ルソーが目指した「教育の最終目標」はどこにあるのか

思想家ジャン=ジャック・ルソーが自らの思想と問題意識をたっぷり詰め込んだ教育論『エミール』。日本語訳の文庫本で三分冊になるという長大な作品で、エミールの成長に沿って、以下の五つの編に分けられています。
⃝第一編……エミールが0歳からほぼ1歳頃までの、乳幼児期
⃝第二編……口がきけるようになる1歳頃から12歳頃までの、児童期・少年前期
⃝第三編……12歳頃から15歳までの、少年後期
⃝第四編……15歳から20歳までの、思春期・青年期
⃝第五編……20歳以降の、青年期最後の時期
ルソーが『エミール』で描こうとした教育の最終目標はどこにあるのでしょうか。東京医科大学哲学教室教授の西 研(にし・けん)さんに解説していただきました。

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それは、「自然人」と「社会人」の対立を克服することです。ルソーのいう「自然人」とは、自分のために生きている存在のことです。それが人間にとって根本的なありかただとルソーは考えています。一方、人間は社会をつくって生きている「社会人」でもあります。自然人として自分のために生きようとすれば、社会のなかで他者に貢献することはできません。しかし、社会人として他者のために生きようとすれば、自分の幸福が犠牲になるかもしれません。その矛盾を乗り越えようというのが、本書の大事な論点です。
「もっぱら自分のために教育された人は、ほかの人にとってどういう者になるか。もし、人がめざす二重の目的が一つにむすびつけられるなら、人間の矛盾をとりのぞくことによって、その幸福の大きな障害をとりのぞくことになる(『エミール』今野一雄訳、岩波文庫、上巻36ページ)とルソーはいっています。
具体的には、15歳くらいまで(第三編まで)は、徹底的に「自分のために」生きる人間に育てます。そのためにルソーは、他者との競争心や、他者からほめられるためにがんばるという動機を完全に取り除くように環境を設定しています。エミールは家庭教師が見守るなか、一人で毎日野原を走り回って遊びます。「自分が」楽しい、気持ちいいとか、さらには自分の好奇心や必要性が満たされるということを大事にして育てるのです。このように、他者にほめられるために右往左往するような人間にしないという方針はじつに強く打ち出されています。しかし、友だちと遊ばないというのはかなり極端な設定だと感じる方も多いことでしょう。
このように、自分自身のために生きるという軸をしっかりつくったうえで、15歳以降(第四編以降)は、他者に対する思いやりや共感能力を育てていきます。そこから公共心、つまり、自分のためだけでなくみんなのために役立つ人間になる、というテーマが出てきます。
この本は「近代教育学の古典」ともいわれますが、ここで語られるルソーの教育論は、一人の子どもを自立した人間として、さらには自由な社会を担っていくことができる人間として育てることを目的としています。すなわち、名誉や富や権力といった社会的な評価で自分を測るのではなく、自分を測る基準となる軸を自分のなかにもつこと。そして同時に、他者への共感能力にもとづいた公共性をもつこと。それらをもったうえで、民主的な社会の一員として、お互いの意見を出し合いながら、みんなの利益となる「一般意志」を取り出してルールをつくる。つまり自治しうる人間を育てる──。
これは理想の教育についての、一種の壮大な思考実験ともいえます。だからこの作品には、ルソーの思想と問題意識がたっぷりと詰まっています。ルソー本人は哲学者と呼ばれることを好みませんでしたが、論理を突き詰めていく彼の思考は、書き方は文学的でも、明らかに哲学だとぼくは思っています。
■『NHK100分de名著 ルソー エミール』より

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