太宰治は「いつまでも新しい」
明治生まれの作家、太宰治が亡くなってから67年。その作品は忘れ去られるどころか、今も熱狂的に読み継がれている。作家で明治学院大学教授の高橋源一郎(たかはし・げんいちろう)氏は、その理由は「更新」し続ける「新しさ」にあると述べる。
* * *
確かに、「永遠の生命」があるかのように、読まれつづけている作家は、たくさんいる。けれども、太宰治は、その、素晴らしい「永遠の生命」クラブの作家のどれとも違っているように、ぼくには思える。彼らの誰よりも、太宰は、ぼくたち読者に近い。ほんとうに、すぐ傍にいて、ぼくたちに話しかけてくれているような気がするのである。
それは、なぜだろう。
おもしろいから?
もちろん、そうだ。でも、おもしろいものは、たくさんある。その中から、太宰だけが、いまもこんなにも読まれているのは、ほんとうにどうしてなんだろう(その理由がわかったら、こっそりと自分にも応用してみたいぐらいだ)。
ぼくは、太宰治の小説が「永遠の生命」を持っていて、そればかりか、いまもぼくたちに近く感じられるのは、「新しい」からだと思う。しかも、ただ新しいのではなく、それは、「更新」し続けることのできる「新しさ」だ。そのときは「新しく」ても、やがて、古くなってしまう「新しさ」ではなく、「いつまでも新しい」「新しさ」、それが、太宰治の小説なんだと思うのである。
太宰治が『右大臣実朝(さねとも)』でやったのは、高貴な人を主人公とすること。高貴な人は将軍だった。でも、その人は、権力をもって、その力で人びとを従わせるような人物ではなかった。その人が得意なのは「歌」だった。悠久な歴史の中で育まれた「ことば」が、その人の武器だった。だから、読んでいると、これは、不思議に、「宮廷」や「天皇家」のことを書いているのではないか、と思えてくる。しかも、この小説が書かれたとき、天皇家は、かつてのように、京都にいて、静かに祈り、あるいは、歌を詠む、そんな生活をする人たちではなく、軍人の格好をして、この国の「力」の象徴になっていた。思えば、同じ頃、谷崎潤一郎は『細雪』という小説を書き、軍部から発禁処分を受けていた。『細雪』もまた、関西の商家を舞台にしながら、優雅な遊ぶ女たちを主人公にして、まるで、古い都の宮廷が現代に甦ったかのような書き方をして、それで、軍部の不興をかったのだ。
最近出版された原武史さんの『皇后考』で、原さんは、「天皇制」の本質は「女性的」なものではなかったか、と書いている。遡れば、天皇家は、女性神・「天照大神(あまてらすおおみかみ)」にたどり着くのである。実朝は、将軍だけれど、猛々しい軍人ではなく、なによりも女々しい歌人だったんだ。
太宰治が『津軽』でやったのは、故郷へ戻ってみる、ということだった。富も文学もみんな東京にある、というのはほんとうだろうか。この国は、東京にいる連中がみんな決めているけれど、それでいいのだろうか。だから、太宰は、戦争末期、故郷の津軽へ戻り、自分を育ててくれた、乳母の「たけ」に会うのである。
なぜ、自分は、故郷を捨てて、出ていったのだろう。こんなにも、故郷の人たちは、自分を愛してくれていたのに。いまよりも、まだずっと、故郷や地元や地方や田舎が生き生きとしていた頃、それでも、太宰は、いつかそこが滅びてしまうことを、都会や中央によって滅ぼされてしまうことを、予感して、この小説を書いたんだ。
太宰治が『お伽草紙』でやったのは、ぼくたちを育ててくれた古い文化に戻ってみることだった。新しいこと、新しい文化、新しいなにかを求めて、ぼくたちはさまよってきた。新しくなければならない。オリジナルじゃなきゃならない。そんなことばに脅迫されるかのように、ぼくたちは、前へ前へと進んできた。少しでも新しいものなら、なんでもよかった。新しくないものには価値なんかなかった。古いものは、どんどん捨てていった。でも、残ったものは何だったんだろう。ほんとうに、それでよかったんだろうか。ぼくたちは、大切なものを、きちんと考えることもせず、捨ててしまったんじゃないだろうか。
まだ古い文化が尊ばれていた時代に、太宰は、古い時代に戻ってみた。そこには、一見古いけれど、古びることのないなにかがあったんだ。
そう、ぼくは、いま、ほんとうに感じるんだ。太宰治は、このすべてを、未来に起こることを、知っていたんじゃないだろうか、って。
いまあげた例だけではない。もっとずっとたくさんの例を、あげることができるような気がする。いま、ぼくたちがやろうとしていることを、70年近く前に、ひとりの小説家はやろうとしていた。もしかしたら、いまのぼくたちにも気づくことはできないけれど、30年後、50年後の人たちが気づくことを、太宰は、すでにやっているのかもしれない。そうだとしても、ぼくは驚かないだろう。
それは、太宰治が超能力の持ち主だったからでもなく、超天才だったからでもなく、予言者の才能を持っていたからでもない。彼には、聴くことのできる耳があった。世界でなにが起こっているのかを静かに聴くことのできる耳があった。彼は、そうやって彼が聴きとったことを、ことばに記した。まるで無垢な子どもみたいに、熱心に、目を閉じて、いつまでも、ずっと世界でなにが起こっているのかを聴きとろうとしていた。
大丈夫。ぼくたちには、太宰治がいる。太宰治が書いた小説がある。頁を開くと、いまでも、彼は「そこ」にいて、世界で何が起こっているのかを教えてくれるんだ。
■『NHK100分de名著 太宰治 斜陽』より
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確かに、「永遠の生命」があるかのように、読まれつづけている作家は、たくさんいる。けれども、太宰治は、その、素晴らしい「永遠の生命」クラブの作家のどれとも違っているように、ぼくには思える。彼らの誰よりも、太宰は、ぼくたち読者に近い。ほんとうに、すぐ傍にいて、ぼくたちに話しかけてくれているような気がするのである。
それは、なぜだろう。
おもしろいから?
