうだが、テレビ番組としての評価がどうかではなく、テレビという破壊的なメディアをどう使うか、どう使えるかということだ。まだまだやれること、やりたいことはある。それに気づくか気づかないか、あるいはその欲望を直視するかしないかだけだ。面白すぎるからという理由で死んだ人を、ぼくはまだ知らない。


......と、ここまで書いたのが7月17日の昼ごろの話だ。これを完成稿として送ったのだが、その夜にちょっとしたことが起こった。TOKYO MXで放送されていた「博士の異常な鼎談」で津田大介氏をゲストに招いたときからになるからもう6年以上続けていたツイッターの、ぼくのアカウントはいまこの世界に存在していない。なぜなら昨夜、ぼくの手で削除したからだ。その顛末を今からここに書くわけだが、そもそものきっかけははてな匿名ダイアリーのこの記事だ。

久保ミツロウ能町みね子嫌い超嫌い
http://anond.hatelabo.jp/20160717010611

この文章は確かに酷い代物だと思うが、はてな匿名ダイアリーなんてそんなもんだ。おそらく文中に出てくる単語からするとぼくと同世代の30代半ばだと思うが、特に共感もできない。ただ、嫌いなものを嫌いと言えないというか、嫌いなものを共感できないという苦しみは理解できるし、たとえば夫婦生活だってそうだ。好きなものが似ていることも大事だが、嫌いなものが似ていることはたぶんもっと大事なのだろう。それは同族嫌悪という単純な言葉ではなく、アイデンティティの皮膚を規定する要素だから、嫌いなものを嫌いだと思うことやその理由を考えることは実際にとても大切なのだ。それをこんな文章でおおっぴらに書くというのはもちろん問題はあるわけだけど。

そしてこの文章を読んで、なるほどと思う部分は確かにある。たぶんこの書き手は、サブカルが仲良くなっていること自体にいらついているのだろう。全員がギスギスしていた時期があの頃にはあった。それこそサブカルという単語は、好きなものではなく、嫌いなものを規定する言葉でありジャンルだった。少なくともあの頃、真正直な消費者だった自分はそうだったはずだ。その愛おしい世界が変わっていくことに対しての絶望感は、共感はしないが理解はできる。その意味で、おそらくこの記事や反応を受けての久保ミツロウ氏のツイートはぼくにとっては腑に落ちるものだ。

同族嫌悪とか嫉妬とかで大雑把にくくっちゃう人いるけど、人間嫉妬だけでそこまで行動できないし明確に同族じゃない見解があるから文句言いたくなるんだし。私は「久保ミツロウのこと嫌い、同族嫌悪だわー」と明確に言ってる人がいても「似てねーから安心しろ!」っていっつも思ってるよ!
https://twitter.com/kubo_3260/status/754723684221235200?lang=ja

あの文章は、同族嫌悪やただの嫉妬などではないとぼくは思う。自分が好きだった世界が失われたり変わっていくことへの恐怖であり、敗北感であり、アイデンティティの喪失なのだ。だからあの書き手は、「モテキ」への批判を他者に委ねる。自分がいなくなることへの恐怖を自分の口で伝えて何になるだろう? あの書き手には他者が必要だったのだ。だから映画「モテキ」への宇多丸氏の批評を「ボロクソ」だと感じてしまう。もちろん聞けば分かるが、あの批評は「ボロクソ」ではない。少なくとも久保ミツロウ氏にではなく、映画そのものに対しての批評でしかないのは明らかだ。

