宮本武蔵は“二刀にこだわらない二刀流”だった

宮本武蔵(みやもと・むさし/1582〜1645)といえば、二刀流を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。武蔵は「武士としてのあるべき生き方」を綴った『五輪書(ごりんのしょ)』の「地の巻」で「二刀一流」と名乗る理由を説明しています。放送大学教授の魚住孝至(うおずみ・たかし)さんに解説していただきました。

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宮本武蔵と言えば二刀流を思い浮かべる方も多いかと思います。武蔵によれば、兵法の道は「武家の法」全体に関わるものであり、とりわけ剣術を核とすると言います。そこで武蔵は、第五条において、なぜ自らの剣術の流派を「二刀一流」と名乗るのか、なぜ二刀を使った稽古をするのか、同時になぜ二刀にこだわらないか、を論じています。
二刀と云出す所、武士は将卒ともにぢきに二刀を腰に付る役也。(略)此二つの利をしらしめんために、二刀一流と云なり。(略)
 
一流の道、初心のものにおゐて、太刀・刀両手に持て、道を仕習ふ事、実の所也。一命を捨(すつ)る時は、道具を残さず役にたてたきもの也。道具を役にたてず腰に納めて死する事、本意に有べからず。
(二刀と言い出すのは、武士は大将も士卒もともに腰に二刀を帯びるのが役目だからである。〈略〉この二刀を持つ利点を知らせるために、二刀一流と言うのである。〈略〉わが流の道では、初心の者は、両手に太刀と短刀を持って稽古することが正しいやり方である。命を捨てる時には、使える武具を残さず役に立てたいものである。せっかくの武具を役に立てずに腰に着けたまま死ぬのは不本意である。)
命を賭けて戦う場合には「使えるものはすべて使おう」というところに、徹底的なリアリストの武蔵らしさがよく表れていると言えます。剣術では太刀を両手で持って揮(ふる)うというのが普通です。けれども武蔵はそもそも太刀や脇差は片手で遣う道具であると言います。確かに実戦の場面を考えてみると、両手で太刀を持てない、あるいは持ったら危ない場合が数多くあります。たとえば馬に乗った場合。片手は手綱を握るわけですから、太刀はもう片方の手で振ることになります。あるいは走る時も、両手で太刀を持っていては走りづらい。沼、深田、石原、険しい坂道、人ごみなどで戦う場合、また片手に弓や鑓(やり)を持つ場合なども、片手で太刀を遣わなければなりません。このように、武蔵は実戦のあらゆる場面を想定した上で、太刀は片手で遣えなければならないと言っているのです。
しかし、片手で太刀を遣えるようになるには訓練が必要です。そのため、稽古の時には二刀をそれぞれの手に持ち、片手で振ることに慣れるようにする。そのための二刀流だと言うわけです。
片手に慣れるのが二刀の主眼なわけですから、実戦でも必ず二刀を使わなければならないというわけではありません。「若(もし)片手にて打ころしがたき時は、両手にても打ちとむべし」と言うように、片手では不十分な場合には両手で太刀を持って仕留めればよいのです。二刀を持った方がよいのは、大勢と戦う時や、屋内に立て籠もった敵に対する場合などだが、このようなことは一々書くまでもない。「一を以て万を知るべし」と武蔵は言います。
このように武蔵は、二刀流と言っても“二刀にこだわらない二刀流”なのです。ここに、武蔵の思考の柔軟性がよく表れています。形を踏襲することが目的なのではない。目的はあくまで勝つことです。二刀流といっても、二刀で戦うことが不利な場面であれば、片方を投げて一刀で戦えばよいのです。大事なことは、自分にいちばん有利な形で戦うということ。そのため、あらゆる場面において勝てるように、合理的、実戦的であれというのが、武蔵の剣術を貫く思想です。
■『NHK100分de名著 宮本武蔵 五輪書』より

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