親子二代で囲碁棋士夫婦 小林家の思い出

イラスト:石井里果
『NHK 囲碁講座』の連載「二十五世本因坊治勲のちょっといい碁の話」。師匠・木谷實九段、呉清源九段の思い出から、石田章九段へのジェラシー、王立誠九段に対する恨み言まで、趙治勲(ちょう・ちくん)二十五世本因坊ならではの語り口で紡がれるエッセイは、碁界においてのみならず、広く人気を博しています。10月号では、師匠である木谷實九段のご息女で、平成8年に亡くなった小林禮子(こばやし・れいこ)七段との思い出を語りました。11月号では引き続き、小林光一名誉三冠・小林禮子七段夫妻と、その娘である小林泉美六段にまつわるエピソードを紹介します。

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小林家にはいろいろと思い出があります。光一さん(名誉三冠)とは木谷道場のころからライバルだったし、子どもたちは同じ世代だったし。中でも禮子(れいこ)さん(七段)には一つ、切ない思い出があります。
一度だけ、本当に一度だけ、ぼくに電話をかけてきたことがありました。どういう用件だったかは思い出せないんだけど、断ったのだけは覚えている。断るくらいだから、大した要件じゃないとは思うんです。だって深刻なお願いなら、そのころは光一さんとも打ち解けていたので、お金を貸してくれって言われても「任せておけ!」って言っていたはず。ま、これはありえないですけどね。光一さんのほうが、ぼくよりはるかにお金持ちだから(笑)。恐らく色紙だったんじゃないかなあ。ぼくは本当に字が下手で苦手。だから断ったと…。
事の真相はそれから何年もしたあと、泉美さん(六段)から聞きました。禮子さん、亡くなる間際だったらしい。話すのも大変で、泉美さんに付き添ってもらいながら電話していたそうです。病気のことは全く知らなかったからね、それなら言ってくれたらよかったのにと…。今でも思い出すと胸がきゅっとします。禮子さん、知り合いのファンのために、ぼくに色紙を頼んだのかもしれません。
泉美さんはこうした母の姿を小さいころから見て育った。碁が人生のすべて、碁に注ぐ情熱に際限はない、そんな禮子さんの姿をね。父は光一、祖父は木谷實。まさに囲碁一直線ですよ。そして泉美さんは周囲の期待どおりに棋士になり、女流のタイトルをいっぱい取った。これ、言葉で言うほど簡単じゃないですよ。どれだけのプレッシャーがあったことか。
泉美さんは結婚前に、「碁が自分より強い人」が理想の男性と公言していたとか。「碁が自分より弱い人はダメ」だったかな? また聞きなので違っていたらごめんなさい。ただ、もしこれが他人の作り話としても、納得できるから不思議です。彼女にはそういう雰囲気が確かにあったなあ。
張栩さんと結婚してからは、棋士としてよりも妻としての生活にウエイトを置くようになりました。子育てや夫の体調管理を何よりも優先する。これも禮子さんとそっくりですよ。以下は禮子さんのエピソード。ある囲碁雑誌の編集者から聞いた話です。光一さんはタイトルをたくさん取りました。編集サイドとしては、特集の目玉として自戦解説を頼むのが王道パターン。でも、すんなりとはいかなかったそうです。
小林宅へ電話をすると、必ずと言っていいほど禮子さんが出る。するといい返事はもらえません。もちろん、編集者が嫌いなわけではない。ファンの大切さも人一倍分かっている。でも、それよりも夫の光一さんの体調を心配したのです。だからね、編集部では光一さんに仕事を依頼するときは、本人に直接お願いするようにしていたのだとか。手合のときに終局まで待って、そこで何とか捕まえていたそうですよ(笑)。
泉美さんのお眼鏡にかなった張栩さんはいい男です。禮子さんに伝えてあげたいですよ。こんな素敵な棋士と泉美さんが一緒になったんだよって。泉美さんも禮子さんに認めてもらえる人と結婚したかったと思う。これは禮子さんがお母様(木谷夫人・美春)に抱いていた思いと同じでしょう。そうそう、張さんの碁に対する考え方は光一さんと似ているところがあってね。ここも泉美さんにとっては好印象だったかな?
その張さんが今年、大きな決断をしました。5月に生活の拠点を日本から故郷の台湾へ移したのです。ぼくにとっては大事件でした。
■『NHK囲碁講座』2015年11月号より

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