宇多丸が映画『モテキ』を語る
https://www.youtube.com/watch?v=t49xDo4Vezo

というかそもそも、久保ミツロウ氏と能町みね子氏を一緒にしている時点で、あの文章は作品や作者に対する批評ではない。状況に対しての嫌悪感を述べているだけだ。だからあの文章を読んでぼくが最初に書いたのは、「これ書いたの、(「モテキ」の主人公である)藤本幸世だろ。」という一文だった。酔っ払ったときのフジくんによく似ている。だから共感は出来ないが、そいつを愛することがぼくには出来るだろう。自慢じゃないが、ぼくが「ホワイトボードTV」をやっていて本当に嬉しかった出来事として、当時テレビドラマの「モテキ」の登場人物がそれぞれツイッターを運営していたのだが、その藤本幸世が大喜利の回答を送ってくれたのだ。未だにあの感動を覚えている。届くべき人に届いているのだという喜びだった。あの瞬間、本当に心から嬉しかったし、深夜のタクシーの中でぼくはガッツポーズを上げていた。

前段が長くなるのは仕様なのでお許しいただきたい。それでぼくは「これ書いたの、藤本幸世だろ。」という一言を夕方に書いていて、そのあとでこう書いている。アカウントも削除してしまったのだがtwilogは残るのですね。勉強になる。

24時30分。
あの文章が書かれた一番の動機は確かに「嫉妬」なんだろうと思うけど、同族嫌悪っていうのはどうなんだろうなー。嫌いなものが一緒だっていうのを自分のアイデンティティにしちゃう人は少ないけど存在はしていて、そういう人を救ってあげるのもエンタテインメントの役割の一つなんじゃないの。

24時53分。
ぼくは「久保ミツロウ能町みね子嫌い超嫌い」の人に対して一切の共感は持ち得ないけど、そういう人はいるし、そういう人に対して、まあまあ、酒でも飲むか?って感じでやってたりもする。馬鹿は馬鹿だが、馬鹿をバカにしてしまう人は、やっぱり信用ならないとも思う。

ここでたぶん、思考としては一回溜めている。まずいことは書いていないはずだし、反論ではなく読んだ人の思考の始まりというか、こういう考え方をしてみるのもありなのではないか、という相沢直特有のツイッターのあり方を実践していると言える。ここまででやめておけばツイッターのアカウントを削除せずに済んだはずだが、おそらく我慢ならなかったのだろう。連投が続いている。

25時00分。
まあ言ってしまえば「一言言うなら『プロレスも新日さん関係でイラストのお仕事をいただいてとっくに本も出てますよざまみろバーカ』かな」って公の場所で書く人をぼくは信頼できない。売り言葉に対しての買い言葉だったとしてもあり得ない。どんだけ客をバカにしてんだよ。すげえむかつくんだけど。

25時09分。
お前の世界で好きにやってろよって話じゃん、要は。そこで突き詰めろよ。そうじゃなきゃ面白くなんねえんだよ。プロなんらちゃんと仕事してくれよ。それだけなんだよ。新日から仕事貰ってるから何だよ! そんなんを引っ繰り返してくれる人が沢山いたから、俺はプロレスを嫌いになれてねえんだ!!!

25時19分。
ここ数年、思いの底に沈めていた言葉が急に出てきてしまった。平和主義者でありながら、申し訳ないことです。まあ、反省も別にしてないけど。むかつきながら寝る。本当に、心からむかつく。

何があったんだよ、24時53分から25時00分のあいだに。完全にキレている。まあ、何があったというか、24時53分の時点でキレていたのだけど我慢をしていたのでしょう、おそらくは。じゃあなんでキレてるのかというと、能町みね子氏のこのツイートを読んだからだというのは間違いない。

まあネット漁ってればこんなのもつい見つけちゃうし、いろいろ言いたいことはあるけど、一言言うなら「プロレスも新日さん関係でイラストのお仕事をいただいてとっくに本も出てますよざまみろバーカ」かな RT 久保ミツロウ能町みね子嫌い超嫌い
https://twitter.com/nmcmnc/status/754661809538293760

