宮本武蔵の実像

宮本武蔵(みやもと・むさし/1582〜1645)の名前を聞いて、まず何を思い浮かべますか? 佐々木小次郎との巌流島(がんりゅうじま)の決闘や、浪人のイメージがあるかもしれません。しかしこれは虚像であると放送大学教授の魚住孝至(うおずみ・たかし)さんは指摘します。実際の武蔵はどのような人物だったのでしょうか。

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宮本武蔵といえば、すぐに佐々木小次郎との「巌流島の決闘」が思い浮かぶのではないでしょうか。けれどもこれは、武蔵にとって数ある勝負の一つに過ぎないものです。もう少し詳しいと、「少年時代、父に反抗して武者修行に出て以来、一度も負けなかったが、勝つためには何でもした」「沢庵(たくあん)和尚によって精神的に成長したが、生涯『浪人』で放浪した。晩年になってようやく熊本で落ち着き、『五輪書(ごりんのしょ)』を書いた」といったイメージをお持ちかもしれません。
けれども、これらは「巌流島の決闘」の顚末(てんまつ)も含めて、吉川英治が書いた小説『宮本武蔵』による虚像です。この小説は、映画や芝居、ラジオやテレビ、マンガなどで繰り返し変奏され、そのイメージがあまりに強固なものになっています。吉川自身が、小説のフィクションと史実が混同されることを恐れて『随筆宮本武蔵』を書き、その中で武蔵について史実として確かなものはたった三千字程だと言っていました。実際に『五輪書』を読んでみれば、小説のような武蔵には、とても書けるはずがない内容であることが分かります。
私が初めて『五輪書』を読んだのは、三十年程前に「武道の三大古典」の解説を書く仕事をした時のことです。「三大古典」とは、柳生宗矩(やぎゅう・むねのり)の『兵法家伝書』、沢庵の『不動智神妙録』、そして宮本武蔵の『五輪書』を指します。この三つを読んでみると、『五輪書』が圧倒的にすばらしいと感じました。記述がきわめて具体的で明晰(めいせき)で、人間のからだに即しており、まさに武道の「思想」を論じた書だったからです。卓越した論理構成力にも驚かされました。このような、近世以前には類を見ないすぐれた文章を書いた武蔵という人間が、ただの狷介(けんかい)孤高の浪人とはとても考えられません。本当の武蔵はどうだったのか、研究を始めました。
実はここ四十年程の間に、武蔵とその周辺の人物についての資料や、武蔵が関係した藩の文書などが数多く発見されています。また、これまで通念とされてきた武蔵像が、厳密な史料批判によって再検討されてきました。私も各地を調査して、武蔵の著作は『五輪書』を含めて六点もあることが分かりました。これらの研究の結果、二十一世紀になってようやく武蔵の実像が明らかになってきたのです。
小説『宮本武蔵』やその影響を受けたフィクションは、青年期の武者修行の勝負までを主に描くので、「素浪人・武蔵」のイメージが強いのですが、武蔵の思想を考える上で重要なのは、むしろ壮年期以降です。譜代大名に「客分」として迎えられ、藩主の息子や家臣に剣術を指導した武蔵は、一方で禅僧や林羅山(はやし・らざん)などの知識人たちと交流を持ち、諸芸を嗜(たしな)む自由もありました。また養子を採って大名の側に仕えさせましたが、養子は後に藩の家老にまでなります。『五輪書』が剣術の鍛練に止まらず、何事においても人に優れんとする武士の「生き方」まで説くことができたのは、広い視野を持ち、武家社会の中枢も知っていたからだと思います。
■『NHK100分de名著 宮本武蔵 五輪書』より

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