もちろん、そうだ。でも、おもしろいものは、たくさんある。その中から、太宰だけが、いまもこんなにも読まれているのは、ほんとうにどうしてなんだろう(その理由がわかったら、こっそりと自分にも応用してみたいぐらいだ)。
ぼくは、太宰治の小説が「永遠の生命」を持っていて、そればかりか、いまもぼくたちに近く感じられるのは、「新しい」からだと思う。しかも、ただ新しいのではなく、それは、「更新」し続けることのできる「新しさ」だ。そのときは「新しく」ても、やがて、古くなってしまう「新しさ」ではなく、「いつまでも新しい」「新しさ」、それが、太宰治の小説なんだと思うのである。
太宰治が『右大臣実朝(さねとも)』でやったのは、高貴な人を主人公とすること。高貴な人は将軍だった。でも、その人は、権力をもって、その力で人びとを従わせるような人物ではなかった。その人が得意なのは「歌」だった。悠久な歴史の中で育まれた「ことば」が、その人の武器だった。だから、読んでいると、これは、不思議に、「宮廷」や「天皇家」のことを書いているのではないか、と思えてくる。しかも、この小説が書かれたとき、天皇家は、かつてのように、京都にいて、静かに祈り、あるいは、歌を詠む、そんな生活をする人たちではなく、軍人の格好をして、この国の「力」の象徴になっていた。思えば、同じ頃、谷崎潤一郎は『細雪』という小説を書き、軍部から発禁処分を受けていた。『細雪』もまた、関西の商家を舞台にしながら、優雅な遊ぶ女たちを主人公にして、まるで、古い都の宮廷が現代に甦ったかのような書き方をして、それで、軍部の不興をかったのだ。
最近出版された原武史さんの『皇后考』で、原さんは、「天皇制」の本質は「女性的」なものではなかったか、と書いている。遡れば、天皇家は、女性神・「天照大神(あまてらすおおみかみ)」にたどり着くのである。実朝は、将軍だけれど、猛々しい軍人ではなく、なによりも女々しい歌人だったんだ。
太宰治が『津軽』でやったのは、故郷へ戻ってみる、ということだった。富も文学もみんな東京にある、というのはほんとうだろうか。この国は、東京にいる連中がみんな決めているけれど、それでいいのだろうか。だから、太宰は、戦争末期、故郷の津軽へ戻り、自分を育ててくれた、乳母の「たけ」に会うのである。
なぜ、自分は、故郷を捨てて、出ていったのだろう。こんなにも、故郷の人たちは、自分を愛してくれていたのに。いまよりも、まだずっと、故郷や地元や地方や田舎が生き生きとしていた頃、それでも、太宰は、いつかそこが滅びてしまうことを、都会や中央によって滅ぼされてしまうことを、予感して、この小説を書いたんだ。
太宰治が『お伽草紙』でやったのは、ぼくたちを育ててくれた古い文化に戻ってみることだった。新しいこと、新しい文化、新しいなにかを求めて、ぼくたちはさまよってきた。新しくなければならない。オリジナルじゃなきゃならない。そんなことばに脅迫されるかのように、ぼくたちは、前へ前へと進んできた。少しでも新しいものなら、なんでもよかった。新しくないものには価値なんかなかった。古いものは、どんどん捨てていった。でも、残ったものは何だったんだろう。ほんとうに、それでよかったんだろうか。ぼくたちは、大切なものを、きちんと考えることもせず、捨ててしまったんじゃないだろうか。
まだ古い文化が尊ばれていた時代に、太宰は、古い時代に戻ってみた。そこには、一見古いけれど、古びることのないなにかがあったんだ。
そう、ぼくは、いま、ほんとうに感じるんだ。太宰治は、このすべてを、未来に起こることを、知っていたんじゃないだろうか、って。
いまあげた例だけではない。もっとずっとたくさんの例を、あげることができるような気がする。いま、ぼくたちがやろうとしていることを、70年近く前に、ひとりの小説家はやろうとしていた。もしかしたら、いまのぼくたちにも気づくことはできないけれど、30年後、50年後の人たちが気づくことを、太宰は、すでにやっているのかもしれない。そうだとしても、ぼくは驚かないだろう。
それは、太宰治が超能力の持ち主だったからでもなく、超天才だったからでもなく、予言者の才能を持っていたからでもない。彼には、聴くことのできる耳があった。世界でなにが起こっているのかを静かに聴くことのできる耳があった。彼は、そうやって彼が聴きとったことを、ことばに記した。まるで無垢な子どもみたいに、熱心に、目を閉じて、いつまでも、ずっと世界でなにが起こっているのかを聴きとろうとしていた。
大丈夫。ぼくたちには、太宰治がいる。太宰治が書いた小説がある。頁を開くと、いまでも、彼は「そこ」にいて、世界で何が起こっているのかを教えてくれるんだ。
■『NHK100分de名著 太宰治 斜陽』より
- 『太宰治『斜陽』 2015年9月 (100分 de 名著)』
- NHK出版 / 566円(税込)
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