これを読んでやっぱり、本当に腹を立てたわけですよね、ぼくは。このツイートははてな匿名ダイアリーの元記事の最後にある「次は急に『プロレスが好き』とか言い出して飯伏幸太か男色ディーノ辺りと仕事するんだと思う。」という一文に対しての返信だと思われますが、いやもう完全に、ここに腹を立ててるんですよ。だって、「ざまみろバーカ」なんて、表現を仕事にしている人が、そうでない人に対して言って良い言葉なのだろうか? ぼくはこれはプロレスファンに対しての侮辱以外の何物でもないと思うし、なぜこんなことを書けてしまうのかが理解出来ない。ただこれは、ぼくの信条にも関わることなので、少し説明が必要なのかもしれない。

ぼくも、能町みね子氏も、何かを作ってご飯を食べているという広い意味では同業でしょう。何かが好きで、その何かを職業にしたくて、そうなっている。そしてその椅子に座るためには、結果として沢山の人を蹴落としているわけじゃないですか。ぼくが文を書いているこの場所は、誰かが心から願っていた場所なのかもしれない。ぼくが今たまたまいる立ち位置は、誰かが心からやりたかった仕事なのかもしれない。そういう累々のしかばねの上に今の自分がある。

それは、あのはてな匿名ダイアリーを書いた書き手だってそうなのでしょう。あいつはただの他人ではなく、夢を叶えられなかったぼくそのものでもある。もちろんぼくはああいう風にならないために一生懸命努力してきたわけだけど、全然他人事ではない。あの文章は最低だけど、あの気持ち悪くて目を背けたくなるような思いの上に自分は立っている。好きなことを仕事にしたい。好きなことで飯を食いたい。誰だってそう思って、それだけを願ってたんじゃないのか。好きなことを仕事に出来なかった沢山の人の無念の上にぼくたちは座っている。それは別に自分や能町みね子氏に限らず、というか職業も関係ない、好きなことを仕事にしている人なら誰だってそうだ。

そしてそれを出来た人がそれを出来なかった人に対して、「ざまみろバーカ」なんて、なぜ言ってしまうのか。怒りでもあり悲しみでもある。あの書き手が書いた文章はひどくつまらないが、そこにある劣等感や憎しみや怒りは本物で、そういう人を救うのが「文」の仕事なのではないのか? だからたまたまあの日に虫の居所が悪かったとか、何かいらいらすることがあったとかは一切なく、ぼくはあのツイートを読んだら何度だって腹を立てるのだろう。だって、文章を書くことを仕事に出来た人があんなことを公の場で書くなんて、そんな夢のない話はない。ロマンがないでしょう、それは。好きなことを仕事にしている人が格好良くなかったら、あの書き手やその後ろにいる無数の魂が救われないじゃないか。

いや、良いんですよ、能町みね子氏がもともとプロレスを好きであってもそうでなくても。そんなのは直接仕事とは関係ないし。でも、プロレスが大好きなイラストレーター志望の若い人はおそらくいるわけじゃないですか。そう願って、夢破れて、ほかの道に進んだ人だっているかもしれない。そういった人たちが、実際にそれを仕事にした人の「ざまみろバーカ」というつぶやきを見て、どう思うのか? やるせないじゃないですかそんなのは。もちろん能町みね子氏の言葉はあの書き手だけに送られたものなのだろうけど、公の場所で文を書くというのはそういうことじゃないんじゃないのか。

というわけでぼくが怒っていた、というかそれは違うんじゃないのかと思ったのは徹頭徹尾、能町みね子氏の「ざまみろバーカ」というツイート、そこだけなんですよ。そこ以外に対してはまったく何もなくて。これがもう、本当に全部です。あとは蛇足のようになりますが、時系列を追って説明します。

能町みね子氏が翌日に書かれた、

結局相沢さんが私の何に怒ってたのか、初めの文章はよく理解できなくて、はっきり分かったのは吉田豪さんがRTしたこととか私がエゴサしたことに怒ってるということだったので、エゴサ嫌ならツイッターやめれと言ったら本当にやめてしまった、そんだけ
https://twitter.com/nmcmnc/status/754904960358154241

というのは、さっき書いた通りそうではないんです。「吉田豪さんがRTしたこととか私がエゴサしたこと」に対して怒ったとかっていうのは全然なくて、というかそりゃあ、吉田豪氏はRTするし能町みね子氏はエゴサするだろうというのは当たり前の話であって、別にどうこう思ったりもなく。それはもうそうなるだろうと思っていたし、怒るというのはないわけですよ。

ただ話がまたややこしくなるのはここからで、というかややこしくしているのはお前だろという話なのですが、この辺りで吉田豪氏がぼくの一連のツイートをRTする。そこまでは想定内なんですよ、しつこいようですが。ただそれを受けてのぼくのツイートが、ちょっとよく分からないことになっている。

25時42分
ぼくの能町案件の感想ツイートを吉田豪がRTしてるの、腹立つわー。***さん(※あるライターの方のお名前を書いていました)と俺が面識ないのにバトってる感じ、お前のせいだろ! ふざけんな! お前が絡んでくるから変な揉め事になってんじゃねえか! いいかげんにしろよ

これを読んだ方はおそらく100人が100人、怒っているように思われると思いますが、実はそうではないんです。一切、怒ったりとかはなくて。感情としては無なんですよ。あきらめた逃亡犯が自首する気持ちにたぶん近い。はい見つかりましたー、はい逮捕ー、ぐらいのことで。このツイートでぼくは「お前(=吉田豪氏)のせいだろ!」って書いてますけど、書いてる本人の意識としては「いやいや、全部お前(=相沢直)のせいだよ!」とツッコミを入れながらツイートしているわけです。ただ一夜明けて思うのは、そんなの伝わるわけないだろ、という。ハイブロウすぎる。そこに関しては本当に反省していますし、申し訳ないです。おそらく吉田豪氏がぼくのツイートをRTするときと同じくらい、ニヤニヤしながらこの文章を書いていたことをここに告白させていただきます。

ただここで想定外だったのは、このツイートを吉田豪氏はRTだけするだろうなと思っていたら、ぼくあてにリプライが届くんですよ。そこからツイッター上で会話が始まるわけですが、ぼくはこの辺りからこれどうやって終わらせるのが良いんだって考え始めています。ただの揉め事じゃありませんよ、能町みね子氏と吉田豪氏ですよ。そうなったら、ぼくが一番ダサい感じで死にたいじゃないですか。そうあるべきだろうというか。死ぬなら確実に俺だよなって感じで。言ったら獲物は俺だろって自覚もあるわけで。もうこの辺りから死にに行ってますね、ぼくは。そして吉田豪氏からのリプライを受けて、このツイートをするわけです。

25時58分
そんなのが良いとされる世界なら、もうやってらんないです。 RT @WORLDJAPAN: 能町さんはエゴサ大好きなんだからいずれ一連のツイートを発見するだろうし、名前を出して批判するならもうちょっと覚悟したほうがいいと思いますよ。

これを返した時点で、もうたぶん覚悟はついてるんですよ。ツイッターのアカウントごと削除する、っていうだけじゃなくて、ああ、もうこの業界やめよう、とたぶんちゃんと思っている。「そんなのが良いとされる世界なら、もうやってらんないです。」って書いたときには、エゴサがどうこうって範囲のことじゃなくて、もうちょっと広げたツイッターのことでもなくて、こんな世界でぼくはご飯を食っていたくねえよってことです。「名前を出して批判するならもうちょっと覚悟したほうがいい」というのは尊敬する先輩の方からの有益なアドバイスではありますが、そしてツイッターというメディアの特性上、伝わってほしいことが伝わらないというジレンマはありますが、その状況が産む無言の同調圧力にぼくはもう付いていけないんですよ。好きにやってくれ。いい加減、もううんざりだ。

そして話は大幅に戻りますが、能町みね子氏の「私がエゴサしたことに怒ってる」というのはまったく真意ではありません。誤解を与えてしまって申し訳ないです。そもそもぼくのツイートをエゴサして能町みね子氏から送られたリプライっていうのは、

‪@aizawaaa‪ 元発言が差別語ムキ出しの匿名野郎だから、議論も酒酌み交わすのもありえないです。私自身が腹が立って仕方がないから、おちょくって気持ちを落ち着けるくらいしか手段がありません。あなたは私と何の交流もないですが、なんでそんなに腹が立つんですか。‬
https://twitter.com/nmcmnc/status/754723937410428928

これを読んで怒る要素は一つもないわけで。まあ、「酒でも飲むか?」っていうぼくのツイートはぼくと書き手が酒を飲むという話なので能町みね子氏と書き手が酒でも飲んで仲良くしろよ的なことではなかったんだけど、というのはありますが、それで怒るはずもなく。そもそも誰かに対して「エゴサした」という理由で怒ったりするということはぼくの中ではあり得ないのですが、それはさておき。これを読んでぼくは「ざまみろバーカ」についての私見を言おうかとか、でもそれは既にツイートしてるしなとか、そもそも能町みね子氏と分かり合うためにはどうしたら良いのかと色々考えましたが、その1分後にリプライが届きました。

‪@aizawaaa‪ やってらんないならツイッターやめれ。‬
https://twitter.com/nmcmnc/status/754724112904261634

これを読んで、ぼくはツイッターをやめるわけです。「そんなのが良いとされる世界なら、もうやってらんないです。 RT @WORLDJAPAN: 能町さんはエゴサ大好きなんだからいずれ一連のツイートを発見するだろうし、名前を出して批判するならもうちょっと覚悟したほうがいいと思いますよ。」というぼくのツイートに対しての返信がこれなら、そして翌日のツイッターで能町みね子氏が「エゴサ嫌ならツイッターやめれと言ったら本当にやめてしまった、そんだけ」と書いているなら、ぼくはもうこの世界にはいたくない。ぼくがどうこうというのは別にして、「ツイッターやめれ」と誰かが誰かに書いて、その人がツイッターをやめてしまったときに、「エゴサ嫌ならツイッターやめれと言ったら本当にやめてしまった、そんだけ」と書くような世界にぼくはいたくないしいる必要もない。自分で自分を弁護する形になってしまうから説得力もないだろうが、そんな世界は、ぼくはいやだ。そういう世界がいやだったからぼくは書くことを仕事にしようと思っていたけど、もうそんな時代でもないんだろう。ぼくはそこに付き合うつもりはない。

ぼくは「文」を、言ってしまえばそれだけを、信じている。それは人を生かすし、人を救うし、人をより善くすることが出来る。少なくともぼくにとってそれは勝ち負けを決める喧嘩の道具ではなく、命や魂への養分のようなものだ。だから今回の件をはたから見て「相沢直とかいう売った喧嘩を買われたら泣きながら逃げるクズ」や「相沢直まとめ読んでたけど、喧嘩売って買われたら、泣きながら逃げてて最高にロック」と書いている方がいたが、それは本意ではない。喧嘩どうこうじゃないのだ。ぼくは「ざまみろバーカ」というその「文」に対しての不快感を「文」で表明し、「やってらんないならツイッターやめれ。」という「文」に対して、実際にツイッターのアカウントを削除するという行動を選んでいいる。これをぼくは「自身の語ってきた美学的なものに反しまくるケツのまくり方」だとは一切思わないし、むしろ「美学的なもの」に対して忠実であろうとしたからこそ、こうなったのだと自負している。

長々とお読みいただきまことにありがとうございました。異論反論や批評や批判もおありのこととは思いますが、既にツイッターのアカウントは削除しまっているため、リプライを受け取ることが出来ずに残念ですし申し訳ない。ここで最後に「ざまみろバーカ」と書けばシンプルなオチになるのかもしれないが、そんなことはしたくない。ぼくにとって「文」とは、そんなもんじゃないのだ。


『水道橋博士のメルマ旬報』
https://bookstand.webdoku.jp/melma_box/page.php?k=s_hakase

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